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『季節労働⁉老舗百貨店で学生服販売②』

   この仕事何が良かったかって、とにかくギャラが半端なく良かった。世の中バブル時代でもあったので、当時はどの業界もそうであったと思われます。3つ上の女子の先輩の話ですが、卒業後ある商社に総合職で就職、その会社の業績が好調で1年目から大盤振る舞いのボーナスが貰えて、2年目の夏には都内に、中古ですが即金でマンション購入してたりと。これはだいぶ良い例かもしれませんが、そんな時代でしたね。
 そんなわけで、老舗の百貨店、業界的にも社員の給料は良い時代。バイトではなく契約社員という〝カタチ〟をとっていたのは、前述のように、仕事内容の制限解除の意味合いがありましたが、ギャラの制限も無いようにするためのものでもあったようで、しっかり働いてもらいます、その分ちゃんと払いますって事。2年目3年目などは、ワンシーズン(実質2か月半〜3ヶ月ほど)働いて、当時の4年生大学新卒社員の平均年収くらい頂いていました。今考えると、ホントに!?って疑いたくなるような、とんでもない話でしたね。
 ただ、そのピーク時の仕事内容も制限解除されているので、半端なく詰まっていました。そりゃあ、学生服販売部としても、年間の売り上げ実績のほぼ全てを、3-4月の2か月に集約されるわけなので、当然といえば当然な状態。
 当時の池袋三越従業員の出勤場所は、店舗(現在ヤマダ電機となっている建物)ではなく、裏の道を渡ったところにある別館にあった。一見別のビルなのだが、その裏には大型トラックなどが着けられる搬入スペースがあり、各部署のバックヤードもあった。そこから地下の専用通路を通って店舗の建物に人も商品も行くことができた。学生服販売の部署のバックヤードもその建物にあり、社員さんの事務机や作業台、各学校の指定ボタンが入っている引き出しなどもあり、ピーク時には仕立てあがった制服の入った箱が山積みになって壁のようになっている時期もあった。

 当時は東上線沿線に住みだしたので、電車一本で池袋に行けた。東口の駅前の明治通りを地下道から渡り地上へ、店舗の建物の脇の道を通り抜け、豊島公会堂(現としま区民センターあたり)の手前、中池袋公園に抜ける道に進んだところの右手に別館入り口があった。基本的には朝9時出勤だったかな。皆バックヤードに集合、同じ委員会からの仕事仲間のS田はだいたい既に来ていてコーヒー飲んでいたりする。もう一人のK池や俺はぎりぎり出勤が常。同期だと、その他に同じ大学の別サークルからも同じような条件で契約社員になっていたK保木がいた。社員さんや他先輩方など揃ったあたりで朝礼となる。と言っても堅苦しい話があるわけではなく、その日の予定や流れに合わせてのポジション発表となる。基本は本館の売り場に立つのだが、店舗販売のピークが過ぎ、仕立て上がりが納品される時期になると、接客しっかりしていたS田やK保木は売り場が多く、俺はバックヤード仕事が多くなっていたな。元来が下町育ちのガサツな性格。老舗百貨店向きでの接客向きでは無いのを社員さんに見抜かれていたんだと思う。その分、バックヤード仕事、特に仕上がり品の検品作業は手早くて、2年目のころは社員さんや先輩から「検品の鬼」の称号(笑)をいただいたりした。
 納品され積み上げられた箱から、一つ一つ取り出して、仕上がり品が伝票の仕立て指示とサイズや寸法が間違っていないかメジャーを使って採寸。間違っていなければ、きれいにたたみ直して箱に戻し発送へ。仕立てサイズが間違っていた場合は、店内ので対処できるものは『お直し』へ。店内対応できそうにないくらい違っているものは再注文なり再度仕立て直し依頼へ。などと仕分けるという作業。決して適当にやっていたわけではないのだが、他の人がやっている倍くらいのスピードで処理できていたので、かなり重宝された故の称号(笑)だった。検品だけで三越就職に推薦してもいい。なんて社員さんも言ってくれていたり、まぁうまく乗せられて楽しく仕事やらせてもらっていたわけなんですが。
 そうそう、売り場やバックヤード仕事以外に、電話受付っていうのもあって、他部署のブースも並ぶ電話部屋での仕事なんだが、なぜかK池がここのポジションが多かった気がする。ほぼクレーム処理の電話受付となるこのポジション、ピーク時に複数で受ける体制の時、数度やったが処理についてはほとんどK池に聞いて処理伝票を作った気がする。そして、なかなか気持ちが萎える仕事でもあった。うまくこなしていたK池はハート強いなって思ってたな。
    その他、提携の学校へ出向いての、販売会などに出向く事もあり、列に並ぶ新入生を相手に、採寸しまくる事もあったり。仕上がり品がサイズ合わないとクレームがあったら、送り返してもらってから直していては、入学式に間に合わないから等、入学式前の数日は、各制服の入った箱を何個も持って、電車移動して各家庭にクレーム対応の行脚もしたりしました。持っていったその場で、試着してもらい確認。丁重にお詫びして、場合によっては『菓子折り』持っていったりね。これは、だいたい1人で行ってたな。
     数年前のこと、当時は全く関連のなかった、現居住地の所沢まで箱抱えて出向いた事。その場所を通った時フラッシュバック的に思い出した事もありました。駅から遠くて、20分以上歩いてね。このようなクレーム処理の直接納品は、物怖じしないタイプと見極められてか、結構な割合で俺の仕事だった気がします。
    話上手で接客上手かったS田、人当たり良くオールラウンダーのK保木、電話対応のテクニシャンK池と同期メンツがそれぞれの個性でうまく適材適所にハマっていた。大きな仕事をそれぞれの能力で組み立てる。そこの場で一から十まで完結ではなく専門的なことは他の会社や部署がやる。そんな『仕事の面白さ』を勉強させてもらえた場所でした。
 そうそう売り場には、もちろん女子の制服もあったわけで、男性が採寸するわけにもいかないわけで、逆に男子の採寸を女子はできるわけで(笑)。そうなると売り場は女性スタッフが多くいたんですわぁ、レジ打ち専門の社員さんも女性だったりね・・・年頃男子の俺らはそれなりの妄想膨らますのは、いたしかない状況だったのは想像つくと思います。仲良くなりたいモード抑えきれず、売り場で話しかけ盛り上がりすぎて、ベテラン女性社員に怒られたりね・・・あぁっ、それが過ぎたから、俺はバックヤード中心になったのかぁ⁉
 売り場ピーク時は朝から終電までみっちり働いたり、帰れなくてサウナに泊まったりなんてこともありましたが、そうでもない時期には社員も含めた全体の飲み会も良くあったな。昭和~平成変換期、仕事場の親睦は飲み会ってのが当たり前の時代。今では考えられないのかな?強制されるわけでもなかったけど、当たり前に参加。もちろん大いに楽しんでいた。当時も、そんな中にはそれが嫌だった人もいたのかなぁ、自分が楽しんでいたので気づかなかっただけでね。
 全体の打ち上げ的な時は、会社から出ていたのか、社員さんが出してくれていたのか、1次会は支払い無し、2次回以降も補助が出たりなんてのもあったっけなぁ。その他、俺らバイトや若手だけの飲み会や、さらに仲良くなった気の合うメンツだけの飲み会なんかも、忙しかったけど、そこそこあった。俺発信で段取り着けたことなかったので、その辺の段取りはS田が上手くやっていたのだろう。おかげさまで、他大学のNちゃんと仲良くなれて妄想が現実に、プライベートも楽しくやらせてもらっていました。ほら、ギャラも半端なく良かったうえ、背伸びして大人ぶりたい年頃だった、さらに世の中は浮かれたバブル期。デートでフルコースディナー食べて夜景の綺麗なバーに行って、タクシーで彼女の家に送る・・・なんて妄想は全て現実的に叶えられたわけでした。
     Nちゃん何やっているのかな?って、そんなノスタルジックになるのは男だけということは知ってます。俺のことなんぞ微塵も思い出さない生活してるはずですよね。
 そんな甘酸っぱい思い出もあった池袋三越の学生服売り場は、大学1年~3年までの3年間のうちの3月4月に週6~7日で入って、5月6月が週2~4日といった季節労働的な、楽しい仕事場でした。

以上、学生服売り場編はここまで。
次回
『なんちゃってスイミングインストラクター編』
でお会いしましょう。

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