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一緒に過ごしていたからって、幸福とも限らない。

世界三代医学のひとつ、アユールヴェーダによると「専用のオイルを塗って、ビニール袋をあてる」と腰痛が速く治るらしい。先生の助言通り、腰の痛い68歳が、ビニールを腰にあててクラスに来た。

「シャカシャカうるさかったら、ごめんね!袋うっとうし〜」と声高らかに笑う。先生が「でもね、それは治りかけの証拠だよ。」とひと通り説明し切ったあと、坊主頭の69歳、クラスメイトが手を挙げる。寡黙で真面目なひと。

「バービーガールの曲を引用をさせてください。」
消え入りそうな、か細い声で棒読みする。

I'm a Barbie girl, in the Barbie world
Life in plastic, it's fantastic

愛しのバービーガール
(邦題、”愛しの”ってつくの知らなかった)

プラスチックの命、プラスチックの中の人生、
イッツ ファンタスティック!!

ステキな励ましに、全員が大笑い。腰が痛い女性も「この曲を聴くと、インドを思い出すの。インドでバスに乗ったとき、BGMでBarbie Girlが流れた。そしたら、バスに乗っていた全員が、これ以上ムリ!ってくらい全力な大声で歌ったの。今でもその光景を思いだして笑える。」と続ける。インド人がこれでもか!!ってくらい大声で歌っているの、想像するだけでたのしい。

すると先生も「僕もアメリカに行ったとき、バーでこの曲が3時間連続でかかっていて頭がおかしくなるかとおもった」と、日本語だったら「wwwwwwwwww」がついていた勢いで言い放つ。90年代後半のアメリカで大流行していたんだろう。大量生産の良き時代。

わたしは、大好きだった少女時代がコンサートで歌っていて知った。あのとき、狂ったように覚えようとしていたし、韓国好きの友達と新大久保のカラオケで歌った記憶さえある。あぁ、韓国語でカラオケってノレバンっていうんだよな。


い〜〜や〜〜〜

バービーガールだけで、みんなそれぞれの思い出ありすぎだね??


わたし、「思い出を共有できることが幸せ」だと思っていた。たとえば「あのシステム故障で、お客さんに迷惑かけたのマジ最悪だったよね」「部活のコーチに、尻でかいって怒鳴られてた先輩いたよね」とか。昔の面白い話って、武勇伝でもないのに、一生同じ温度感で語れる。

だから、ときに寂しい。デンマーク人が、子供の歌をみんなで歌っているとき、”知っていたかった〜〜まざって熱唱して〜〜〜”って強烈に思う。なんとなく見えない壁を感じているし、”日本だったら、わたしだっておジャ魔女カーニバル、フルで歌詞みず歌えるんだからな!”って意地を張っている。

それゆえ、できるだけ育った背景が近いひとと、時間を過ごしたいとおもっていた。そういうひとといたら、楽しく過ごせるとおもっていた。結婚するなら日本人、とおもっていた理由もここにある。無意識のうちに「思い出が共有できないことは寂しい」とすりかえていた。だってわたしが知らないあなたがいることを、切なく思うから。

でもそれぞれの思い出を持ちよるのも、たのしいのかもしれない。

きっと当時も、イマのように一生懸命生きていて、いろんなことを見てきた。その結果が、イマのあなたを作っている。だから当時見た光景を、あなたの視線の横からのぞかせてくれるだけで、きっとわたしは幸せだ。


相容れない過去を共有して、褒め合うのもアリだ。むしろ、持ち寄りパーティーのように、分担があるべきなのではないか。どれだけ一緒に過ごしていても、幸せが共有できないことのほうが、不幸なのかもしれない。



バービーガールからこんなに広がるなんて、ケンもびっくりだろう。バービーガールの思い出、また増えちゃったヨ。

お返しの愛は無限大、一緒に幸せに貪欲になりましょうね!!