リス殺し
小中学校のころ、夢中になって読みふけっていた大好きなアガサ・クリスティの小説に「アクロイド殺し」というものがあった。
最後のどんでん返しが冴える、いかにもクリスティというポワロもののうちの一冊だ。
きっと、それがいけなかったのだ。
「リス殺し」
そんな言葉に結びついたのは。
♢
イギリスでの生活ではまったく耳にしたことがなかったので、「リ・スキリング」で区切るはずのことばを「リス・キリング」にしてしまっていたのだ。
いやはや。
ダボス会議がきっかけ、日本ではものすごく使われている「英語」なのに、イギリスで全く耳にしないという意味で「SDGs」にとても似ているなと思った。
世界的会議で採択されました!よし、じゃあそれに乗ってという素直な反応は、少なくとも私の周辺のイギリス界隈ではまったく存在していない。
読み進んでみると、リスキリングという英語から思い浮かぶ「再び・スキルを磨く」という意味ではなく、もっと特定な意味が行間に含まれているようだ。
デジタル技術が発達して、普通の仕事が奪われていく潮流のなかで、生き残ることができるようにという目的があってのスキル再開発のことを、指すらしい。
うーん。
デジタル技術が普通の仕事を奪っていっているといわれたとき、私の頭に浮かぶのはレジ係が自動支払機に取って代わられた最近のスーパー。
でもそのくらいだ。
近くのパブで作ってくれるおいしいソフトシェルクラブのバーガーはデジタル技術は作ってくれない。
会議資料だって機械翻訳にかけたものは「うーん、それじゃない、んだよなあ」と思うことがいまだに多い。
そもそも自分がやっている仕事は、複数の地域や国が一つのプロジェクトを進めていくときの調整役のようなもの。なので、デジタル技術の進歩でなにか楽になるかというと、そいでもない。
むしろ、そのイメージのおかげで、「出張してまで顔をみなくてもオンライン会議でいいでしょ」と上層部にいわれてしまって困る。
いやあ、いろんなことの合意とかサポートのお願いを引き受けてもらうのって、意外と会議じゃないとこで決まってるんですってば。
昔でいえば、喫煙室とか給湯室とか。ニンゲンが地を出して話せるところで。
ふむ。もしかして、私はものすごく時代に乗り遅れているひとなのかもしれない。
リスを殺しきれていない、いや、リスを殺してしまっているのか。
◇
ニンゲンとして、働くものとして、いや、社会に関わるものとして、新しいことを学んでいくのは、どんな年代にとっても大事だ。
学ぶことが、でも、最新技術とは限らないのではなかろうか。
自分の国の歴史的教訓から学ぶことが、
仕事仲間の文化や歴史をしっかり理解したうえで人間と関わることが、
新しいデジタル時代に備えたなにかに劣るとは思えない。
そんなことよりも。
日本のオフィスを訪問して驚いたのは、めちゃお金をかけて導入したシステムがあるのに、それはデータを飾っておくだけになっていること。
結局プランはみんなエクセル。
上層部の意思判断を仰ぐために重厚なパワポが必要で、それを3レイヤーくらいのスタンプラリーに回して、5回くらいの会議を重ねないといけないという石器時代の業務スタイル。
終わった頃には競合他社の状況や世界情勢が変わっちゃってたり。
そんな現状をさておいて、さあダボス会議がいったから、じゃあリス殺しなんだとてんやわんやすることのほうが、よほど心配になってしまう。
もっとしっかり全体像が見えていたら、そもそもこの場所に必要な変革はなになのか、それを実現するためにはどんな能力をもった人材がチームに必要なのか、きちんと判断できるはず。
なのに、管理をしなくてはならない人たちが、エクセルやパワポに埋もれた無駄業務の海流にのまれて、そんな疑問に思いを馳せたり、解決するための戦略的思考を実行できな唸っている。
そのほうが、リス殺しなんかよりもっともっと優先課題に思えるんだけどなあ。
リス殺し、からとりとめもなく派生した、そんな水曜日の戯言。
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