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未熟

秋の気配

 通勤路に落ちるまだ青い柿を踏まないように避けて歩き、未成熟なままに落ちて果てる姿を自分たちに重ねてしまう。図書館の階段の隅に転がるどんぐりに哀れを感じる。

精神状態とは何ぞや

・病んでる
 私が死別から2年が経とうとしていることや、ずっと彼に夢ですら会えないことに苦しんでいる事を知っていれば〈病んでいる〉と言うことだろう。
しかし幸か不幸か、私以外にそれを知る人はいない。
・侘び寂び
 落ちている柿やらどんぐりで心が掻き乱されるのを、文化的/文学的に見れば〈侘び寂び〉の1コマであり、ザ・日本カルチャー大好きな外国人なら「禅だ!」と喜んで感動してくれるかもしれない。
 逆に、私には〈侘びだ/寂だ/情緒だ〉と思われる表現を見かけると、死別で落ち込んでいる人ではないだろうか?と心配してしまう。

塩焼き

 帰り道、小さい店から魚を焼く匂いがした。溢れそうになる涙を「イカン!」と自分に活を入れ堪えた。
 魚をこよなく愛す彼は、ネットで遊んでしまって魚を焦がすことも良くあった。しかもズボラと物忘れの合わせ技で、魚焼きグリルを使ったままに放置するこも当たり前だった。---魚焼きグリルを洗っている彼を私は見たことがない。
 商売道具だった嗅覚が、一瞬で彼への想いが溢れかえる香りが、塩焼きで焦げた魚の脂だった事にショックを受けた。君の香りが魚焼きグリルを洗っている時の香りになったよ。2年の月日は残酷である。

2年の月日

 あの日が来る前は、帽子を被ったどんぐりは〈かわいい〉ものであって、未成熟のまま果てた生命などと感じる由もなかった。住んでいた地には柿の木は無かったけれど〈もったいない〉とは思っても、色づき成熟した未来を失ってしまったとは思わなかっただろう。

 柿の実/どんぐり/焼き魚の匂い どれも死別直後だったらどん底まで落ちてしまっただろう。自分でも思い返して驚くほどにスポスポと繰り返してどん底に落ちていた。

 以前読んだ本に、とあるお坊さんが「悲しみを受け止めるポケットが少しずつ大きくなって悲しみを受け止められるようになっていく」というような事を語っていらした。

 体感的には、落ちたどん底で彼を慕って懐かしい記憶を蒔き広げて〈住めば都〉とばかりに彼と暮らす巣を作って定住してしまったような気がする。
そこで定住しているのだから、もはや落ちない!
かと言って、落ちていない訳でもない。根本が〈底〉だから。

 上がろうとか、前を向かなきゃとか思わなくなった。日常からほんの数時間で命が尽きる日があると知ってしまえば、老後の心配も何もない。諸行無常である。落ちないから、日々を暮らしている。私にとっての〈前〉というものを〈住めば都の底〉で手に入れたのかも知れない。

たぶん人にとっての〈前〉なんてものは、千差万別。前を向けと言われて苦しい思いをした人も多いと思う。たぶんそれを言う人はまだ知らないのだと思う。〈幸せな希望に満ちた前を一瞬で葬られたから落ちているんだ〉という事を。

 悲しみが薄らぐわけでもなく、幸せだった日々が色褪せた訳でもなく、底を住めば都に創り変えていたのが2年目だったかな。


業務連絡

 ほんっとに、驚くほどに夢に出てこないよね。
私を見守るとか傍に居るのを忘れてどっかで転生しちゃってるんじゃないか?とか心配になる。転生しちゃったら私のお迎えに来られないじゃん!
夢に出て来ない×日数分の特大なお小言が暴発しそうだよ。

そろそろミディアムさんに助けを請いたいと思いながら、マジで居なかったらと思うとお願いもできない。だから、もうちょっとわかりやすくリアルに日常的になんかしてくれ!

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