アート活動にかける思い~自立することとはたらくこととは~

   15年ほど障害者の支援に関わってきた中で、「自立する」こと、「働く」ことが、どういうことかについてずっと考えてきました。以前の法人では「どんなに障害が重くても工賃〇万円」という目標を掲げていました。確かにどんなに障害が重い人でも働く権利があるし、稼ぐことができるなんて素晴らしいことではないかと最初は思っていました。
 でも、利用者さんと関わっていく中で疑問もどんどん出てきました。自分でお金を得て、生活を立てられるようになれば、やりがいのない、やらされているだけの仕事でも自立と言えるのか?自分で稼ぐことができない人は、やりたいことを思う存分やっている人生であったとしても自立しているとはいえないのか?お金をもらえる仕事であれば、働く意味がわからなくて、つまらなそうでも、働いているからよいのか?はたまたお金をもらえない、もらわない仕事だけど、誰かを救ったり、安らぎを与えたりするような、とても大事なことができたとしても、働いたことにならないのか?そもそも数万円くらいのお金のために、好きなことを我慢する人生でよいのか?自立って給料をもらうことなの?とか。
 「障害者の自立」「障害者の就労」とはなしを障害者に限定していいのでしょうか?まず、私達人間にとっての自立とか何か、働くとは何かを普遍的なものとして考えるのが先だろうと思ったのです。余計なものを削ぎ落して、自立するとか、働くとかの、誰にも共通する本質的な部分として残るものは何になるんだろう?そんなことをずっと考えていたら、少しずつ見えてきたものがありました。
 
自立するとは、自分らしく自分の人生を生きることであり、
はたらくこととは、自分らしさを社会で存分に活かすことなのだと。

 それは障害をもつ人たちだけでなく、私達みんながそうしたいと願っていることかもしれません。きっと誰もが自分らしく自分の人生を生き、自分らしさが社会で認められ、自分らしさを最高に活かして生きていきたいと思っていることでしょう。
 想像してみてほしいのです。私たちひとり一人のすべてが自分らしさを社会で最高に発揮できる社会になっていたら、世界はもっともっと面白くて活気のあるものになっているのではないでしょうか?私たちは障害のある人を家の中や施設の中に閉じ込めてしまって、彼ららしさを社会で思いっきり発揮して活躍する機会を奪ってきたのかもしれません。それはとてももったいないです。
 それを踏まえると、私たち支援者の仕事の本質は次のようなことになると思います。利用者さんにとっての自分らしさとは何かについて、自分らしさを活かして生きるとはどういうことかについて、利用者さんと真摯に向き合って共に考えながら、共に社会に出ていくこと。そしてまじわっていくことだと。
 究極の自分らしさとは何か、自分にしかできないものは何か。その一つの答えが表現であり、アートでした。滋賀県のやまなみ工房や、鹿児島のしょうぶ学園など、アートの先駆的な活動をしている事業所も実際に見学して、私は確信しました。音楽だろうとダンスだろうと、絵だろうと、粘土だろうと、詩だろうと、その人の存在そのものも、ある意味、立派な表現かもしれません。販売することだって、町の掃除だって、その人らしさが存分に現れているものであれば、それは表現活動です。ひとり一人に、その人にしかできない、それぞれ違う表現があるのです。なぜひとり一人に違う表現があるのか?それは、ひとり一人がそれぞれの目で、それぞれの心で、違うように世界を見ているからであり、その人に見えている世界を形にすること、表現すること、そのことで世界とまじわるこそがアートなのだからです。
 その一人の表現がアートが、誰かにひらめきをあたえるかもしれないし、誰かのものの見方を広げてくれるかもしれない。誰かの不安を取りのぞいて、癒してくれるかもしれない。生き方を変えるかもしれない。だから、私はみんなの表現を、社会に向けて発信していきたいのです。障害を持つ方が、自分らしさを社会で存分に活かすことができるように、常に地域に出ていくことを続けていきたいのです。

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