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破壊点

一度目にそれを見たときに予感を感じ、二度目にはそれは確信に変わった。三度目はそれが期待に変わり、僕はこれまでで何も期待したことがなかったのにと思い少しおかしくなった。

しかしおかしくなったからといってすぐに笑ってしまえるほど僕は単純な人間ではなかったし、単純な人間であることを何よりも嫌っていた。

単純ではなく複雑だと思うことで自分を特別だと思い込もうとしていた。そして人より複雑であり、特別というのは自分を守るためには必要不可欠な感情だった。

試しに笑おうとする。最後の最後に期待をしてしまった愚かな自分を。しかし笑えない。ははは、と笑い声に似た声を出してみる。それでもその声は表情のない言葉にしかならず、僕は自分が笑っていないことに少しだけ安堵していた。

安堵してしまうとほんの少し笑えそうな気がした。しかしそれも叶わなかった。僕の感情は僕よりも先に人生を諦めたのかもしれない。それに対して怒りも湧いてこない。

心を落ち着ける必要もなく、ずっと心は凪いでいた。凪ぐという穏やかなものではなく、ただ虚無だったのかもしれない。今となってはそれはどっちでもいいことだ。僕はそれを手に取ってその丈夫さを、自分の身を任せることになるそれの頑丈さを確かめた。

それはちくちくとしていて、どこかざらりともしていた。渇いた匂いがするくせに、どこか湿った印象もあった。結び目をもう一度見つめる。今度は何も思わない、感じない。その期待すらもすでに過去のことで、僕がそれを置いてきたのか、期待が僕に追従することを諦めたのかそばにはいない。

そもそもなぜ期待があったのか分からない。終えることに対してだろうか。その瞬間にやってくる最大の衝撃に対してだろうか。だとしたら僕はひどく単純な人間に思えた。しかしそれを嫌悪する感情はなかった。

単純である自分を受け入れてしまえたのは皮肉なことだが、自分が自分に収束していく感覚はあった。

複雑化した自分は自分であることを離れ、自分であることをやめたものもあった。でもそれらは最終的には主人のもとに集まり、僕自身として全てが迎合した。

だからといって何の変化もなかった。もともと僕はそれほど特別でもないし、取り立てて面白味のない人間なのだろう。自分が自分であったとしてもそこには何の喜びも興奮も感動もなかった。世界が僕に影響をもたらすことはあっても、僕が世界に少しでも影響を及ぼすことはなかった。

その結び目を眺めると今度はまた予感が走った。しかし次の確信はなかった。確信はすでに僕に迎合して、僕に内在していた。

それを持ち上げてゆっくりと壁に掛ける。期待はずっとあった。何かが変わるかもしれないという大きくて馬鹿馬鹿しい期待が。そんな可能性は微塵もないのに、なぜか変化の兆しがそこには芽吹いているように思えて仕方がなかった。

それは重たいせいか、伸ばした手が震えた。何かをしっかりと持ったということも随分久しぶりな気もする。持つという行為は生きることと直結していると思えてならなかったが、すぐにその考えを打ち消す。

それに意味はないのだが、意味があるように思えてならなかった。それはある種の執着なのかもしれなかった。

執着。僕は僕に執着をしているのだろうか。だとした僕の何に対して。自分に生まれたかもしれない執着の、その対象が何なのか僕には分からなかった。きっとそれは執着ではなかったのだと自分に言い聞かす。僕が僕に執着をしてどうする。それは何になる。弱った自分を鼓舞する。

いよいよそのときが近づいてきた。感情は僕を諦めたくせに今頃になってその存在を震わせている。僕に気づいてくれと強く、強く振動している。

僕はそれを拾い集める。慈愛の気持ちに似た感情が湧くのを感じる。僕が僕の感情を拾う前に、それはすでに僕の中に内在していたかのように。まるでそこにあったことを誇っているように、存在している。

その存在を無視することで僕は自我を保つ。もはや僕は僕自身に邪魔をされようとしている。自分の感情に目を向けるな。そう言い聞かせる。

それも虚しく、どんどん感情は流入する。僕が拾い上げたことを喜ぶみたいに僕の中で爆発する。荒ぶるものを抑制することもできず、僕はその爆発に曝される。その中にいることが喜びなのか悲しみなのかは分からない。恐らくその両方だ。

僕はそれに身を任せながら、自分自身の無力さを感じる。圧倒的な感情の爆発は僕の存在を無視して、暴れ回る。零れ出てやしないかと辺りを見回す。何も見えない。見えるのは闇だけだ。見えないというものを見えていると感じているだけだ。黒の壁が僕を包んでいる。

僕の内部が沸騰するのを感じる。しかしそれは錯覚だ。本当に沸騰しているわけではない。しかし熱い。何かが僕の中で蠢いている気がする。それが動くたびに熱く、そして少しずつ爛れていく気がする。

心臓が速く強い。その音だけに包まれる。世界は無音だ。心臓の音だけがこだましている。それは内部でのみ響き、外部は相変わらず無音だ。

静かだ。そう感じるとすうっと気持ちが落ち着くような気がした。気がしただけだ、すぐに次の波がやってくる。僕の存在はもうそれに耐えられなくなっている。

僕は一歩を踏み出す。それは予感であり、確信であり、そして紛れもない期待だ。

瞬間、人生で最初で最後の大きな情動が、そして衝撃が全身を貫く。この先に待ち受けているのは果たして僕が期待したものだろうか。


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