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ミスをした人への怒り方、接し方【当事者目線/周り目線】

自分がミスをしてしまった時、
激しく申し訳ない気持ちから
罪悪感や劣等感に苛まれますでしょうか。

周りがミスをした時、
なんでそんなことやってんのとイライラするでしょうか
ミスをしてしまった人を励ましに行くでしょうか
まずは状況改善に取り掛かるでしょうか。

これに特に正解はないとは思いますが、
普段ミスが少ないで定評のある僕が
先日仕事で初めて顛末書を書いた際に
感じた思いをまとめたくて文章にしました。
※僕の会社では「顛末書を書く」というのは最も重いミスをしたことを意味します

おはようございます
きーすとと申します。

普段は、私が「早起き」を通して
感じた思いや
朝にできた有意義な活動等を
発信しているのですが、
今回は番外編です。

人間は生物的に、100%ミス無く業務を行うのは不可能らしいです。
なのでそのミスの確率をいかにして減らすかと、ミスした際のフォローに力を入れないといけません。

そんな切っても切り離せない「ミス」との付き合い方について今日はお話します。

周りがミスをしてしまった時

ミスはそもそも良くないことですよね。
怒られて罰せられて然るべきです。
ミスの程度によってはさいあく懲戒なども考えられます。
では、周りがミスをした時はその人を頭ごなしに怒鳴り散らしてもいいのでしょうか。
まぁ今の時代そんなことをする人は少ないかもしれません。
ただ二度と怒らないように注意する必要があります。
その際気をつけなければならないのは、
「ミスしたことを注意」するのであって
「ミスした人を注意(説教/叱り)」はなるべくしない方がいいということ。

これなかなか難しいのですが、「人」を責めるのではなくて「ミス自体」を責めるということです。
例えば、とあるAさんが忘れ物をした時「忘れ物は良くない」とは言ってもいいのですが「忘れ物をしたAさんは良くない」と言ってしまうとかなり攻撃的かつ、Aさんにとっては深く心に傷を負ってしまいます。
(Aさんが忘れ物常習犯等であれば多少はこう言った注意も必要かもしれませんが…)
また、人間の右脳は思っていることを行動に起こせる習性がありますが、この右脳は厄介なことに「良し悪し」を判断できません。
その為、先ほどの忘れ物をしたAさんに「Aさん忘れ物いっつもするよね」のような言い方をしてしまうと、Aさんは「私はよく忘れ物をする」というイメージがこびりついてしまい結果何度も同じミスを繰り返してしまいます。
皆さんの周りで同じミスを繰り返している人はいませんか?
その人は、周りになんと言われているでしょうか?
「お前またかよ〜〜」なんていつも言われているようだと、その人の右脳はもうガチガチに「私はこのミスをする人間だ」という認識になっているのかもしれません。

ではここでどんな声がけが必要なのでしょうか。
言うまでもないですが、「ミスの改善策」を伝えるべきです。
忘れ物が多いAさんには、「忘れ物はあまり良くないよね、家を出る前に忘れ物チェックをしたら?」と言います。
そうすれば、Aさんは忘れ物をするしないの前に、忘れ物のチェックをするようになります。
普段忘れ物が多いAさんにとって「忘れ物するなよ」という注意だけでは正直心許ないですよね。
多分Aさんも気持ちの面だけ変えても結局忘れ物をしてしまうと思います。
変えるべきなのは、気持ちじゃなくて行動です。

このように、周りがミスをした際は
◆まずは人を責めない
◆改善策(具体的な行動)を伝える
ことが最も大事だと思います。


ミスをしたくてする人はいない

…とは言っても、ミスした人に少しはイライラしませんか?

私は正直少ししてしまいます。
特に周りのミスで自分まで迷惑がかかったり時間をかけなければならなくなったりした時は「あいつがちゃんとやってれば…」なんて思ってしまいます。
そんなことを思いながら過ごしておりましたが、冒頭でお話ししました通り先日私は顛末書を書きました。
お客様と取り交わした内容と違う内容で商品を納品してしまったのです。
具体的には、お届けする予定より3日早く商品を納品してしまいました。
今回はたまたま「予定より早く納品した」ということと、お客様があまり納品日にこだわりがない方であった為大きなクレーム等にはならなかったのですが、これが誤って「納品日が1年遅い日付で設定していた」とかになってしまいますとそれは取り返しのつかないレベルのミスになります。
また、社内上では「3日早く納品した」のも「1年遅く納品した」のも同じ「取り交わした契約と違う形での納品」という扱いになるので、私は人生で初めて顛末書を書きました。
その際上司は親身になって顛末書の書き方等々を一緒に確認しながら教えてくださいました。
それは本当にありがたかったのですが、僕が数年ぶりにこれだけ大きなミスをして思ったことは「想像以上に心に傷がつく」ということです。
ミスがいけないことだというのは誰もが知っていますし、なんならミスをした当事者が一番分かっているかもしれません。
ただ、ミスをしてしまった以上自分の中では「私はミスをした」という大きなレッテルを自分に貼り付けてしまいます。
これがね…なかなかキツイ…………
あれ、自分ここにいていいのかな?なんて思ってしまうレベル…………
もちろん、ミスをした人が良くないのは重々承知の上ですが、それでも「したくてしているわけではない」ので、どうしても自分を責めてしまいますね。


仕事としての関係と、人としての関係

僕は基本超合理主義なのでミスをした人を見ると「まぁ起きてしまったのは仕方ないからとりあえず事故を早めに収集して次回起きないように改善策でも考えたら?」なんてことを思ってしまいます。
しかし、自分がミスをした側に立った時、誰でもいいので「大丈夫?」とか「今忙しいかもだけど、後でちょっと話そうよ」とかそんな一言が心の底から欲しくなりました。だって想像以上に苦しい思いをしたから。
でもこの声がけは上司や先輩のような教育者/指導者からはなかなかかけづらいもので、かけるべき人は同期や友達になってくるかなと思います。
教育者/指導者からこういった声がかかってしまうと、その「教育」や「指導」が「思いやり」によって若干薄れてしまいます。
もし私が顛末書を書いている時に上司から「大丈夫だよ、気にするなよ」なんて言われてしまったら「あれ?意外とそこまで重大なミスではなかったのかな?」なんて思ってしまいます。なので教育者/指導者は心を鬼にしてしっかり教えて、声がけは他の同期等にお願いする必要があります。
逆に自分の周りでミスをしている人がいた場合は、その人が自分が教育/指導する相手であった場合はしっかり教えて、もし他にその人を教育/指導する人がいるなら自分はさりげなくちょっと一言声をかけてあげるのが良いのかなと。
正直仕事をする上でそういった「心情」や「人情」は一切取り払っても大丈夫なのですが、仕事をしているのは結局「人」なので人と人のコミュニケーションであることもしっかり重視して取り組んでいくべきだと思いました。


まとめ

今回のブログは、将来の自分へのメッセージのつもりで書きました。
前述した通り僕は超合理主義なのでミスをした人を見るとその人の気持ちとかの前に「ミスをしたこと」にだけ目がいって「とりあえず解決しよう、二度と起きないよう改善策考えよう」という発想になるのですが、改めて自分がミスをした側に立った時に「ちょっとした思いやり」がめちゃめちゃに欲しくなってしまいました。(もちろん解決策や改善策を考えるのもとても大事なことではあるのですが。)
改めて、将来の自分に向けたいメッセージは

 今周りにミスをしている人がいたならば、
 その人は思っている以上に傷ついてしまっているはずだから
 事態が収束した後でもいいから
 何か一言声をかけてあげてください
                   ミスをした自分より

という感じです。
数ヶ月後、数年後このブログを自分は見てんのかな。
ちゃんと見ていればいいなーー。
今日は有給休暇なのでこんな真昼間から記事を更新しました。


ここまで読んで下さりありがとうございました!
あなたの今日1日がいい日になりますように。
それでは!


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