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「ともだち」

小学校六年間で一番長く時間を共にしたのは、間違いなくあなたでしょう。きっかけはよく覚えていないけれど、多分音楽室の掃除当番。音楽室は誰か一人が掃除機をかければいいので、暇を持て余した人たちは、よく私をあなたのいる準備室に閉じ込めて遊んでいました。出してと言って出してくれるようなら、最初から閉じ込めて遊ぶなんてことはしません。だからもう、諦めて時間まで好きに過ごすことにしました。他の楽器は「触るな危険(壊したら弁償)」だったけれど、あなたにだけは自由に触れてもいいことになっていたので。

あなたは最低限の調律と手入れだけされて、準備室に放置されていましたね。その姿を見て「あなたも私と一緒なんだな」と子供心にませたシンパシーを感じたのを覚えています。きっと、気の遠くなるような時間「ピアノは打楽器」の意味を取り違えた人たちに叩かれ続けてきたのでしょう。今思えば、ものすごいバランスのところで踏みとどまっていましたね。手が小さくてパワーのない私でも、綺麗な音が「かーん」と鳴るぐらいの、絶妙なところで。今でも時々思い知らされるんですよ。世の中には鍵盤を叩くより、人を叩くほうが好きだという人がそれなりにいることを。不思議と、あなたといる時間だけは身の安全が保障されていたんです。あなたといれば、鉄琴のバチで頭を叩かれて「いい音が鳴るかと思ったのに」と嫌がらせを受けることもないですし、楽器の音よりどでかい音で繰り広げられる悪口大会から逃れることができましたから。

気付けば、音楽の授業中も準備室で過ごすことが増えました。パートの割り振りが適性や希望ではなく、教室内の序列で決まっていたので、ピアノ伴奏が二人いても、音楽室に鎮座ましましているグランドピアノの優先権は私にはありません。でも、あのこましゃくれたグランドピアノより、私はあなたが好きだったので、喜んで準備室を使っていました。時々おとながやってきて「お前伴奏がうまいな。なに喜んでるんだよ、演奏が下手だって言ってるんだよ」なんて意地悪を言いに来ることもありましたが、全部無視してあなたと遊んでいた記憶があります。だって、あの学校内で人の悪口を言ったり、人間関係に過剰に忖度しないのは、ある意味あなただけでしたから。

教室内のいじめが明るみに出て、一応の救済措置が取られた結果、私の待遇は呆れるほどに変わりました。確かに身の安全は保障されるようになりましたが、それは一定数以上の「お前らよくそんなことが言えたな」を、笑顔でスルーしなくてはならず、消耗する日々の始まりでもありました。何も知らないくせに、もしくは全部知ってるくせに、勝手なことばっか言うんじゃねえよ。だからこそ、何も変わらず、以前と変わらず私と遊んでくるあなたのことが余計に好きになったのかもしれません。人の心は変わるとか、人は裏切るとか、そういう安っぽい言葉で片づけられるほど、人間は単純な生き物ではないはずです。何が言いたいかというと、要するに私の信頼に最大級の信頼を返してくれるあなたのことが大好きだったんですよ。あなたは間違いなく私の「友達」だったと胸を張って言えるぐらいに。

あなたのいた校舎は私が入学した年に建てられたもので、色々と建てられた経緯も導入された経緯も謎なあれやこれやが点在していました。あなたのいた音楽準備室の前にあった緑の広場は日当たりが悪すぎて、名もなき草しか生息できない環境になっていましたし、上のフロアにあった第二理科室なんて、真っ先に打ち捨てられていましたね。私はその教室で、日常的に先生が気に入らない子供をつるし上げたり、時には折檻する姿を見ていたので、ローカルニュースの片隅に「開かずの第二理科室に夢のような設備が」という記事を見つけたとき、苦い笑いすら浮かびませんでした。誰のせいだと思ってるんだろうと。そして、あなたのことを思ったのです。いつかあなたが役目を終えるときがきても、建物の構造上あなたを外に出すことが難しいので、捨てるにしても捨てられないんだと、当時から散々な物言いをされていたあなたのことを。あの場所に閉じ込められていたのはあなたも同じ、いえむしろあなたのほうだったのですね。今更、そんなことに気づかされました。でもそんなあなたと一緒に過ごした時間があったから、私は今も人の心を失わず、音楽を好きでいられるのです。

音楽をありがとう。信頼をありがとう。愛をありがとう。「好き」をつなぎとめてくれたあの日のピアノと、それを思い出させてくれた本牧の坊ちゃんへ捧ぐ。

2022.9.17

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