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プリンセス・クルセイド 第2部「ザ・ナイト・オブ・ヴァンパイア」 #1 【鍛冶屋の娘と王子様】 3

 城の応接室に通されたアンバーは、どこか居心地の悪さを感じていた。座っている椅子はフカフカで快適だ。目の前の円形テーブルもきらびやかに飾られてはいるものの、決して華美にすぎるものではない。部屋の片隅から聞こえてくるバイオリンは穏やかな音色を奏でる。恐れることなど何もないはずだ。だがそれでも、落ち着かないものは落ち着かない。

「……アンバーさん」

「はいっ!」

 突然後ろから声をかけられ、アンバーは椅子から飛び上がった。驚きのままに振り返ると、女性の騎士が戸惑いがちにこちらを見ていた。

「あの……大丈夫ですか? どこか具合でも悪いのでしょうか?」

「ああ、ガーネットさん……大丈夫ですよ」

 アンバーは注意深く椅子に座り直しながら騎士に答えた。

「アンバー、何も今から緊張なさることはありませんわよ」

 その様子を見て、隣に座るイキシアがアンバーに話しかけてくる。

「まだ王子はいらっしゃっていないのですから。いつもどおりにしていればよろしいのですわ」

「き、緊張なんてしてないよ? 全然いつもどおりでしょ?」

「そうなのですか? 私はアンバー様と出会ってから日が浅いもので……」

 弁解するアンバーを見て、イキシアの隣のタンザナが首を傾げる。

「では、このところは本調子でなかったということですね。とても落ち着いた方だと見受けられたのですが、やはり人は見た目では外見しか分からないということですか……」

「……いえ、嘘ですタンザナさん。実は緊張しています」

 腕組みをして考え込むタンザナを見かねて、アンバーは正直に白状した。

「心配することは何もありませんよ、アンバーさん」

 ガーネットの手が優しくアンバーの肩に触れた。

「ドレスも素敵です。本当によくお似合いですよ」

「ありがとうございます。ガーネットさん」

 アンバーはガーネットに礼を言った。彼女の言うとおり、今日のアンバーはエメラルドグリーンのドレスを着ている。城に招かれたからには、失礼のないようにと、精一杯着飾った格好だ。

「普段より一層素敵に見えますよ」

「そんな……やめてください」

「いえいえ、本当のことですから。謙遜なさることはありません」

 ガーネットはいつになく饒舌だった。アンバーは騎士としての任務で鍛冶屋にやってくる彼女しか知らない。いつも冷静沈着で淡々としている印象を受けていたが、どうやらこういう一面もあるらしい。先程のタンザナではないが、人は見た目では分からないということか。

(……まあ、タンザナさんは違うように言ってたけどね)

 アンバーは思わず頬を緩めた。

「良かった、アンバーさん。あなたはやはり笑顔が一番ですね」

 それを見て、ガーネットも優しく微笑んだ時、応接室の扉が静かに開き、誰かが入室してくる気配がした。

「……こんばんは、皆さん。お待たしてしまいましたか?」

「あ、アキレア王子……!?」

 現れたのはアキレア・シュワーヴ王子その人だった。来賓との面会用衣装に身を包んだ彼は、ガーネットの驚きをよそに、スタスタとテーブルに向かってきた。

「王子、少しお待ちを! そんないきなり……ジュリアン殿や隊長の付き添いもなしに――」

「護衛なら君がいるじゃないか」

 王子は冗談めかしてガーネットに微笑みかけると、そのまま足を止めずにしなやかにアンバーの隣の椅子を引いて腰掛け、そのまま話を始めた。

「いきなり呼び出して申し訳ない、アンバー。ただ、どうしても一度しっかりと話しておきたかったんだ。君は――」

「……あの、王子様?」

 一気に畳みかけてくる王子を、アンバーはためらいがちに止めた。

「……どうした?」

「あ、いえ……別にいいんですが……その……王子様は非常に友好的なんですね?」

「……友好的?」

 王子はアンバーの指摘を受け、二、三度瞬きすると、我に返ったように息を呑んだ。

「あ……ああ! これは申し訳ない。わ、私はつい……その……」

 王子は弁明するように手を振り、目を泳がせながらイキシアのほうを見た。

「い、イキシア王女のお友達だと伺ったものですから……それでつい、いつも王女に話しかけるのと同じように……申し訳ございません」

「あの……えっと……そういうことなら……いいですよ」

 何がどういうことならいいのか、アンバーは自分でも分かっていなかった。ただ、それまで漠然と抱いていたイメージとはまったく異なる王子の姿に、うろたえているのは確かだった。

「そうですわよ、王子。うっかりすることは誰にでもあること……」

 アンバーと王子のぎこちない会話に、イキシアが夢見心地な声で会話に割り込んできた。

「でも、そんなうっかりした王子も……素敵です」

「ありがとう、イキシア」

 イキシアの声は、それまで聞いたこともないほどに甘い響きがした。そんな彼女に、王子は優しく微笑みかける。

「久しぶりだな。前に会ったのはいつだった?」

「去年のわたくしの誕生日に、マクスヤーデンにお越し頂いて以来ですわ。あの時の王子も――」

「あの……少しよろしいですか?」

 今度はタンザナがイキシアと王子の会話に割り込んだ。

「王子様、このようなことを言うのはいささか心苦しいのですが……何か大切なことをお忘れではないでしょうか?」

「大切なこと……?」

 王子は我が身を見て、続いてガーネットを振り返った。気高い女性騎士は、射抜くような鋭い視線で王子に何事かを訴えていた。

「……こ、これは失礼いたしました」

 王子はようやく答えに思い至ったのか、慌てて席を立った。そして衣装を軽く整えてから、深々と頭を下げる。

「皆さま、エアリッタ城へようこそおいでくださいました。私はアキレア・シュワーヴ。どうか今夜は心ゆくまで楽しい時をおすごしください」

 形式ばった挨拶を済ませると、王子は顔を上げて穏やかに微笑んだ。

「これでよろしいですか? タンザナさん?」

「ええ……ええ。そう、まさにそのようにご挨拶いただきたかったのです!」

 タンザナは大袈裟に頷いてみせると、さらに満足感を強調させるように豊かな胸を上に乗せて腕組みした。

(嘘ばっかり……)

 それを見て口に出かけた言葉を、アンバーはこっそりと飲み込んだ。何事も見た目どおりとは限らない。だが、やがてもう一度扉が開いてご馳走が運び込まれた時、タンザナの顔に浮かんだ表情を見て、アンバーの疑念は確信に変わった。

続く

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