残るもの残らないもの
地球は球形で世界の果てはない。遥か昔はそんな考えは異端だった。でも今はそう考えないほうが異端。
船で航海に出れば世界の果てで奈落に突き落とされると信じていた。地球を中心に世界は回っていて、宇宙の中心には地球があって、他の惑星が地球の周りを回っていた。
本当は太陽を中心に世界は回っていて、今ではそれが常識になった。それでも世界の中心は常に地球で、結局世界がどうであろうと関係がなかった。
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空は青い。海は青い。でもそのことを誰も意識しなかった。当たり前だから。意識しなくてもそんなことは知っているから。
宇宙飛行士が宇宙から地球を見たときに「地球は青かった」。そう言った。本当はそうは言ってなかった。でもそれから当たり前に地球が青い星という意識が広まった。ずっと前からそうなのに、影響力のある人の発言で隠れていた当たり前が顔を出して、大きな顔をした当たり前になった。
その人が見た本当の青を知らなくても地球は青いと言えるようになった。そしてそれをみんなが信じるようになった。
本当に青いのかどうか確かめたこともないのに。もしかしたら黄色とか紫とか気持ち悪い色かもしれないのに、地球は青くて美しいらしい。
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ほんの数十年前までは駅で煙草を吸っているのは当たり前で、テレビは白黒が当たり前、それどころか家にあることが当たり前じゃない時代もあって。
今はどこでも禁煙が当たり前。テレビはカラーが当たり前。家にあるのも当たり前。今度はもっと解像度の高いものが当たり前になる。
煙草も白黒テレビも昭和を象徴するもので、人間が作り出した英知だった。でもその上の英知が簡単に見つかって、それらは姿を消そうとしている。人間は自分の作ったものを壊して、また作ってを繰り返している。
人間は繰り返す生き物で、繰り返してはいけないという警告も繰り返して。つまり警告を無視してまた繰り返して。また警告を繰り返して。そんな風に色々なものが生まれて、消えて、残って。
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数百年のうちにできたもの、消えたもの。残るもの、残らないもの。でも結局は後数億年か数百億年かで全部消えて。後には何も残らない。太陽も、青いはずの地球も。人も物も思考も。残るものも、何も。
消えるから残らないから価値がないのではなくて。時代に合わせて価値がなくなったから消えたのではなくて。残っているから価値があるのではなくて。
今何が大切かをきちんと言葉にできること。感情に乗せられることに価値があって。その現在を作り出す力に価値はあって。価値が死んでもそれは生き続ける。地球が青くなくなっても。
了
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