過ちは繰返しませぬから
映画「ひろしま」の上映会へいってきた。
「Oppenheimer(オッペンハイマー)」をイギリスで観た日本人の女性が、映画の中ではオッペンハイマーが発明した原爆がどんな結果をもたらしたのかについて直接描かれていないことに「日本人として」感情を揺り動かされ、ボランティアとして働く映画館での特別上映に漕ぎつけたそうだ。
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実は、この「ひろしま」上映会を知った時に私のあたまに浮かんだのは、中学校のとき学校で観た映画だった。
いまでも思い出せる白黒なのに目に鮮明に焼きつくような衝撃をうけた映像。
こどもたちの皮膚をピンセットで摘んだり、包帯をはがしたりという映像が、思い浮かんでいたのだ。
後から調べたら、それは「にんげんをかえせ」という別のドキュメンタリー映画だった。
ナレーションの大竹しのぶさんの「にんげんをかえせ」という言葉が、題名を目にしたとたん耳にふたたび聞こえてきた気がした。
そんな映画だった。
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この「ひろしま」は、ドキュメンタリーではなく、山田五十鈴など俳優さんが演じているものだ。
正直、デジタルリマスターされたことで、逆に火傷などのメイクが陳腐に映ったり、ドーランを塗った女優さんたちの整った肌が不自然に見えていたのは残念だった。
でも、終戦からたった8年後に作られたこと、さらに戦後の大変ななかにもかかわらず9万人近い広島市民が手弁当でエキストラとして参加したという事実に、映像の不自然さを忘れ、心を動かされた。
そして。
各所にちりばめられた、鮮烈に激しいメッセージの数々。
ドイツが降伏した後も、強固にポツダム宣言を受諾せず、原爆の投下後すら本土決戦などとほざく日本軍部への批判。
映画の制作当時はまだ進駐軍が駐留していたにもかかわらず、「ドイツには落とさず、日本に落としたのは有色人種だったからか」とドイツ人の手紙の引用として問いかけ。
アメリカ政府によって設立された原爆傷害調査委員会が、放射線の医学的・生物学的影響を長期的に後追い調査したいがゆえに、被爆者の治療を行わず、ただデータ収集ばかりした事実を暴き。
戦争中の英雄とは大量の殺人者なのに、戦後ひとり殺したら犯罪者なのかという皮肉を、原爆によって家族を失い荒んだ生活を送る少年に語らせた。
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観終わって、家に帰るまで。
やはりロンドンで以前観た「この世界の片隅に」のことを考えていた。
そして、中学生のときに観た「にんげんをかえせ」のことも考えていた。
日本人として育った私たちが、当たり前のように知識としてたくわえてきた原爆とその被害のことを、映画館に座っていた「日本人ではない観衆たち」はほとんど知らないんだなあと考えていた。
原爆の破壊力の激しさ、その後に降った黒い雨による汚染、戦後78年経っても痛みに悩まされる被爆者のことも、知らないんだなあと。
そして、かつて西ロンドンの中華料理屋で出会った、終戦後の東京裁判に関わったというおじいさんとのやりとりを思い起こした。
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日本の狂気は、「ひろしま」にもある通り、明らかな敗北が目に見えていながら、ひたすら精神論を唱え、負けを認めることができなかったことだと思う。
もし、1944年7月に敗戦濃厚の責任を問われ東條内閣総辞職したときに終えていたら。
1945年4月の日ソ中立不可侵条約の不延長のときに止めていたら。
1945年5月のドイツ無条件降伏のときに、同様に降伏していたら。
1945年7月16日にアメリカが原爆実験を成功させる前に、戦争は終わっていただろうに。
なぜ、それができなかったのか。
そして、もし私が今、そんな状況に直面したら、立ち上がって異を唱えることがきちんとできるだろうか。
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戦争当時の日本が力によって他の国を伏せようとしていたことは否めないと思う。
イギリスだって、オランダだって、スペインだってやってきた。
他を搾取することでヨーロッパが栄華を誇ったことは、博物館に行けば一目瞭然だ。
他の国がやっていたから、自分もやっていいわけではない。
だからって許されるわけではない。
同じように。
だからといって、ニンゲンを溶かし壁に影を焼きつけるほどの破壊力を、78年後も体中に痛みを与えるほどの汚染力を、一度ならず二度までも一般市民の頭上に向けてよいとは、決して思えない。
よく外国人がいう「原爆が戦争を終わらせた。そのために必要だった」ということばに、私は、「でもそれがどのくらいの破壊力だったかきちんと知っているのか」と問い返す。
だから、「オッペンハイマー」のなかで、彼が生んだ原爆の引き起こした惨状をきちんと映さなかったことに憤りを感じ、「ひろしま」の上映に奔走したこの主催女性の気持ちがよくわかる。
そして、当時は敵国だったこのイギリスで、その情熱をサポートしてくれた気概ある独立系の映画館の存在には心が温まる。
時を同じくして、当時敵国だったアメリカの雑誌タイムが広島と長崎の被爆者を特集していると知ったのも嬉しいことだった。
また、原爆の日に、日本で働いた経験のあるスコットランド人の友人が、平和記念公園の慰霊碑の写真とともに、こうFacebookに記してくれたことも嬉しかった。
この碑文を草案した、広島大学の教授で自らも被爆者である雑賀忠義氏は「だれそれが悪いという次元の考えで、これからの人類が一体となって恒久平和の実現ができようか」と力強い言葉で訴えかけたそうだ。
私たちは、決してあきらめずに、平和を希求し続けるべきなのだ。
いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。