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ストレスを非日常で発散するのではなく日常の豊かさで溶かしていくために

「創造」と「消費」そんなベタベタな対立の話はしたいわけではない。
僕が思う「日常」という言葉の中には創造も消費も内包している。では僕は「日常」という言葉になにを見出しているのだろうか。
「ものづくりを日常に」することで何が生まれるのか。今回はそんな話。

「日常」の対義語として「非日常」がある。
日常には日常の楽しさがあり、非日常には非日常の楽しさがある。
「非日常」、イベントや行事、行楽、旅行、ワークショップやフェスなどなど少し背伸びをするような、日常とは離れた経験をすることで、日ごろの鬱憤やストレスを発散し、「楽しー!!」って思える時間。家に帰って「あぁ疲れた」とベットに潜り込むまでがワンセット。これらの行為を「消費行動」なんて揶揄することもあるが、まぁそんなに悪く言うもんでもないと思う。強いて消費を取り上げるのなら、自分のエネルギーを消費して行う行動が多いのではないだろうか。そして非日常への懸念材料として非日常が楽しければ楽しいほどに日常の退屈さやストレスのギャップを感じてしまうことではないかと思う。

では「日常」とは何だろうか。仕事や学校、炊事洗濯、日々の暮らし、毎日の積み重ねだ。これらを「楽しー!!」と思いながらやっている人は少ない。大体の人は疲れやストレスを積み重ねているのではないかと思う。かくいう僕もものづくりではない仕事をしているときはストレス値が高く「あー○○を作りたいになぁ」と思いながら生きている。ただこの暮らし、日常を豊かにしていくことで「楽しー!!」ではなく「よいなぁ」としみじみと思えるような楽しさを見出せるのではないかと思っている。例えばそれは前日に仕込んでおいたタラのみそ漬け、凍みさせた大根で作る煮物だったり、去年漬けたラッキョウだったりする。僕自身がご飯が好きなので食の事ばかりが浮かぶが、洗濯や掃除にもそういう日常を豊かにする手間というものがあるのだろう。
この日常を豊かにすることによって放出したエネルギーは、増幅して貯まる感覚がある。あくまで感覚。先の非日常と比べるのならば、この日常の楽しさというのは日々のストレスや退屈さを軽減させてくれる要因になっていくと確信している。
だからこそ、日常にものづくりがあった方がいい。僕がひらくワークショップも非日常のイベントとしてではなく、日常に取り入れられるものづくりを目指している。Youtubeもそのためにやっている。動画を見た人がものづくりを始められるようにしたい。日々蓄積する退屈さや鬱憤を非日常で発散するのではなく、仕事終わりに粘土をこねたり、寝る前に編み物をしたり、休みの日に草木染めをしたりするような、暮らしの豊かさで溶かしていく。「あー楽しー!!」とはなりづらいけど、終わった後の満足感。今日はここまでと留めたときの「楽しかったなぁ」という感覚。ぜひ暮らしの中にものづくりを取り入れて味わってみてほしい。

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