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崑崙舍 田上一彦 の執筆、公開開始。

崑崙舍を創った田上一彦の著書や各種執筆の有料公開を開始します。

まずは1996年に出版した『内なる崑崙を訪ねて』をアップロードします。
第一章、前衛ジャズのバンドマンだった著者が日本を飛び出でインドの土を踏むまでの約4000字が無料で読めますのでぜひ読んでみてください☺️
随時更新してまいりますので、ぜひフォローをよろしくお願いします。

『内なる崑崙を訪ねて』全章 一冊 まとめ読み 1500円 
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『内なる崑崙を訪ねて』

インド・ヒマラヤ巡礼と遊行

田上 一彦


目 次

はじめに
第一章 インド断章
 日本脱出/カルカッタ/ラジャスタン州/タミールナドゥ州/ケララ州/マドラス市街/アムリッツア 
第二章 ラダックの日々
 神道発見/ラダックのチベット世界
第三章 ヒマラヤの霊たち
 魔女の呪殺/ヒマラヤの足音/境界のチョルテン
第四章 女神との遭遇
 女神との遭遇/チベットの霊的世界
第五章 女神追慕
 女神追慕(シャンバラ)/真珠の歌
第六章 仮面収集の風景
 仮面収集の風景/仮面とのであい/ヒマラヤの仮面
あとがき


〈一部無料で読めます↓〉
第一章 インド断章〜日本脱出


 目の眩むような感動とうだる怠惰。爆発するかのような感激と痛みにも似た嫌悪。戦きすら覚える美女と目を背けさせる醜怪な病人。目を覆う貧困。極端な富の偏在は驚くべき芸術を生み出した。気候風土を含めたあらゆる両極が同居する世界。
 インドの旅は、旅行者の選択によってどのような形にもなる。王侯貴族にもなれるし赤貧の乞食にもなれる。ガイドブックなどを開かずに、感性というこころの窓口さえ開いていれば、各自が自由な視線から、相応の楽しみや感動、苦痛を味わうことができる国だ。しかし、それすらもやがては自己確認に過ぎないことに気付かされるのだが。
 インドはあまりにも巨大な象だ。その全身を見ることなど誰にもできない。旅に出た数人の盲人が、始めて象に触れて象を解説するという仏教説話があるが、各人はそれぞれの触れた部分でしか象をイメージできないのである。鼻に触れた者、耳に触れた者、足に触れた者、大きな腹に触れた者は、それぞれ触れた部分からしか象の全身を想像することができないように、旅行者は自分の許容範囲の中で感性のスクリーンに投影するインドを見ているだけだ。当然ながら許容限度を超えたものは映ることはない。自分の見たいものを見ているに過ぎないのかもしれない。またそれは、観測機材の発達とともに膨張する宇宙のようでもある。
 この両極端の同居する壮大な舞台に立つ者は、圧倒的な流れに呑み込まれて翻弄される自己を楽しむか、丈夫な装備で感性を覆い無関心を決め込み、全てを拒絶するかを選択しなければならない。それによって出演してくる役者たちの吐く言葉は大いに違ってくるのである。この国との遭遇は感性の鏡に映る自己との対面でもある。言い訳や理屈など通用しない。
 そこでは、死、腐敗、糞尿などという正視されることのなかったものが、白日の下にさらけ出されている。すこし目を日陰にやると、痛みすら覚えるような悲惨さがころがっている。無論、驚くべき享楽と歓喜も同居している。逃げ帰る温かい巣の無い生活。あらゆる結果が自己に帰するという当然の事を、何の遠慮もなくダイレクトに体認させてくれる人間達。そうしたフィルターを通さない直接的な毎日の出来事は、普段、意識的か無意識的にそれから眼をそらせて過ごしている、自分自身にも隠したい部分、そうした己の掛け値なしの姿を否応なく自分自身にさらけ出させてしまう。その少々苦みのある事さえも、なにか他人事のように興味ある観察の対象となってしまうような国だ。
 世界は感性の窓口を開く程に大きく広がってゆく。視点というスイッチを変える度に同じ場所であっても異なった世界が同居していたことに気付かされる。巨万の富を蓄えた人も、道端で生まれて塵にまみれて暮らす人もそれぞれが興味深い世界を持った役者だ。演技に熱中する者もいれば、淡々と演じる者。演技を放棄する者もいる。この舞台は複雑に錯綜した綴れ錦だ。ソデと客席があらゆる方向にある。一つの模様の端は別の模様に繋がって巨大な布の端はどこにもない。
 喫茶店でまづいコーヒーを啜りながら妙な理屈を並べていた姿自体があほらしくなる。温室の中だった。あんなことを真剣にやってたんか。竹ザオと石を手にすることが本当の音楽に繋がる道だなどと本気で考えていたなんて、我ながら信じられない。


日本脱出

 学生運動の仲間たちは大学へ進学した。
 「造反有理、帝大解体」と毛沢東の言葉を何枚もプラカードに書いた者たちが進学していった。反対していた大学に行くことなど考えもしなかったし、行ける大学もなかった。こだわりを持ちながら、自分の音楽を追い続けようとするのだが、どうしてもそれは観念的であり、肥大化する理屈に縛られて自由を失ってゆくジレンマを感じていた。酒が飲めなかったために、酒に逃避することも出来ず、高いドラッグを買うこともできない。タバコの煙にむせながら理屈と大風呂敷を広げて、自分たちを正当化する自称ミュージシャンの一人として不健康な中に蠢くしかなかった。
 京都の京大西部講堂で、当時評判であった前衛ジャズトリオの前座出演があった。本人たちは憧れのジャズトリオの前座ということで相当緊張していたのだが、いざ着いてみると前座の前座でジャズトリオはまだ来ていない。実際は前座の前座というか、時間調整の応急出演であった。その程度の扱いならその分派手に暴れてやろうと大変だった。ギターは最後には弦が無くなってしまい、何かの破片でピックアップを叩いているし、ドラムも皮を破りスタンドを壊した。自分のベースはというとお告げを受けていたジミ・ヘンの真似をしてアンプと楽器を擦りあわせて煙を上げる。紫の煙が見えた。弦楽器は微妙なズレを表現できるのでアンプで擦ったフィードバックされた音をモチーフにして展開させる。後のバンドのことなどお構いなし。演奏なのかノイズなのか、音楽なのか体操なのか舞台の上の本人たちもコントロールが外れていた。ブルースでもない凶暴でアヴァンギャルド的な音楽が大いに受けた。調子外れを時代が求めていたのだ。
 演奏後、「黒テント」という名刺をもった長髪の男がやってきて、夏にかけてイスラエルのキブツからヨーロッパのツアーをやるのに一緒に来ないかと誘われた。「黒テント」というのは演劇集団で、巨大なサーカステントのようなものを張って全国を公演しているという。「黒テント」から「黒ヘル」の話になり、大いに話が盛り上がった。長髪の男はついついパレスチナの話をし、日本赤軍のこともちらつかせた。興奮して話にのめり込んだのは自分だけで、他のギターとドラムは白けた不安そうな顔をして最後まで沈黙していた。彼らは学生運動とは無縁だったから刺激が強かったのだろう。「黒テント」のマネージャーが帰った後で真剣に話はじめた。
 「おまえ、この話は絶対にやばいぞ」
 「赤軍なんかと演奏なんかできる筈がないやろ」
 「おれらは、いけへんからな」
 説得する余地はない。膨らんだ風船はすぐにしぼんでしまった。
 そのマネージャーは、ヨーロッパの音楽環境の良さを大いに宣伝していた。ドイツには古い弦楽器が沢山残っていて、気に入ったものを選んで修理することで自分の音が見つかるなどと言い、楽器修理の名人を何人も知っているから紹介しようなどと「飴」を見せた。
 こんな国で、理屈ばかり並べていてもしょうがない。
 「ドイツへ行こう。楽器を捜して修行や」
 それは、終業式で飛び入りの答辞を思いついた気分と同じ感覚だった。宣言にも似た答辞を発するというその行為は、以後の自分を縛る足枷のようなものになってしまった。数百人の前での宣言は、数百人の自分に対する妥協の許されない誓いのようにもなったのだ。
 「楽器欲しいから仕事するわ。ちょっと練習できへんけど」
 メンバーに言い訳をして、旅費稼ぎの昼夜のかけもち仕事を始めた。
 本屋で旅行案内を立ち読みしていると、『アジアを歩く』という小さな本が目についた。ヨーロッパからアジアを経由して陸路で日本に戻るというコースの紹介書だったが、他の本にはないエネルギーに溢れていた。安宿やローカルバス、闇両替、強盗、詐欺などという言葉には妙な力があった。
 「アジアの旅はアコガレへの旅ではない。甘い感傷や美しい夢を根こそぎにする現実への旅立ちである。それなりの強い意志と覚悟を要求される。何事も自分の意志と決断のもとで行動せねばならなぬ自立と孤独の旅である。少なくとも、本書で紹介する可能な限り陸路を利用する旅は、それだけに格別厳しく、味のあるものである。旅とはできる限り自由で、勝手気儘、目的がなく、際限がないのが理想であろう。」
 まえがきには「触れるべからず」か「立入り禁止」を思わせるような文章があったが、それがまた怠惰な日常から脱出しようとする者を鼓舞するように思えたのだ。
 数日後からは、肉体鍛練だと、コンクリートブロックを二個背負って仕事にでかけ始めた。建築作業の手伝いだ。満員電車やバスの中でも肩から降ろさない。近くの者はさぞ迷惑したことだろう。友人たちとの会話もこの小さな本のことばかりだ。
 「どうせ行くならこの逆コースでドイツへ行けるやろ」
 「ネパールのカトマンズからはロンドン行きのバスが出てるらしいで」
 「なんでそんなバスがあんねん」
 「車体を改造して麻薬を運ぶのが理由で、客は飾りなんやて」
 「そんなもんつかまったらどないなるんやろ」
 「同罪やろな。一グラムで一年の刑務所らしいで」
 「資金作りはもう飽きた。ヨーロッパでも働けるし出発や」
 出発への準備をはじめた時「ディスカウントチケット」そんなチラシを誰かが見つけてきた。その事務所に電話をすると何とも信じられないような値段を告げられた。早速その事務所を訪ねて行く太融寺近くの汚いビルの二階だった。扉を開けると小さな机が二つに子供のような可愛い女の子が一人。
 「ここ切符売ってんの」
 「そうですよ」
 電話の声だった。不審そうに部屋の中を見回す男の視線を無視して尋ねる。
 「何処まで行かれるのですか」
 「ドイツ、いやインドまで。片道で欲しいんや」
 「予約確認して、空席があれば当日空港でチケットを渡します。料金は予約が取れたら入金して下さい」
 電話が何台か置かれてある他に何もない事務所。どうも安心しがたい雰囲気が漂っている。出発日を告げて外に出た。
 「おい、これ詐欺とちやうか。あやしいぞ」
 「そうや安すぎるし、なんで空港でしか切符が貰われへんねん」
 他の二人は、バンドメンバーではない。ふたりとも自分たちのバンドのファンで、日本脱出という共通の出発点が一致した知り合いであった。ヒマラヤにトレッキング目的の者と、インド旅行を目的のパチプロだ。ふたりとも一日で数万円を稼ぐ腕を持っている。
 「肉体労働なんかせんでも椅子に座って楽に金が稼げるから」
 そう言ってパチンコ技術の指導をしてくれたのだが、焼けた鉄玉の臭いと、神経を乱す音楽はとても辛抱できない。路上で肉体労働のほうが自分には向いていた。 



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