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惚れたのは、内面だった。ーホキ美術館-

ぎょっとした。
1階の片持ち部分がこちらに突き出す、有名な画。
建築ファンの目を喜ばせてきたその外観に、私はちょっと引いていた。
各層がゆるい曲線を描いて伸び行くすがたは、失礼ながらうどんに見えなくもない。
雑誌で誇らしげに紹介されていたスリット窓にも、カーテンがかかっている。
どうしてこんなもの作ったんだろう。使いづらくないのかな。
芸術に疎い私には、純粋に疑問だった。
外観は分かったし、もう帰ろうかな。

結局中に入ったのは、ここまで来るのにかかった手間が勿体なかったためだ。
なんてったって、川崎から2時間近くかかる。
交通費だってばかにならない。
中の絵を見て、元を取ろう。
写実絵画か。私に理解できるかなぁ。
散々後ろ向きの思考をうずめかせながら、中に足を踏み入れた。

エントランスから真っ直ぐ進んだ突き当たり部分に、パンフレットコーナーがある。
ふーん。建物を紹介するためのリーフレットもあるぞ。
結構愛されてるんだなぁ。
脇に並んだ椅子に掛け、数分仮眠をとった。

目が覚める。
さて、行くか。

折り返した先のギャラリーを一望して、私ははっとした。
脚まで鳥肌が立っている。

単調な曲線だと思っていた壁は、内部で波を打っていた。
暗そうだと思っていた天井には、煌々とライトが散っている。
波打つ通路は小径のようであり、ぽつぽつとした灯りは木漏れ陽のよう。
森の中を、絵から絵に舞い移るように。
絵画の散歩道が、そこにあった。

建築を見に来たのに、気づけば絵画に見入っていた。
鮮明に、正確に描かれる、普通の風景。普通の女性。
普通の風景や人間なんて、さほど綺麗なものではない。
でも私たちにとってはかけがえなかったり、内面に魅了されたりする。
そんなダサい日常の美しさを映し出せるのが、写実絵画ではないかと思った。

特に印象に残ったのは、諏訪 敦 氏の「しろたえ」という作品である。
女性が裸にシャツを纏っている。ボタンの位置からして、男物だろう。
シーツに膝を崩して座り込み、こちらを見つめている。
作者の恋人だろうか、なんて想像する。

異質なのは、女性の右目が赤く滲んで消えていること。
血のような色だ。
絵の左下から太腿にかけても、同じ色でしみがつけられている。

けがだろうか。火傷だろうか?
私の個人的な解釈では、これは経血である。
生々しい女である定めが、彼女という生命から滲む。
色香とは違う、煌々と燃え続けるような女性性を感じた。

こんな感情移入をしながら、没頭して歩を進める。
ある箇所で、急に天井が高くなった。
なんて贅沢な空間だろう。
映画の主人公になった気分で、階段を降りる。
パンフレットを見ると、この空間はホールを兼ねているらしい。
階段に椅子を置いて、イベントを開催するのだとか。
手を叩いて見ると、確かに音がよく響いた。

音といえば、この美術館は全体的に音がよく響く。
でも、そこがいいのだ。
おしゃれな女性の二人連れ。若いカップル。無垢な目をした子供。
それぞれが感嘆の声を上げながら、絵を見ている時間を共有している感じ。
変わった絵を見たあと、後ろの人はなんて言うだろう、と耳をそば立ててみたり。
人が散在する細長い空間だけれど、不思議と一体感が生まれるのだ。

地下2階に着いた。
小さな空間に、陶の作品の数々が並んでいる。
展示と反対側の壁は、コンクリートの素地から徐々に白色に変化している。
工芸品と職人技。素材の味。両の壁は、しっくりと対に馴染んで見えた。

建物紹介のパンフレットより。イラストも味があって素敵

さらに進むと、メインのギャラリーに着く。
壁や床が真っ黒だ。
木漏れ陽だと思った灯りが、天の川のように煌めいている。
振り返ると、先程のイベントスペースの階段がある。
段と段の隙間から、ホールの明るい光がこぼれている。

大きな作品が多数並ぶ、この美術館のクライマックス。
だが私は、焦っていた。
ここまでの道のりをじっくり味わいすぎて、帰りのバスまで時間がない。
「私の代表作」と銘打って寄せられた大作の数々を尻目に、急ぎ足を自分に強いた。

最後にどうしても見たかったのは、通路とエレベーターホールを仕切るガラス壁だ。
設計者をはじめとして、この建築に携わった人々の名前が刻まれている。
館長さんのお人柄もひしひしと伝わるが、
何より感じたのは、「この建築は作品として尊重されているのだな」と言うこと。
だって、映画のクレジットのようではないか。

こんな傑作に携わった天才たちが妬ましい。
でも、彼らが身を削った賜物を、私は幸運にも味わったのだ。

サウナでととのう感覚って、こんな感じかなぁ。
ふわふわと恍惚に浸りながら、私は千葉を後にした。

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