靴擦れ2つが何に勝つ

いま、私の左右の足には靴擦れのかさぶたがあります。足首のかかと側のあそこ。
スニーカーの、よくふんずけられているあの部分があたる部分。
それは、私の足が普通の人よりも小さいからで、その足に合わない履きなれないスニーカーを履いたからで、そのスニーカーを履いて友だち達とひらかたパークという遊園地に行ったからでした。

当日、家を出て、駅に向かう途中ですでに靴擦れができ始めているヒリヒリを感じていました。
まぁ、そうなるのはわかってたんです。
それでも私はスニーカーを履くと決めたんです。

普段、私はスニーカーを履きません。サイズが合うものが少なくて、靴擦れができやすいから。
それでもスニーカーが似つかわしい場面はあって、そういう場面では周りに合わせて楽しむためにスニーカーを履く。本当は多少ヒールがあるパンプスの方が楽だったりするけど、その耐久性がなさそうな見た目から、周りに気を遣わせてしまいたくないから。

遊園地にはスニーカーだろう、と私はスニーカーを履くことを決めました。
案の定、みんなもスニーカーで来ていて、私は自分の判断に満足しました。
私は一日中靴擦れの痛みを感じながら歩いていて、もちろんそのことを誰にも言わなくて、でも痛みのぶんを差し引いてもその日充分に楽しかったと今思えます。

昨日のお風呂ではお湯がしみていた靴擦れも、今はかさぶたになりかけています。
楽しかったな。
ああ不思議だな。
全然、嫌じゃないんです。靴擦れが痛かったことも、いまかさぶたがカッコ悪い形でできていることも。

もしかして、私が靴擦れの痛みをひそかに感じながらだったみたいに、何かの苦しさを感じながらだった子があの日の遊園地にいたかもしれない、とふと思いました。
私がいちいち靴擦れの痛みを言わなかったように、例えば少し体調が悪かった子や本当は遊園地よりも気がかりなことがあった子がそれを隠していたかもしれない。
別にそうだったとしても、気付かなくて申し訳ないな、とは思わない。
それはその子がした判断だから私はそこまで負う必要はないはず。

ただ、その子が、その判断が正しかったなと思えていたらいい。
多少の無理や苦痛に余裕で勝てるくらいの、楽しさがその日あったのならいい。

「また行こうね」という言葉が本当になるかどうか、というのは案外こういう時に決まるのかもしれません。
こういう時、というのはつまり、『かさぶた2つ』にそっと触れてみながらその日を思い出す時です。ちょうど今朝の私にあったみたいな。

#エッセイ #随筆 #日記 #コラム



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miya

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