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デンマークの美術・建築観光 in 第二の都市オーフス

デンマーク第二の都市、Aarhus(オーフス)に行ってきた。人口30万人くらいで、宮崎市よりちょっと少ないくらい。分かりづらいな。第二の都市とはいえ、そんなに大きくないよ、ということを言いたい。

2011年までは、Århusとデンマーク特有の表記をしていたが、国際的じゃないよね〜とAarhus表記に変更になった。髙が高に変更された感じだろうか。市議会議員の投票で変更が決まり、市の職員以外は引き続きåを使用しても構わない、という条件で運用開始したらしい。だから会社名とかは旧表示であることも。

全然関係ないけれど、「さいたま市」の「さ」って、市が公式で出す場合は2画目と3画目を離しちゃいけないって知ってた?中学でとなりの席だったさいたま市の子が、意気揚々と教えてくれたよ。

市庁舎へ行った。アルネ・ヤコブセン(Arne Emil Jacobsen)とイーレク・ムラ(Erik Møller)がコンペに勝ってデザインしたもの。

写真が微妙すぎるため、文字量で挽回していきます。アルネ・ヤコブセンはデンマークで有名なユダヤ人建築家。エッグチェアを聞いたことがあるだろうか。「北欧の椅子」と言えばこれ!と想像する人も多いエッグチェアをデザインしたのが、彼。

これです、エッグチェア
画像は拝借

もともと、SASロイヤルホテルのためにデザインされた。

まさに卵を思わせるハイバックのフォルムは、広いスペースでもひとつの空間にいるような気分を味わえます。使用者だけのプライベート空間を作り出す事でプライバシーを保つことを可能にします。

エッグチェアについて

彼の特徴は建築家でありながら、内部の家具や設備まで総合的にデザインしたところらしい。今でこそ「そりゃ全部デザインしたいよね」と思うけれど、当時からしたら、画期的だったんだろうと想像する。

だから市庁舎内の時計、椅子全てに彼らのこだわりが詰まっている。そしてこれが彼の遺作なんだとか。

各階にある時計も象徴で、こだわりの一つ

床だけでも一つの作品になりうるほどの逸品で、オークの寄木張り。BAUHUSの影響を受けているんだって。この市庁舎の近くで発掘された木らしい。あまりにも古い、けれど綺麗な状態で発見されたんだとか。だからこの濃い茶色は、なかなか他では出せないステキな色なんだと、受付の気前のいいおじちゃんが教えてくれた。

こんなところで働けたら、毎日がキャリアウーマンだぜ〜
贅沢な空間の使い方、とはこのことを言うのでしょうね。
やっぱり彼と言えば「椅子」

市庁舎をあとにしたあとの街も、美しいんだから。何がすごいって、この「一つ一つの窓に、誰かの生活が存在する」ということ。こんな映画のようなおもちゃのような街に、わたしたちと変わらないそれぞれの人生がある。

腹ごしらえにStreet Foodという名のフードコートへ。一緒に行った友達が「昔、ストリートフードといえば、アジアのお金がない人が簡単に始められる商売だった。でも今となっては、お金のある人も行くようになった。そういう人がキレイさや便利さを求めるために、フードコートが商業化してきている。結果、お金がない人が働く機会が失われた。文化の発展はときに悲しい。」と言っていた。フードコートといえば、蛙化現象の聖地だから気をつけなきゃっなんて考えていたわたし、小さすぎる。

謎の韓国料理を食べた。

そしてオーフス大聖堂。教会はいつ行っても心が洗われるもの。

曇天〜〜!!(IKKO)

ここでも、受付のお兄さんが声をかけてくれる。オーフスったら、市庁舎の受付のおじさんといい、いいひとしかいない。

そもそも、教会というのは昔の聖職者のお墓でもあるらしい。たとえば、この柱は「この聖職者が、この下に眠っていますよ」と表している。「下に棺あるのか、、、歩きづらいな、、、」と思いながらも、お寺の敷居のようにまたげる距離でもない。しっかりふみしめる。

デンマークは基本的にキリスト教で、現在8割の教会はプロテスタントと言われている。1536年に宗教改革でルター派のプロテスタントの国に。オーフス大聖堂は12世紀頃にできたとされているため、もともとカトリック教会だったのが、途中でプロテスタント教会に変わってる。

そんな歴史を歩んでいる、ってだけでも感涙なのだが、さらに興味深いのがこの写真。

装飾ぶりぶり神父(カトリック呼び)から、線のみで構成される地味な牧師(プロテスタント呼び)に変わってるの!!この人は1536年以降に亡くなったんだろう。そう、プロテスタント化した影響を受けて、お金儲けをしていたカトリック要素を排除している。おもしろい、、世界史の授業、寝ずに聴いててヨカッタ〜〜!

この地味さが今のデンマークっぽさもあって、すき。

さて次の写真。身長157センチのわたしには、届かない位置に窓があります、なんでしょう。

これは教会に入ることができない病人に、聖体拝領(パンとワインを分けるあの儀式)するための窓なんだって。細長い棒を使って、外にいる病人にも提供をしていたんだと。それにしても、こんなに高くなくていいのでは?

そしてコロナ陽性時に、地元の病院でドライブスルー的に薬をもらったことを思い出した。あの時のお医者さん、看護師はみんな優しかった。彼らからしたら 「何万分の1」の対応で疲れているはずなのに、それを一切感じない対応。本当にありがとうございました!!!!

募金箱をみてほしい。小さい紙の「mobile pay」とは日本でのPayPayみたいなもの。PayPayでお賽銭できたら、いいよね。どこまでも、効率的なんだからッ。

ちょっと足曲がってんの腹立つな(わたし)
海沿いの教会にはもれなく、海上安全祈願の船がある。
これがデンマークに綺麗に残っているフレスコ画として有名

街、再び。

「原子力?結構です!(No thank you)」
からのこの街並み
バイキング仕様の信号

大本命「ARoS」現代美術館。このレインボーの建物がもう現代美術。

写真を試行錯誤するひと
景色を見るにはやっぱり透明が一番!
「ポートレイト18連弾」(意訳)的な作品だった。
自分には色々な顔がある、気分だって違うし、見え方だけでなく感じ方だって違う。
住みてえ〜〜〜!!
Boy という4.5mある大きなアート。
見る角度によって、表情が違う。

それをよく見えるようにするため昔は窓際に展示していたが、鏡張りの部屋に展示するよう変更したらしい。

わたしが行った時期は「シュールレアリズム」のエキシビジョンだった。シュールレアリズムとは、

夢や無意識の世界を表現することを目指し、現実と非現実の境界を曖昧にする特徴がある。 シュールレアリスムの作品は、不条理で奇妙なイメージや状況を描き出し、視覚的な驚きや混乱を引き起こすことが多い。

シュールレアリズム

フロイトの著書「夢の解釈」をヒントに、無意識を表面に浮かび上がらせることをたくさん試した運動。意識よりも無意識の方が「本物」だと信じたひとたちが参加した。そのひとたちが「偶然」「夢」「不合理」「欲情」とか、そういうものをキーワードに、人間の性を理解しようとした試みだと、とらえた。

無意識を探求して、合理性に束縛されず、表現力豊かでありたい。そんなことを追求した結果、普段ではあり得ない組み合わせをしてみたり、夢で見たものを表現してみたり、感情を可視化させてみたり。

背景を知っていると、9割理解できない現代アートも、少し違った見え方をする。普通にみたら、アートとは???ってものばかりだが、「意識を超えた無意識に達したい」というチャレンジ精神からできた作品だと思うと、少しわかるかも、、と現代美術の扉を開きかけた。

鏡に写っているのは、誰
窓なのか、絵なのか
なぜ傘がミシンに出会うのか。出会ったから、何なの?とか。

ん〜やっぱり、わっかんね!!そして、シュールレアリズムで有名なのがダリ。

ダリ様の指紋が見えた。「ああ、ダリも生きていて、わたしが今こうしているように、この絵と向き合っていた時間があったんだな」と圧倒された。

その結果、ダリの作品の写真が一枚しかなかった。

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なぜ勉強をしなきゃいけないのか、子どもを納得させられる理由は持ち合わせていない。だけれども「知ること」「学ぶこと」「学ぼうとすること」は、世の中がおもしろくなるピースが増えるということだと再確認したオーフスツアーだった。

おわり

お返しの愛は無限大、一緒に幸せに貪欲になりましょうね!!