実話怪談 #53 「ポタリ……」
これは十代後半の女性、水原さんの談である。
水原さんは大学に入学したさい、一人部屋の寮に入ることにした。実家からの距離を考えると通学するのは難しかった。
寮を生活をはじめて三ヶ月ほどが経った頃だった。水原さんは深夜一時になっても、必須英語の勉強を続けていた。高校のときから英語が苦手で、単位を落としそうで不安だった。
水原さんは勉強するとき、いつも髪をお団子に結う。長い髪が手もとに落ちて邪魔なのだ。その日も髪をお団子にまとめて、ローテーブルに教科書を広げていた。
うつむき加減になって教科書の細かい文字を追っていた。すると、首筋になにかがポタリと落ちてきた。水滴のような冷たさを感じたが、首筋を触ると濡れてはいなかった。
(水漏れ……?)
前に別の部屋で水漏れがあったと聞いた。しかし、天井を仰いで目を凝らしてみても、水が滲み出た痕跡は確認できなかった。
きっと気のせいだろうと、水原さんは勉強を再開した。
そうして三十分ほど経過したときだった。またも首筋にポタリとなにかが落ちた。
やはり水滴のような冷たさを感じたが、首筋を触ってみても濡れてはいないようだ。天井にも水が滲み出たような痕跡はない。
もしかして水滴ではなく、自分の髪の毛だろうか。お団子にまとめた髪の毛先が首筋に触れて、それが水滴のように感じたのかもしれない。水原さんはそのように思い至り、お団子を作り直してから勉強を再開した。
以後は首筋になにかが触れることなく、三時を少し過ぎた頃に勉強を終えた。
水原さんは歯を磨いて顔を洗うと、リモコンを手にしてベッドに腰掛けた。そのリモコンで照明を消して部屋が真っ暗になったとき、水原さんはそれを認めて思わず息を呑んだ。
窓際に十歳くらいの女の子がぼんやりと立っていたのだ。部屋の中だというのに白い傘を差している。
そして、瞬きをした次の瞬間、女の子の顔がすぐ目の前にあった。女の子は白目を剥いており、ぶつぶつとなにかを呟いていた。
悲鳴をあげたあとの記憶はなく、気づくとベッドの上で横になっていた。窓の外は明るく、枕もとの時計を確認すると朝の九時前だった。
どうやら、朝まで恐怖で気を失っていたらしい。
昨晩の女の子のことを思いだすと、怖さがぞくぞくとぶり返してきた。あの女の子は生きた人間ではないだろう。霊に違いなかった。
水原さんは恐怖に駆られたまま自分の部屋を出た。一階まで階段を走りおりて、寮母のいる部屋へ向かう。
インターホンを鳴らしてまもなくすると、ドアが開いて寮母が顔をだした。五十代後半の少しふくよかな人だ。
「おはよう、水原さん。なにか用?」
思い切って水原さんは昨晩の女の子の話をした。信じてもらえるかはわからなかったが、とにかく誰かに話を聞いてほしかった。誰かに話を聞いてもらわないと、怖くて怖くてしかたなかったのだ。
そして、可能なら部屋を変えてほしいと伝えるつもりでいた。霊が出る部屋に住み続けるなんて怖すぎる。
すると、寮母は意外にすんなりと話を信じてくれた。いや、信じてくれたというより、女の子の正体を知っているようだった。
「ごめんなさい、部屋の移動は叶えてあげられないわ。ほかに空いている部屋がないのよ。でも、あれは怖がらなくていい。ときどき出てくるんだけど、決して悪いものではないから」
寮母は続けてこうも言った。
「あれは教えてくれるだけ。どこに水滴が落ちたの?」
「え……」
「身体のどこかに水滴が落ちたでしょう? 」
そういえば、勉強をしているときに――
「首に水滴が落ちました」
「じゃあ、首の怪我や病気に気をつけて」
*
それから約三週間後のことだった。
水原さんはふたりの友人とある歌手のコンサートにいった。帰りの電車がひどく混んでいたため、思い切ってタクシーに乗ることにした。三人で運賃を割れば、そこまで高額ではない。
そのタクシーが信号待ちをしているときだった。前方不注意の軽トラックが後ろから突っこんできた。さいわい大きな事故にはならなかったものの、水原さんは追突の衝撃によって首を痛めた。
病院ではムチウチだと診断がくだされ、完治まで一ヶ月ほどかかったという。
(了)
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