「好きなひと」って”そのひとといるときの自分が好き”なひと
そう言い切るのは、強すぎるだろうか。
恋愛に限らず、だれかと一緒にいるとき、それがおたがい作用していると、幸せが膨張する。
相手もわたしといるときの自分が好きだし、わたしも相手といるときの自分が好き。そんな人間関係に入り浸る人生にしたい。
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夢に推しが出てきた。
キモさが圧巻的だが、大きな気づきだったのでつづけさせてほしい。
不潔で気持ち悪いおじ姿だった。なのに、夢ではそのひとを「推し」と認識していた。すっぴんがこんな感じなのか、数十年後なのかはわからない。
薄汚いのに、それでも好きだった。こんなに醜くても好きなんだと驚いた。わたしもひとから「どんな姿でも、何をしていても無条件で好き!」と言われたいんだと思った。自分に対しても、そう言いたいんだとおもった。
話す機会を得たとき、彼はあまりにも愛想が悪かった。彼が人見知りなのは知っているし、第一印象で好印象を与えることは得意なので「話せるこのチャンス!懐に入るゾ」と意気込む。
話していくうちに、いくら推しとは言え、扱いづらすぎる態度に「何様?」と思えてきた。
だから途中から「わたしはどんなあなたでも推します!」と伝えつつ、「嫌われてもいいや」と相手がうざがるくらいベラベラと喋った。要は、いつものテンション。
好きなひとを目の前にしたら「好かれたい!」と好きなところをたくさん言ったり、嫌われないように合わせたりしそうなところ。
でも推しを目の前にしたとき「彼といるときのわたしが好き」じゃないと、本当の好きだと言えない気がした。
実は日頃から「彼を好きって言ってるわたしが好き」というのも彼を好きな理由の一つだな、と考えていたのだ。
だから相手がわたしを好きになってくれるかどうか、そんなのわからない。だったら、わたしが好きなわたしでいる。ここで彼にとりいるのは、ファン失格だ!と直感が降りてきたのだ。※夢の中で
逆もしかりで「彼が好きな彼でいる」ことが何よりも大事だと思った。だからわたしを好きにさせるのは諦め、彼が「わたしといるときの彼自身を好き」になるように心がけた。※夢の中で
彼に限らず、好きなひとたちが「わたしといるときの自分を好き!」と言ってくれたら、どれだけ幸せだろうか。
相手がわたしを好きになるかはどーでもよい。
相手が「わたしといるときの自分を好き」でいてくれたら良いのだ。
その攻略には「わたしが、そのひと(たち)といるときの自分を好きになること」が必要なんじゃないだろうか。
そのためには、大前提「わたしが好きなわたし」としてふるまわなければいけない。できたら普段から、難しくてもせめて好きなひとの前では、そうありたい。「好きなわたし」を隠れた奥から引っぱってくると言うより、自分を好きでいる時間を長くする、と言うニュアンス。
そういう「わたしが好きなわたし」でいるときには、「相手が好きな自分」を引き出しやすいのではないか。
あーーーーーーこれだから
「自分を愛した分しか、他人のことは愛せない」っていうのか。
「わたしは君が好きだよ」「君といるときのわたしが好き」とただ言うのではダメ。わたしがわたしを貫いて初めて、わたしも相手も「好きな自分」になれるのだ。
その結果「わたしといるときの自分が好き」と思ってもらえる。
もっと言うと、結果的にわたしのことを好きになってくれる。
だって一緒にいて好きな自分でいられる人のことを、嫌うことはとても難しいじゃない?このひとといるときのわたしは好きだけど、このひとは嫌い、ってシチュエーションが思いつかない。
わたしは、その武器を手にして、真剣に試行錯誤をした。
結局、彼の心をつかんだのかどうかは覚えていない。あいまいで、テキトウな記憶(夢)だ。
でも目が覚めたとき、わたしは大切なものを、しっかり手中に収めていた気がした。
お返しの愛は無限大、一緒に幸せに貪欲になりましょうね!!