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親父の思い出 ワンダフルサマー

ジュークボックスのEP盤
1971年、私が中学三年生の頃、調布の関東村(ワシントンハイツ)のバーに設置されたジュークボックスから大量のEP盤(45回転の7インチシングル)が破棄されていた。それを見た親父が、その段ボール一杯のレコードを貰ってきた。100枚近くあった。

当時、親父がステレオを購入していたが、聴くレコードがグレンミラーみたいなジャズしかなかった。私も少ないお小遣いでレコード(EP盤)を買っていたが、アメリカの音楽はFEN(米軍の極東放送)で聴いていた程度だった。

中坊の私が初めて買ったレコードは「ナオミの夢」だった。

懐かしいと思う人はかなり年配だと思う。

さて、その大量のEP盤をとにかく聴くしかない。毎日聴きまくった。
自分で善し悪しを判断して、好きな音楽、レコードを選択していた。
残ったのはモータウン、コーラスグループとエルビス、それでもエルビスは少し古く感じていた。

一番気に入ったのは「ワンダフルサマー」Wonderful Summer   Robin Ward
歌手はロビン・ワード。当時は黒人歌手だと思っていた。
聴くと素敵な夏が頭にイメージできた、そのスイートボイスに痺れた。

今でも好きでCDを買って聴いている。

The Beach Boys  も良かった、どの曲か忘れたので、一番のお気に入り。
Getcha Back 1985(昭和60年)

親父の生き方
私の親父だが、大正15年産まれ戦後戦前を経験した世代だった。学徒動員されて生き残った。戦闘機に乗る訓練はしていたようだ。
背中にグラマン(アメリカの艦上戦闘機)からの機銃掃射の弾痕があった。

この時代に生き残った男達、戦争を実際に当事者として経験した人達である。敗戦国として自分達の犠牲と正義を否定され抹消された世代だ。
だから今の日本人と少し人種が違う。

それが良いも悪いもないけど「正義とは?」を本当に突きつきられた大人達だ。
一方、なかなか自分を語らない人達だ。
親父も結局語らずに死んでいた。

音楽
そんな親父だがアメリカ音楽が好きだった。後、オートバイも好きだった。
戦後はアメリカ文化のどっぷり浸かっており、関東村で通訳として働いていた。また大学にも通いながら、週末新宿へ踊りに行く。
1950年代のアメリカングラフティ、そんな日々だったようだ。
甲州街道をバイク(スクーター)に乗って新宿へ。今でも信じられないが、お袋をバイクの後ろに乗せて新宿へ行ったりしたそうだ。そして学生結婚している。

子は親を見て育つ。私もオートバイ好きだった。音楽も同様で、1960年代のアメリカ音楽から始まっていた。
ビートルズよりWonderful Summer が好きだった中三。
語らない親父の影響を大きく受けていた。


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