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60. 父親のこと/ sobre mi padre

ここ最近は旅行のことやら、ミドリの話ばかりだったので、

もう少し原点に戻って自分のことを掘り下げていきたいと思います。


幼少期のことから書こうと思ったんですけど、

もっとその先の先の原点である家族のことを書いてみようと思いました。



僕の父親は、

新潟の田舎で「建築板金業」の小さな会社を経営しています。

彼が創立者で一代目です。


以前の記事にも書きましたが、

父親からしたら僕が1人目の血のつながった子供なので、

彼は僕に会社をついで欲しかった。


なので、僕は幼い頃から「次期社長」として育てられました。

父の仕事関係者がいる場所に行くたびに、

「次期社長、次期社長」とチヤホヤされていたように記憶しています。


当時は何も感じていませんでしたが、

お年頃になると、それが違和感になってしまい、

僕はどこか枯れていたのかも知れません。


本当親父には申し訳ないんですけどね。



そんな親父ですが、

田舎の農家の4人兄弟の末っ子として育ちました。


当時は、まだ貧しい地域だったので、

食事の時も一番小さい親父は、食べたいものもろくに食べることができなかったようです。


特に印象深いのが、

彼は、炊き立ての白飯しか食べませんでした。


冷めたご飯、レンジで温めたご飯は論外。

炊き立てでもおこげや硬い部分があると、不機嫌になり母に文句を言っていました。


当時、親父が食べていたのは、釜の下の部分の硬いご飯だったんだと思います。

想像するとかわいそうですが、

そこから彼の反骨精神は育まれていったようです。


中学の頃からかなりヤンチャをしていたようで、

悪さや喧嘩(嫌いだった)はしていなかったそうですが、

学校をサボってはタバコを吸ったり、遊びに出かけていたようです。


男気ある人で、仲間にも恵まれ、

中性的な友人がいじめっ子に責められていると、

それを助けてあげた、なんて武勇伝を酒を飲むたびに話していました。


人情に熱い人のようです。


中学卒業後は高校には行かず、建築板金の職業訓練校に2年通ったそうです。

進路相談の時に、土建屋か建築板金を勧められて、その道を選んだそうです。


そう思うと、本当教師の存在って大きいですね。

教え子の人生を大きく左右させるアドバイスの連続ですもんね。



それと、ここだけの話ですけど、

進路に迷った時に、一度だけ道を踏み外して、

反社会組織に入ろうとしたことがあるそうで。。。


1日体験をしたけど、あまりの恐ろしさに尻尾を巻いて逃げてきた。

なんて話も酔うたびに話しています。

真相はわかりません笑


親父が会社を経営して、僕が物心ついた頃、

当時の親父を知るひとたちは、口を揃えて、

「立川さんは本当丸くなったねえ。」なんてことを言っていたので、

きっと大きく変わったんだと思います。


家族ができて、それだけじゃなく社員の生活、社員の家族の生活も大きく社長の肩にかかってきますからね。


僕が組織を運営するようになってからも、

よく親父は同じようなことを言ってきます。


経営者としても親父から学ぶことも多く、

たまに経営の相談をすることもあります。


次期社長として育てられたので、

やはり親父の背中を見ていますからね。

なんだかんだ経営者としての教育というのは、

今でこそ大いに役に立っていると痛感します。


感謝でしかないですね。

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