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電子書籍について再び考える 作者側のDXについて思索してみる

久しぶりに電子書籍について思索してみたいと思います。

現在のデジタル読書の風景

ここ2年半ほどは個人的にはデジタル読書(=電子書籍による読書)を続けていて、非常に便利 だと思っています。
新刊本の場合は紙媒体と同時の場合もあるし、数週間や数ヶ月の時間差はあってもかなりの確率で電子化されており、電子書籍オンリーで生活する環境は徐々に整いつつある と思います。

現在の一番問題は、「ちょっと古い」本の電子化が遅れている ことです。
最近、閉口したのが安部公房氏の著作 についてです。
安部公房氏については、ヤマザキマリ氏や、山口果林氏の著作を読んで人となりを知れば知るほど読んでみたいな、と思いAmazonのKindleで電子化されていないか見てみたのですが、ほぼありません。
「砂の器」など代表作についても です。

こちらができることとしては、「Kindle化のリクエスト」を出す ぐらいです。
これは、PC版のAmazonのページで書籍を検索して、電子書籍化されていないものについては右側のペインの少し下に「Kindle化のリクエスト」に関する記述があり、クリックすることでリクエストをオーダーできるようになっています。
一回だけではなく何回でも出せます ので、複数回オーダーしていますが、そう簡単には電子化されない ようです。
他の書籍やネットでの記述ではリクエストを出してもそのうちの数%が電子化されれば御の字 、と言うことでしたので、期待せずに待つしかないかな、と思います。
おそらく、売れる、売れないと言うような企業側の損得勘定が非常に大きくはいっている のではないか、と思われます。
何度かなかなか電子化されない本を紙媒体で読もうと思ったのですが、小理屈野郎にとっては紙媒体の書籍は活字が小さく、目が疲れてしまって、結局途中で挫折 してしまっています。

紙媒体の良さについての論調

紙媒体の良さは色々と言われています。繰り返しになりますが箇条書きで並べてみようと思います。

  • 本という実体がある
    いったん買ってしまえば、それを目に見える形で保持できると言うところが大きい

  • 風情がある
    インクの匂い、出版社によって活字のデザインが違う、紙の質感など。

  •  本棚に並べることによって自分の思考回路を活性化できる
    Kindleの専用端末でもライブラリモードで見れば、自分の読了本、未読本、それらをあわせたものを、サムネイルと一緒に一覧できますが、白黒画面です。これについては、タブレットや携帯でカラーで見れば、見え方が変わってくるので時折見ていますが、あえて見ようとしないと見えないので、風情がなくなっているとも言えますね。

  • 書籍文化がある
    後述しますが、書店での書籍とのコミュニケーションや、書店の陳列の仕方など独特の文化があると言うことです。

紙媒体の書籍にも捨てがたいところはあると言うことですね。

書籍に関わる状況を上記のように整理した上で、今回は書籍をつくる、作者側の方から電子化(DX化) について考えてみました。

作者は紙媒体で仕事をしているか?

作者は作品を書くわけですが、実際のところどのようにして書いているのでしょうか?
おそらく、パソコンのエディターやワープロソフトを利用して書いている のではないかと思います。
もちろんかたくなに原稿用紙と万年筆やボールペンで書く作者もいらっしゃるかと思います。しかしそういう作者はかなり減っているのではないか と思います。
新しく出てくる作者の方達は、おそらくパソコンを使って執筆されているのだと思います。

と言うことは、作者側は読者側よりずっとデジタル化されている のではないかと考えます。

作者側から見た紙媒体と電子媒体での執筆の違い

電子化された執筆風景では、場合によっては手書きより早い方もいらっしゃるでしょうし、書いた内容を簡単に推敲できるし、ソフトによってはその履歴も残すことが簡単にできます。
スクリーン上のフォントは誰でも問題なく読めます(手書きではそうとも限らない)。
また、作品が完成すれば、印刷はDTP化されているので電子入稿をして、紙面割りなどをすれば、出版できる形になると思います。
私自身電子出版に関わったことがないし、その話について著作を読んだこともほぼありませんので、かなりはしょって書いていますが、既存のやり方よりずっと楽ではないか と思います。

もし原稿用紙に万年筆だったら大幅な構成の変更などはかなり大変なことになるし、それが面倒で作品の構成を変えない 、と言う人も出てくるかも知れません。
また何度も推敲していると紙面がグジャグジャになってこんがらがったりすることもあるのではないかと思います。あと、昔良く話題になった悪筆(達筆とも言う)で識字できない問題 も出てきます。
いったん作品ができても、今度は電子化する必要があります 。原稿起こしをしてもらって、誤入力がないことを確認した上で、DTPのワークフローに従って紙面の割り振りをしていくことになります。
結構手間なことですね。

再び読者の側から考える

では、デジタル化された書籍と手書きの原稿からつくられた作品の違いを書籍を読んで識別できるか? と言うことを考えてみます。
小理屈野郎的には、アウトライナーなどを使って執筆しているので明らかにデジタル化された執筆環境でできたな、と言う作品はなんとなく分かることがあります。そして、アウトライナーを使ったと言うことを明示している著書もあります。
しかし、そのように分かる書籍は非常に少数派で、手書きなのか、デジタル化された執筆環境なのか、ぜんぜん分からない というのが個人的な本音です。むしろデジタル化された執筆環境の方がより精緻なプロットが書けるのではないか 、と思うぐらいです。

つまり、作り手の方の環境が受け手の方からはほぼ不可視 の状態です。
おそらく、ワープロが出だした頃から電子的な執筆環境が始まりだし、ここ10年ぐらいで執筆環境のデジタル化がほぼ終了していると思われます。以前は「やっぱり執筆するなら手書きで」という論調があったような気がしますが、現在はそのような論調はとんと聞かなくなりました  。
おそらく、作り手側がデジタル化を乗り越えた 、と言うことだと考えました。この要因としては、入力・推敲及び編集する機器の進化が一定以上進んだ 、と言うこともあるのではないかと思います。

おなじのようなことが受け手(読者)側にも徐々に起こってくるのではないか 、と考えます。

現在は、かなり使い勝手が良くなっては来ていますが専用電子書籍端末はまだまだ進歩の余地がある でしょう(例えば、eインク端末のカラー化や画面の大型化)し、アプリもまだまだ進歩の余地がある のではないかと考えます。
また、Kindleで購入した本を楽天koboの端末で見られない 、とか(例えばジュンク堂で買った本とブックファーストで買った本は書籍がおなじならどちらで買っても読めますよね)、電子書籍の購入は利用権の購入のみである (これはブロックチェーンを利用するともう少し広がりが出てくると考えています)、書店で書籍を購入するときのようなセレンディピティーを電子書籍購入ではなかなか味わえない (今後のVR技術がひょっとしたら手助けしてくれるかも知れませんね)、等という問題もあります。
以上のように、受け手側から見る電子書籍に関わる環境はまだまだ解決を必要とする課題が多い ですね。

このような時期は、従来の方法(紙媒体による読書)と新しい方法(デジタル読書)が併存してある状態で、ハード・ソフトが一定の基準を超えると、新しい方法がデファクト・スタンダードになる のだと考えます。

現在は、その移行期なので、電子書籍が良いのか、紙媒体の書籍が良い のか、と言うことが話題になるのではないかと考えました。

紙媒体がなくなることになるか

さらに、一定のハード・ソフトの進化を超えて電子書籍による読書がデファクト・スタンダードになったあとの紙媒体の書籍の行方について考えてみました。
電子書籍オンリーの状態は、人類共通の財産に対する危機管理という意味で、冗長性を保つためにもありえない だろうと思われます。
そして、文章を書くにしても、パソコンやエディターで書くのと、手書きが併存しているように、読書をするとしても大きく2つの方法があるというのは多様性の面からも優れている と考えます。
以上より紙媒体はおそらく細々ではあるが残るのではないかと考えました。

まとめ

電子書籍について再び思索してみました。
今回は作り手側からの思索を行ってみました。
作り手側のデジタル化はほぼ終了していると考えました。そしてその推進剤として、ハード・ソフトの進化があったと考えました。
読者側からも再度思索してみました。現在は、ハード・ソフトのくびきがまだまだ大きいように感じました。
今後、最終的には、作り手側とおなじ、デジタル化が進んでいくと考えられました。
しかし、それが達成されたとしても、紙媒体は残っていくと考えました。
結論は今までと変わらない、と思われましたが、作り手側の環境をあわせて思索することによって結論が補強されたと感じました。


今後も時折デジタル読書について思索していきたいと思います。

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