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弘前旅行記: 大学生活最後の夏休みの記録

2年ぶりのnote更新である。大学生活のモラトリアムも終焉を迎え、社会人デビューを目前に控えた今、久々に記事を書いた。と言いつつもこの記事のメインとなる出来事は現在より半年も前の2022年8月に起きたものである。少しずつ書き溜めてはいたものの、思ったよりも卒業論文に手こずったこと、そして相も変わらず怠惰な自分の性格に引き摺られ、この時期の公開になってしまった。

しかしそれでも、春休みが終わるまでに一旦は仕上げることができてホッとしている。4月になれば社会の歯車として、錆びて錆びて朽ち果てるまでこき使われる、そんな地獄行きまでの僅かな余生を送っている中、半年も前に起きたこの出来事の残像が未だに脳裏に残り、そして燦然と輝きを放っている。余生が終わる、この僅かな黄昏に走馬灯のように浮かぶあの弘前での2日間を、なんとか文字にして書き残さなければならないという勝手な使命感に追われ、そして今漸く書き終えた次第である。特に面白みのない記事だとは思うが、最後まで目を通して頂ければ幸いである。


1. 動機と経緯

私は昨年2022年の8月5日、6日に弘前一泊ひとり旅を決行した。これを思い立ったのはその2日前の8月3日、決心がついたのは当日の日付をちょうど回った頃である。まずはなぜこの超絶思いつき爆速弾丸旅行を敢行するに至ったのかについての経緯を軽く話したい。

この経緯には浅倉唯(旧芸名、現: 椛島光。便宜上及び自らの思い入れの上、以下統一して浅倉唯と呼称する)という人物が深く関わっている。いや浅薄であると思われることを恐れずに言えば、これは浅倉唯目当ての旅なのである。

彼女は、一昨年2021年の夏から1年間放映された、仮面ライダー生誕50周年記念作品『仮面ライダーリバイス』にてデビューを飾った俳優である。作中では、主人公らと敵対する組織デッドマンズの女棟梁・アギレラ、及び改心した後に仮面ライダーアギレラとして自身の罪を償うために戦う女性・夏木花を演じ、その好演ぶりもさながら彼女が持つ圧倒的なヴィジュアルに、仮面ライダーや特撮ファンの範疇を超え一躍話題の人となっていた。

私が彼女を認知したのは仮面ライダーで俳優デビューを果たす1年ほど前、アイドルグループ22/7(ナナブンノニジュウニ)と出会った頃である。彼女は22/7の元メンバーであり、2019年の暮れに体調不良を理由に卒業していたという背景があった。2020年に入ってから22/7と出会った自分は、グループ所属時の浅倉唯を目にする機会はなかったものの、ナナニジを追いかけるにつれて当時唯一の卒業生であった彼女にも自然と関心の矛先は向き、YouTubeで当時の歌唱動画や映像を見漁っていく内に、いつしか自身の中でナナニジと同等の熱量で応援したいと思える存在になっていた。

浅倉唯は青森県弘前市出身であり、たびたび雑誌等メディアの取材を受けては弘前への愛を語っていて、彼女の中で故郷が大きな存在であることを感じさせていた。そしてこの度『仮面ライダーリバイス』出演の反響もあったであろう、弘前市長への表敬訪問も兼ねて、開催期間真っ只中の弘前ねぷたまつりにゲストとして招待される運びとなったのである(どうやら青森市では”ねぶた”、弘前や津軽地方では”ねぷた”と訛るそうだ)。

その知らせが彼女のTwitterアカウントからリリースされたのが、ゲスト出演2日前の8月3日。旅行する時はいつも友人に計画を全て任せっきりの自分が、明後日に急遽単身、弘前へ旅立つなど普通では考えられないことだ。が、今回ばかりはこれまでと訳が違う案件だった。応援してる人の故郷凱旋、就職活動が見事にちょうど終了したタイミング、大学生活最後の夏休み….時間や金銭のことは二の次でしかなかった。5日の0時を少し回ったところで今回の旅行を決断した。少々、いやかなり長尺になるだろうが、時系列順に逐一動向の記録とふとした思案について雑多に綴ってみようと思う。これは弘前と浅倉唯に捧げる、ひと夏の旅の記録である。

繰り返しになりますが、多分相当長くなると思います。




2. 8月5日午前、東京〜弘前の移動

5日の0時を5分ほど回ったところ、漸く弘前行きの決意を固めた。ひとり旅の経験もなく、旅行の工程に関して友人に任せっきりだった自分にとって、まずは何からすべきかを考えることも一苦労であった。

とりあえず自宅の東京からの交通手段、現地宿泊場所の確保さえできれば、旅行はなんとかなるはずだと取り急ぎ調べる。どうやら青森空港はLCC含め格安航空便は就航しておらず、羽田からの発着便は日本航空のみのようだ。当日予約だともはや新幹線よりも高騰するようだったので、やむなく新幹線に切り替える。昼頃には到着して市内の観光などもしたいと思っていたので、東北新幹線の東京駅6時56分発・新青森行き・はやぶさ51号のチケットを購入。

次に宿泊先の確保。ホテルを自分1人で取ったことが無いような体たらくの人間なので、勝手が分からず「弘前 ホテル」とド素人感満載のワードでググる。とにかくおすすめ順にホテルを漁るが、ただでさえ当日予約、ただでさえねぷたの開催期間、どこも当然のように埋まっている。決心して30分ほどで頓挫し、旅行中止の危機がすぐそこまで迫っていたところ、1件奇跡的にヒットした。単身で難なく泊まれそうなビジネスホテル、クリーンなイメージで清潔感もある、朝食付きでレイティングも高い。もちろん事前予約と比較すれば値は多少張るが、この際悠長なことは言ってられない。即予約。
この後、替えのパンツやシャツ等ごく少量の荷物をリュックにパックして1時間半が経過。少し仮眠を取ろうと思ったが、ただの外出とは違って初めてのひとり旅という(ほんの僅かな)緊張感、妙な心の昂りに襲われ中々寝付けない。6時前には家を出る必要もあったため、寝床につくのは諦めた。新幹線で寝ればいい。

5時50分ごろに自宅を出発し、6時45分に東京駅に到着。チケットを発券し、プラットホームに上がると乗車予定のはやぶさ51号は既に待機中で、そのエメラルドグリーンに塗装された車体が眩しい。せっかくの旅なんだから駅弁買わなきゃと思いつつも、時間に押され結局コンビニでおにぎり2つ買う。浪人時の朝、急いで駅のコンビニに駆け込んでは昼食用のおにぎりを買っていた思い出がフラッシャバックするような、こんな時まで通常運転な自分に呆れ返りながらも、3号車に乗り込み窓際の席に着くとすぐに車両は動き出した。もう少し後の時間帯だと満席に近い混雑具合であったが、7時前とあって乗車率は低い。確か30〜40%といったところで半分も行ってなかったと記憶する。どこか余裕があって穏やかな車内の空気感が心地よかったせいか、すぐにウトウトとし始めてしまい、後ろの人に許可を貰ってリクライニングする。

善は急げ、または思い立ったが吉日


次に目覚めた頃にはちょうど9時前頃であったか、ちょうど宇都宮-盛岡間を走行中だった。なんかめちゃくちゃ速い、以前乗った東海道新幹線とは違う次元の速さを感じる。どうやらこの区間の最高速度は320km/hで、日本を走る鉄道の中で最速らしい、どうりで。盛岡まで来たら青森ってすぐなのではないかと感じるが、まだ1時間強かかる。文明の利器とは言っても長く感じるよなぁ、進歩の伸び代はまだ十分にあるってことだ。

東京駅で購入したおにぎりを食し、トンネル内の真っ暗な景色が多めの車窓を眺めながら、10時7分定刻通りに新青森駅に到着。駅構内では早速青森ねぶた、弘前ねぷた両方の山車などの展示が為されており、降りてきた乗客が思わず写真を撮っていた。案内所でも多くのパンフレットや幟が整列し、3年ぶりの開催となったねぶたを何としてでも盛り上げようという熱気に溢れている。

新青森駅でのねぶた展示(青森ねぶた)
こちらは弘前ねぷた

次は在来線に乗り換えて弘前へと向かう訳だが、30分ほど時間の余裕が生まれたので新青森駅周辺を散策してみる。感想としては、特に何もない駅としか言いようがない。そもそも2010年の東北新幹線延伸に伴い、新幹線と在来線を繋ぐために再開業した「新幹線停車専用駅」みたいなもので、開発もまだまだこれからという雰囲気であるようだ(言っても10年以上経っているのだが)。まあホテルやコンビニはあるが、うん、本当に何もない。

かなり綺麗な外見の新青森駅舎

ここからは奥羽本線に乗り換えて、ガタゴトと鈍行列車に40分ほど揺られながら地道に弘前を目指す。新幹線の乗客はほとんどこの新青森駅で奥羽本線に乗り換える上、もちろん弘前ねぷた目当ての客も多くいる様子であり、しかも僅か2両編成ときて車内は想像以上にキツキツの満員であった。

そんな窮屈な車内のドア横のスペースで外を眺めていると、突然山間部を抜けてパッと広大な平野へと視界が開ける瞬間が訪れる。この時、僕は唯さんが答えていたあるインタビューの内容を思い出していた。それは彼女が過去に帰省した際、まさしく私が今乗っている、新青森駅から弘前駅へと向かう奥羽本線の車内で撮った、津軽平野とその先に映える”津軽富士”岩木山を写した写真が彼女にとっての宝物であり心の支えとなっている、という旨の記事だった。その写真の風景が、生まれ育った故郷であり本人にとって大事なもの、いや自分そのものであると言い切った、その光景が今まさに電車の窓越しに広がっていた。多少なりとも感傷的にならざるを得ない時間だった、早計にもここが旅行のピークなのではないかと思ってしまうばかりに。感慨の余韻に入り浸りながら列車は間も無く弘前駅のホームへと入っていった。

岩木山を望む津軽平野




3. 8月5日昼前〜夕方、弘前散策

東京の自宅を出発して約5時間半、11時30分頃ついに弘前駅へと到着した。新青森駅と同様、駅構内にはねぷたの山車や弘前ねぷた300年祭を記念した展示が並ぶ。弘前ねぷたにとって2022年は、享保7年(1722年)の文献・弘前藩庁日記『御国日記』に記録として初登場してから今年で実に300年を迎える、記念すべき年なのだそうだ。そのような年に唯さんがゲストとして招待されるのはやはり何かの運命が絡んでるに違いない、などと余計な思案を巡らせる。
しかし運に恵まれていると感じた要素はこれだけでなく、前々日まで新潟や山形、秋田を中心に東北地方は豪雨に見舞われていて、奥羽本線も一部区間で運休するなど交通機関にも影響を及ぼすほどの事態となっていた。幸いにも青森県内はさほど影響を受けていなかったようで、弘前に無事到着できたことにまずは感謝しなければならない。


駅構内から外に出ると、上空には雲ひとつない快晴の空が広がっている。空から降り注ぐ日差しは強く、確かに暑いは暑いのだが、日本海から流れてくるであろう冷涼な風が優しく吹くおかげか、体感としてどこか涼しげで心地良い空気。そもそも平日だし、到着した時間もあるだろうし、地方の圧倒的な車社会ということもあるだろうが、駅周辺ですら人の気配は極めて疎らだ。本当に6時間後くらいには動画で見るような賑わいと熱気に包まれているのだろうか、と一瞬疑ってしまうほどに穏やかであった。ゆっくりと流れる時間が体を解し、すぐに馴染んでいく。一歩駅の外に出たその瞬間に、”絶対に良い所だな”というあまりに漠然とした感想を抱く。それほどに好印象を受けた。

弘前駅駅舎の外観


旅程を何にも考えていなかったので少しネットで調べると、おそらく弘前観光の目玉の一つは園内に弘前城などがあって、植樹された桜の景観でも知られる弘前公園のようだ。近辺には弘前市役所、弘前市立観光館などの案内施設や、歴史的建造物などの観光名所が点々と存在するようだったので、まずは弘前公園を目指すことにする。バスなどは使わず、とにかく歩く。もちろん旅費の削減のためでもあるが、自身がまた訪れたことのない地を、高校を卒業するまで唯さんが過ごしたこの弘前という地を、とにかく自分の足で踏み締めて歩き、その様を自分の目に焼き付けたかったのだ。
駅から延びる一本の通りを真っ直ぐ進めば弘前公園には辿り着くのだが、バスで10分ほどの道を(後に把握したことだがどうやら環状バスは100円だったらしい、100円なら普通に乗ってたかも…)30分以上かけてゆっくりと向かう。

駅前の商店街区域を抜けると程なくして昔の洋館のような建築物が目に入ってきた。目の前に現れたのは旧第五十七銀行本店本館(青森銀行記念館)で、青森県初の銀行・第五十七銀行の本店として堀江佐吉が設計・施工したルネサンス調の建物である。そしてその先には同様に似た空気感を持つ二棟の建物、旧東奥義塾外人教師館と旧弘前市立図書館が並んで建っている。旧弘前市立図書館はこれも堀江佐吉の設計・施工によるもので、彼は洋風建築の技術を函館で学んだ後に明治期の弘前含め津軽地方の洋風建築に多く携わった人物だ。

城下町である弘前は、明治以前から続く古風の雰囲気を纏った整然な街並みの中に、明治時代以降に文明開化を推し進めた影響で流入した西洋文化が色濃く馴染んでいき、独特の洋館が立ち並ぶなどまさに和洋折衷を体現するような街であった。とんがり屋根に煉瓦造りの風景がノスタルジアを加速させていく。


程なくして12時30分ごろ、弘前公園着。夏真っ盛りなため、春に見られるような桜吹雪はもちろん見られないが、それでも存在感のある桜の並木に緑が生い茂っていた。追手門口という南側のゲートから入場し、天守閣のある本丸まで整頓された砂利道を歩いていく。観光客らしき人影がまばらに見えるがそれでも本当に人が少なく、青空に包まれながら聞こえる鳥の鳴き声に格別の安らぎを覚える。

天守は比較的新しい年代(文化7年、1810年)に再建されたものであり、見るからに小柄ではあるのだが、東北地方で現存する唯一の城郭としての荘厳さを併せ持っていた。今は石垣の工事に伴い天守は本丸の内側に曳家されているようで、天守内での展示ではその工程の様子を確認することができた。こんな感じなのかとほんの面白半分に眺めていると、格子越しの極めて小さい長方形の窓から岩木山が目に入る。本丸はもちろん周りよりも高いところにあるから見晴らしも良いに決まってるのだが、弘前の土地を手前にして晴れやかに映る岩木山の存在感をまたもや思い知らされる。

弘前城天守
天守傍から見える岩木山



園内を一周するように見回った後、14時過ぎに弘前市立観光館、弘前市役所に到着。パンフレットなどの情報を手に入れ、16時30分のホテルチェックインまで2時間半ほどをどう過ごすか計画を練る。弘前と言えば岩木山や白神山地が近く、近郊に自然の名所が多くあるのだが、それは田舎基準の”近い”であって半日の軽い気持ちで行けるような所で無いことは重々承知済である。となると歴史を感じる旅、神社仏閣を巡る他ない。大体の目星を付けてひたすら歩き、ホテルに着く頃にはかなり体力を使い果たしていた。




4. 8月5日夜、弘前ねぷた観覧

ホテルのチェックインを済ませ部屋に入った後、テレビ見ながら少し休憩しようとベッドに寝転がる。携帯のアプリによると歩数は2万歩を優に超えており、足は想像以上に限界に近かった。次にふと意識が戻った時には、テレビの画面にはちょうど弘前ねぷたの中継が映り、左上の時刻表記を見ると既に18時30分を過ぎている。どうやら入室後の1時間半強の間、丸々寝てしまっていたようだが、仮眠のおかげでかなりスッキリした気分だ。瞼もしぱしぱすることなくパッチリ開いている。19時からの運行への準備も進んでいるようなので、5日「駅前コース」の出発地点である、中央通りと北大通りが交わる交差点付近へと向かうことにした。

ホテルを出ると明らかに昼間とは雰囲気が違う。まだそんなに音は聞こえなくともそう遠くない近くで、人が集まる”熱”が空気に伝導しているのを感じる。その熱ととともに、”今日俺は初めて浅倉唯さんをこの目にするのか”という、この上なく今更な緊張感を徐々に感じ始めていた。

コースの沿道に出ると多くの人、年配の方から小さい子供まで文字通りの老若男女が椅子やブルーシートの上に座っては、屋台で買ったであろう焼きそばなどを食べながらたわいもない会話を交わしている。人が集まっているとは言っても沿道の脇には比較的スペースがあって普通に往来が可能で、人がギチギチと敷き詰められるような混雑には程遠かった。
しかし自らのスペースで年配の方が穏やかに会話を交わし、沿道では知り合いとすれ違えば至る所で軽い立ち話が始まり、仲良さげな高校生や中学生のグループが賑やかに集い、その脇の屋台では幼児くらいの子供が小銭を手に食べ物と睨み合う。未だコロナ禍中ということもあるだろうし、無論東京の密集には敵うことのない、その物理的な密度を遥かに凌ぐ精神的な密度、人と人との親密感、そして心と心の近さがそこには存在した。誰もが豊かな時間を過ごし、ねぷたが始まるのを待っている。

スタート地点に集う多くの山車と参観者


19時を少し過ぎた頃だったか、先頭の団体の山車がやってきた。幼き頃からテレビや教科書など至る所で目にしてきた一般的なねぶたの写真はおそらく青森ねぶたのものだったのだろう、山車は青森のような立体的に模られたものではなく基本的に扇型である。扇型が主体となっているのは、城下町故の道の狭さなどに対応するために変形がしやすいことが一説として挙げられているようだが、それでいてダイナミックな変形や回転、山車の上に乗っているお兄さんが下を向き、手を振っては煽る姿に場は度々湧き上がる。そしてそのメインとなる山車の背後には、笛吹きや太鼓叩き、そして団体関係者であろう人々が家族や子供などを一緒に連れて興行を練り歩いており、それら全体が長い隊列を組んで一つの団体を構成している。お祭りではあるが、お祭り騒ぎや狂騒という感じは全くなく、程よい熱気でゆったりとした空気が流れていた。そしてその心地よさに恍惚としている自分がいた。

イトーヨーカドーを背に迫力良く回転する山車


唯さんが高校生の頃によく遊んでいたというイトーヨーカ堂弘前店あたり、駅前の通りの曲がり角付近で待機しながら弘前ねぷたを満喫していると、程なくして明らかに纏うオーラが違う浴衣姿の女性が一人、手提げに金魚を模ったねぷたの提灯のようなものを揺らしながらこちらに向かって歩いてきた(纏っていたのはオーラだけでなく、テレビやら新聞やらのカメラマンと照明・音声を引き連れていたために練り歩いている群衆の中で一人だけ明らかに彩度が違っていた)。

ついに浅倉唯ご本人のお出ましである。思わず目を見開き、その姿を瞼の裏に焼き付けようとする。が、ここは正直に言おう、正直に言うと生身の本人を自分の肉眼で見ることができたという感動はそれほど無かった。まあ大体そういうものなんだろう。ずっと画面越しに見ていた人がいざ目と鼻の先にいたとて、あまりに現実味がなさすぎるのだ。おそらく距離30cmで見たところで、いやもはや触れてもいいと言われたところで、ただひたすらに夢心地であるに違いない。しかしそれでも、画面で見ていたよりも遥かに小柄で細いことに驚いた。アイドルの生身を見た時のオタクみたいな平凡な感想で情けない。

それ以上に自身の心を動かしたのは浅倉唯さんのその凱旋ぶりである。纏うオーラで群衆の目を釘付けにすると、子供たちが「アギレラ様!」と掛け声を上げる度ににこやかな笑顔を振り撒き、それに釣られて掛けられる声援、向けられるカメラの一つ一つに丁寧に手を振り返す。沿道の端を歩いては、「あの子だよあの子、仮面ライダーに出てるんだって」と話す声が聞こえ、繰り返される些細な会話の一つ一つが熱を生み出し、そのエナジーが彼女を包み込んでいく。通り過ぎる度に注目の的となる彼女は2022年のねぷたの、いや弘前のヒロインそのものであった。
身に余るほどに圧倒的なその光景に僕は思わず高揚した。この弘前という土地こそが彼女のホームであり、この土地だけが彼女を受け入れられる包容力を併せ持つことを実感した。そして同時に、彼女の心が弘前から永遠に離れることはないことも確信した。そしてそれはきっと唯さん本人も然りであろう。

夢のような時間はあっという間に過ぎ去っていった。ここまで来たら多くは語るまい。この後ねぷた興行の終着点に近づき、彼女と付き添いのマネージャーらしき方が隊列から離れて沿道を通る際にも、周囲に集まるファンの一人一人に丁寧に対応をしていたこと、写真撮影に応じ、声を掛けられては丁寧にお辞儀をして感謝を伝えていたこと。彼女の誠実さや直向きな姿勢を語るにはそれだけで事足りるし、私を含めその場にいた観衆全員がその証人である。

唯さんがゲストとしての役目を終えた、弘前土手町のENEOSの前でねぷたの興行を最後まで見届けてから、ホテルに帰還した。小さなシングルルームのテレビを付け、ささやかな打ち上げにコンビニで買った濃いめのハイボールを流し込む。が、テレビの内容も入ってこなければ、アルコールが効いてる感じもしない。それは決してコロナに感染してるからではない。きっと1時間前に自分の目の前に映っていた光景があまりにセンセーショナルすぎて、途方もない余韻が五感を完全に支配してしまっているからだ。その余韻のせいか、はたまた気付かぬ内に酒が回ったせいか、どちらにせよフワフワとした感覚のまま瞼が重くなっていく。テレビも電気も付けたまま(ホテルの皆さん、ごめんなさい)、横たわっていた自分はいつしか眠りに落ちていた。

彼女とそしてねぷたを最後まで見送ったENEOSの曲がり角で




5. 8月6日、弘前から東京へ

あまり記憶は定かではないが、翌日は6時前に起床したはずだ。起きてまず、昨夜シャワーも浴びないまま寝てしまったベタベタな体にむず痒くなると同時にすぐさま、朝の6時45分には浴場が男湯から女湯に転換すると、昨日のチェックイン時に言われたことを思い出した。着替えとタオル持ってすぐに大浴場へと向かう。誰もいない大浴場のシャワーで体を洗い流し、浴槽に浸かる。頭は凄いスッキリしている、十分に睡眠は取れたようだ。オーガニックでヘルシーな健康朝食付きが売りらしいので、ありがたく頂くことにする。昨日からまともに口にしてなかったので体に沁みる。

9時50分ごろにチェックアウトし、今日も全く無計画の旅程をどうしようかと思いながら辺りをふらつくことにした。幸いにも前日のねぷた興行終了後に自分と全く同じ目的で弘前まで遥々やってきた方と出会い、今日の旅帰りを共にさせていただくことになっていたので昼までの時間をどうするか悩みどころであった。宿泊したホテルの近くにあった弘前れんが倉庫美術館と、その先を走る弘前鉄道大鰐線を横目に、昨日訪れることができなかった最勝院五重塔を見学に行く。

凛と建つ最勝院五重塔


江戸時代以前の建立で現存する五重塔の計22塔の中でも最北のものだそうで、青森県で初めて国の重要文化財に指定された、伝統的な高層木造建造物である。最勝院の寺伝によると、この五重塔は「藩祖為信の津軽統一の過程で戦死したすべての人たちを供養するために」建立されたとされており、敵味方に関係なく全ての死者を供養する塔として博愛思想を象徴している塔だ。少し階段を登った高台に建っているため、そこからは弘前の景色を少しながら見下ろす形になっている。分け隔てなく平等に弘前の人々を見守る五重塔を前にして、これからもどうか見守っていてくれと彼女への思いを馳せてしまう。

その後、弘前公園の近くにある、津軽藩ねぷた村というねぷたをテーマにした文化センターに立ち寄るも、完全に家族向けの施設といった趣だったので、早々に退散し駅へと戻ることにした。駅周辺をふらついていると、イトーヨーカ堂だけでなくショッピングモールのヒロロやガストなど、浅倉唯さんがまだ上京前に友人とともによく遊んでいたという憩いの場が多く点在することに気づく。彼女が学生時代に過ごしていたであろう場所を過ぎ、歩いたであろう通りを踏み締め、昨日出会った方と合流場所へと向かう。

お昼は弘前駅の近くにある、松ノ木というお店で郷土料理をいただくことにした。イガメンチやホタテの貝味噌焼きなど主に海鮮の料理だったが、非常に味わいのある素材にしっかりとした味付けがなされているのが印象的でどれも美味であった。
弘前駅の構内にあるお土産店でりんごジュース、りんごスティック、アップルパイと、りんご尽くしのお土産をたんまり買い込み、行きと同様に奥羽本線に揺られながら新青森まで戻る。思い切って来て本当に良かったと思える充実感と、こんなにもすぐに離れなければならないという僅かな寂寥感とともに、東京への帰路に就く。



6. 終わりに

筆を擱くに当たって、半年間書き溜めていた草稿を読み直しては推敲し、それとともに昨年の夏に歩いた弘前の街を思い起こしていた。初めての一人旅、2日間という短い間ではあるが、地方で一人自由に過ごす時間は確かに充実していた。
本州のほぼ北端、ゆったりと流れる涼しげな空気と地元の人々の暖かさ、和洋折衷が具現化された美しい街並みと後ろに佇む岩木山の威厳、だがそれでも地方都市の一つに過ぎなかったはずの弘前での時間を特別たらしめていたのは、紛れもなく浅倉唯という存在である。

冒頭においても記した通り、これは単に何か書き残しておかなければという私の漠然とした思いから生まれた、ただの自己満足を満たすための記事である。見返してみるとどうも頭でっかちで、後半になるにつれて文章量も想いもかなり尻すぼんでいることが分かる。そんな身勝手なものであると同時に、浅倉唯さんへの素朴な思いを込めた祈りの産物でもある。
旅路の一つ一つを冗長に書き連ねているだけなので、内容は取っ散らかっていて読み応えもなければ、特に得られるものもない文章だと思うが、それでも何かしら読んでくれた人に伝わるものがあれば良いと思っている。昨年の夏に弘前の地で経験し共有することのできたあの記憶が、これからの私自身の人生の礎となることを、そして浅倉唯自身の礎になることを心の底から願っている。これまでも、そしてこれからも、幾度となく苦難に陥ったとしても、弘前への思いを胸に彼女は羽ばたいていくだろう。





参考文献
・ひろさきガイドマップ、弘前観光コンベンション協会
・弘前市重要文化財周遊ガイドマップ、弘前市教育委員会文化財課
Smart FLASH、光文社、参照日:2022年9月2日
集英社オンライン、集英社、参照日:2022年9月3日
弘前公園総合情報、青森県弘前市、参照日:2022年10月7日
弘前ねぷたまつり、弘前観光コンベンション協会、参照日:2022年12月9日
HIROSAKI Heritage、あおもり創生パートナーズ、参照日:2023年2月10日



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