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プリンセス・クルセイド 第2部「ザ・ナイト・オブ・ヴァンパイア」 #3 【目覚める脅威】 1

「ここは……?」

 目を覚ましたそのとき、カーネリアは自分の居場所を認識できなかった。柔らかな温もりに包まれる体の感触から、どうやら快適なベッドの上に横たわっていることと、はっきりとしない視界に映る天井から、丈夫な屋根の下で仰向けに寝ているらしきことは分かる。だが、この状況に至るまでの過程は、彼女の記憶から丸ごと抜け落ちていた。

「……お目覚めですか?」

「……!」

 急に聞こえてきた声に驚き、カーネリアは咄嗟に体を起こした。

「ああ、そんなに脅えなくても大丈夫ですよ。ここは安全ですから」

 カーネリアの視線の先には、ベッド脇に置かれていた椅子に座る銀髪の女性の姿があった。

「あ、あなたは……?」

「私ですか? 私の名前はタンザナと申します。初めまして、カーネリアさん」

「ど、どうして私を……?」

 突然名前を言い当てられ、カーネリアはさらに警戒を強めて身を固くした。

「ああ、それはですね……」

 だが、タンザナはそれをまったく気にせず、マイペースで話を続ける。

「先程アンバー様が紹介して下さったのですよ」

「アンバー?」

 カーネリアはタンザナの挙げた名前に聞き覚えがあった。そう遠くない過去に聞いた名だ。記憶の糸をたどっていくと、徐々に顔が思い浮かんでくる。

「……あのブロンドのお姉さんのこと?」

「……はい、そのとおりです。ああ、噂をすれば!」

 会話の途中で階段を上る足音が聞こえ、タンザナはおもむろに立ち上がった。カーネリアもつられて体を階段のほうに向ける。すると、階下から他ならぬアンバーが上がってくるのが見えた。

「カーネリアちゃん! 起きてたんだね」

 カーネリアと目が合ったアンバーはたおやかに微笑むと、タンザナのもとへと歩み寄ってきた。

「ありがとうございます、タンザナさん。カーネリアちゃんのことを見ていただいて」

「礼には及びません、アンバー様。この私が受けた恩は、この程度で返しきれるものではありませんので」

 タンザナはそう言ってアンバーの前に跪くと、恭しく頭を下げた。見たところタンザナは明らかにアンバーよりも年上で、アンバーの身なりも上流階級のそれではない。カーネリアがその光景を理解できずに訝しんでいると、アンバーが苦笑しながら声をかけてきた。

「ああ、気にしなくていいよ、カーネリアちゃん。タンザナさんはいつもこんな感じだから」

「こんな感じって……」

 カーネリアは頭を下げたままのタンザナをまじまじと眺めた。どうやら、彼女はいわゆるまともな人間ではないらしい。そんな彼女が、比較的まともそうに見えるアンバーに傅いている。この事態を理解するのは、おそらく長い時間がかかるだろう――そこまで考えたとき、不意にカーネリアの腹が鳴った。

「いけない、忘れてた!」

 その音を聞き付けたアンバーが声を上げた。

「カーネリアちゃん、晩ご飯まだだったよね。今からでも食べる?」

「ご飯……? 私の?」

「……あれ? いらなかった?」

 アンバーが尋ね直したとき、もう一度カーネリアの腹が鳴った。

「……いる」

 カーネリアの警戒心は、まだ完全に解かれたわけではなかった。だが腹が満たされれば、今の混乱も少しは収まるかもしれない。そう考えた彼女は、アンバーの誘いに乗ることにした。それを聞いて嬉しそうに微笑むアンバーの袖を、跪いたままのタンザナが引っ張った。

「……? タンザナさん、どうしたんですか?」

「そのう……その晩ご飯ですが……私も頂くわけにはいかないでしょうか?」

 タンザナが遠慮がちに尋ねると、アンバーは困惑したような表情を見せた。

「ええっと……タンザナさんはさっき食べましたよね?」

「それでも食べてはいけないですか?」

 タンザナは今や、目を潤ませてアンバーを見上げていた。その姿からは、得体の知れない悲壮感が滲み出ており、カーネリアにまでその想いが伝わってきた。

「……分かりました。じゃあ、タンザナさんも食べていいですよ」

「ありがとうございます! ではお先に!」

 その必死な懇願にほだされたアンバーが許可を出すと、タンザナは勇んで立ち上がった。そして脱兎の如く階段へと向かい、そのまま階下へと瞬く間に駆け下りていった。

「……本当に食いしん坊だなあ、タンザナさんは」

 それを見送りながら、アンバーが呆れたように呟いた。その間にカーネリアはベッドから下り、彼女の隣に近づいて話しかけた。

「あのタンザナって人、何なの?」

「うーん……友達……かな?」

「友達……?」

 今一つはっきりしない会話をしながら、アンバーとともに階下へと向かうと、小綺麗なリビングがカーネリアを迎えた。こちらもまた、彼女の記憶の中にはない光景だったが、隣接する食卓に移動すると、タンザナが背筋をピンと伸ばして礼儀正しく席に座っていた。

「行動が早いですね、タンザナさん。手は洗いましたか?」

「もちろんです!」

 アンバーの質問に、タンザナは親指を立てて自信満々に答えた。アンバーはそのままキッチンに向かい、カーネリアはタンザナの向かいに腰掛けた。ほどなくして、ほどよく香辛料の利いた香りが食卓に広がってくる。

「ああ、この香りはカレーですね。口にした時の忘れ難い思い出がありありと目に浮かぶようです」

「まあ、食べたばかりですからね……」

 感極まるタンザナに、料理を運んできたアンバーが相槌を打った。お盆の上の丸い皿に盛られているのは、タンザナの予想どおりにカレーライスだった。アンバーはそれをタンザナとカーネリアの前に置くと、続けてスプーンとコップ一杯の水を手際良く並べた。

「さあ、召し上がれ」

「「いただきます」」

 カーネリアとタンザナはほぼ同時に手を合わせ、食事を始めた。アンバーのカレーは、一口食べただけで風味が口に広がり、それでいて存在感のある辛さが、快い刺激を脳にもたらした。簡潔に言えば、暖かく、それでいて力強い味わいで、カーネリアにとって初めての体験だった。

「気に入ってもらえたみたいだね、よかった」

 そんな感想が顔に出ていたのか、アンバーはカーネリアを見て優しく微笑んだ。

「でも、今日は色々大変だったね。屋敷じゃジェダイトと闘うことになっちゃって……」

「ジェダイト……?」

 カーネリアは首を傾げて記憶をたどった。

「ああ、あの怪しいオバさんね」

 食事を続けながら話している内に、カーネリアは少しずつ記憶を蘇らせていった。

「あの時、なんかよく分からない場所に連れてかれて、その人を倒したら戻ってきて……それから?」

「それからすぐに、カーネリアちゃんは倒れちゃったんだよ。それで私の家まで連れてきて……今まで眠ってたんだ」

「そうだったんだ……」

 これで記憶がすべて繋がった。おそらくはあの奇妙な空間での闘いのせいで、過剰に魔力を消費してしまったのだろう。アンバーが面倒を見てくれなかったら、今頃どうなっていたか分からない。

「ありがとう、アンバー。私を助けてくれたんだね」

「そんな……私はただ、ほっとけなかっただけだから」

 カーネリアが礼を言うと、アンバーは照れ臭そうに顔を掻いた。

「でも、少し残念だったね。あの屋敷のことは、結局よく分からないままで」

「まあ、うん……それはまた明日行ってみることにしようかな」

「……もし、少しよろしいですか?」

 話題が屋敷に移ったとき、不意にタンザナが会話に割り込んできた。

「どうしましたか、タンザナさん?」

「カーネリアさんはアンバー様とあの屋敷にいってらしたのですか? どうしてそのようなことを?」

「ああ、それは――」

「ヴァンパイアを探してたんです」

 答えようとするアンバーを遮り、カーネリアが代わりに答えた。

「タンザナさん、あなたは何か知りませんか? ヴァンパイアのこと」

「ヴァンパイア……」

 カーネリアの質問を、タンザナは反芻するように呟いた。そしてつかの間の沈黙ののち、彼女はおもむろに立ち上がった。

「タンザナさん?」

「ごちそうさまでした、アンバー様。失礼ですが、私はもう寝ることにしますので」

 タンザナはそれだけ言い残すと、そのまま食卓を去っていった。

「ま、待ってくださいよ、タンザナさん!」

 困惑して追いかけていくアンバーを見送りながら、食卓に残されたカーネリアは密かに決意めいた思いを胸に抱いていた。
 タンザナはヴァンパイアに関して、何か重大な事実を隠しているに違いない。これからは屋敷だけではなく、彼女のことも詳しく調べていこうと。

2へ続く

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