見出し画像

Valentineの鍵と錠

 出会いの夏は、私は受験生を抱えたシングルマザーだったし、彼は起業のために脱サラした平たく言えば無職。年を超えて初めてのValentineは、彼は顧客確保に出張を繰り返し、幼い娘達に会いに毎週末は実家に通っていた。私は生命保険や定期預金を解約して彼に渡して、彼の工場へ長距離バスと電車を乗り継いで通う足代にも事欠いていたので、たぶんチョコは渡していない。その翌年は私大の学費で必死だったし、更に次の年には彼の工場に住み着いていた。Valentineのチョコを用意したい私に「娘から貰うからイラネ」と彼は涼しい顔をしていた。
 今年、大好きな人がいるのに振られてもいないのに渡す相手がいないと思いながら過去を振り返ってみたら、どうやら一度も渡していないのじゃないか?と背筋が凍った。大袈裟な表現だと思うけれど、大好きなままで取り残されているのに、自分から愛を伝えるべく日に一度もチョコを渡していないのはショックだった。

だから、送った。

 彼にチョコを渡したくて、彼の実家にチョコを送るのに受取人に彼のお母さんの名前を書くという行為に違和感を感じながら、上記の説明を手紙にしたためた。流石に亡くなった家族宛にチョコが届くというのはいかががなものか!と考えを巡らせてみたものの、自分の中でデモデモダッテが氾濫しているのでGoを出す答えしか出てこない。
義理チョコの風習のない職場しか経験していなかったので、こんな高いチョコを自分で買ったのは初めてだった。だから、同梱した猫チュールやおやつはマツキヨで調達した。ほんとゴメンと思ってる。

工場で使っていた鍵と錠

書けなかったこと

 彼は浮気をしていた。顧客の一人と。風俗の人みたいだけど。
だけど、私は彼を理解しすぎている。彼は遊びで浮気をする人じゃない。相手がプロでも純粋に好きになるんだろうなと考えると、本気なんだと思ってしまう。それが私を嫌いになったと言うことなのか、よくわからなかった。
去年、私が仕事を手伝うのを「一人でやるからいいよ」と言っていたのが、私が自由に過ごせる時間をくれるためだったのか、一緒に仕事をする気にもならないほど嫌われていたのかもわからなくなって混乱していた。この混乱は浮気が分かる前からの不安で、怖くて直接訊ねられなかった。
 浮気が分かったのは、残務整理で彼の購入履歴から経費分を抜き出す作業で見つけた。相手の住所も名前も...。彼のメールボックスのアーカイブに写真もあった。
 故人の名誉を守るために言えば、彼は秘密を墓場までは持って行ったつもりだと思う。お墓に入ったのは君だけなんだ。データは残ってるんだよ。

 さすがに嫉妬心は無かったのだけれど、私の中で彼への愛が残ってしまっていることで、私がパートナーとして彼を偲んでいる事を〈彼が嫌がっていたら〉と思うと苦しく悲しく自分が哀れで、これから先どうしたらいいのか見当がつかなくなった。思考を振り払っても振り払っても蘇ってくる。

ミディアムさん

 検索するまで意味も知らなかったのに、すがるように霊視をお願いした。
彼は「人間は死んだら無になる」と何度か言っていた。依頼してから寝る前にお願いだから出てきて。私の夢に出てこなくていいから。と理系頭の彼を説得するように祈っていた。

ヴァレンタインデーの夜、霊視の結果が届いた。
やっぱり純粋に恋してた。
言い訳もなく説明してくれていた。ゴメンもなく。
いつも通りだった。説明が壊滅的に下手な彼がちゃんと説明しようとすると事実関係を忠実に追うので、ゴメンが抜ける。
「ゴメンって言え!」「ゴメン」のやりとりが定型句のようなもんだった。

でも、その事実関係を忠実に追う言葉に私への愛や信頼が溢れていた。
突然亡くなってしまって、工場はもぬけの殻になって一人で彷徨い成仏できていなかったらどうしようという不安も消えた。
一番に伝えたかった、一緒に過ごせて楽しかった。ありがとう。も伝えることができた。

そして鑑定の最後は、私と彼との関係を鍵と錠前というビジョンに例えられていた。そうなんだ、私たちは共通点が少なかった。自分が持っていないものは相手が持っていた。音楽の好みも違っていたので、お互いに影響を与え合い好きな曲の幅が格段に広がった。営業は彼の担当で、時間の調整は私の担当、商品の完成度は彼に任せて、経理は私がなんとかできた。

 でも、こうも簡単に浮気を受け容れて水に流してしまう自分に些か驚いたものの、数日前に偶然見つけた言葉を思い出した。

〈forgive and forget〉

見つけた日の夜、どこで見掛けてメモしたんだっけ?と考えたが思い出せなく、その場でとりあえず許すのはできても忘れるのとセットは難しいな。と考えていた。まさか、こんなに簡単に出来るとは思ってもみなかった。

出て来てくれてありがとう。
愛してくれてありがとう。
一緒に過ごせて楽しかったよ。ありがとう。

 信じられないことに、涙が止まらなくなった。1粒、2粒の涙は何回も流したけれど、ちゃんと泣いたのは彼がいなくなってから初めてだった。
彼を思って泣いてもいいんだ。嫌がられないんだとわかればもう堪える必要なんてない。
もうグラグラ揺れたりしないから大丈夫だよ。ちゃんと立って自分の人生歩いてから会いに行くよ。また会えるまで待っててね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?