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空っぽ empty

 この写真を撮ってから約2ヶ月も経っている。何もしていなくても月日は流れ、笑顔で働いていれば明るいいい人認定される。そんな虚構の現実世界で生きている。
 2ヶ月以上も空っぽを感じながら過ごしている。この写真を撮った広場はその時には一面のシロツメグサが咲いていた。ほんの一角だけがアカツメグサ(紫詰草)が生えていた。

クローバー

 子供の頃からこのアカツメグサが解せなかった。花冠を編もうとしても
花のすぐ下に葉がついているので編みにくく〈赤と白〉という違い以上のモノがあるだろうに、しれっと「ただの色違いですよ」と堂々としている様が解せなかった。
 幸せを運ぶ4つ葉のクローバーがこいつらにもあるのだろうか?そもそもこいつらの葉っぱは、ハート型ですらないのである。どうしたってマガイモノであろう。
 シロツメグサの皮を被るコイツラが詐欺師なのか、幼稚園児ながらにこんな事を考えている私の方がヤバいのか...、どちらにしても私の中のブラックな一面がこの写真を撮ったのであった。
 ついでに花言葉は、善良で陽気/豊かな愛/勤勉/実直。詐欺師とは真逆であった。言葉もない…

空っぽ

 これを何と表現したらいいのかわからない。
死別直後から半年位までは、文字通り「ぽっかり穴」が空いていてた。
次の半年は「あの日」を追体験してしまいそうな恐怖から、命日までの時限爆弾を抱えて過ごしている気持ちだった。

それから1年が経ち、去年は時限爆弾を抱えて過ごしていた時期になった。
空っぽである。勇気も意欲も喜びも無い、代わりに悲しみも不満も不平も無い。

 彼にまた会えたら大喜びするだろう。もう会えないという事実が目の前のあるのだから、もはや何があっても悲しいとか感じる程に心が動かない。
ボスキャラ戦を経験したら、誰が出てきても雑魚キャラという感覚なのか。

去年との違い

 去年は虚無感に苛まれていた。何を思っても最後には「何で?」と振り出しに戻ってしまうような、どうしようと考えているのに、実際は頭の中は空白で〈虚無とは何か〉を〈虚無を体験学習〉しているような毎日だった。

 そして、今年は〈空っぽ〉なのである。虚無感をペラッペラにしたようなもんである。去年は外に出るときには仮面を身に着けていたけれど、1年が経ちペラペラな膜が私を包んでいるのかも知れない。絶対に他人が理解してくれないであろう〈現在進行系の愛の形〉である私の世界と、上辺の世界の境界線。私の本質がある膜の内側は空っぽなのである。

 みんな大好きな4つ葉のクローバーは無いけれど私もツメクサなんですよ!私もお花咲きましたよ!(赤いけど…小声)
少し無理をしているのかも知れない。だけど本人は至って真面目に死別なんてしていない風を装って暮らしている。大多数の人には道端の雑草が赤だろうと白だろうと無関心だろう。そんな無関心の世界で暮らしている。


考えるのを止められない

 これをグルグル思考と言うのだろうか?
当然のように爺ちゃん婆ちゃんになって貧乏ながらも楽しい老後が来ると思っていた。「添い遂げる」というのは美しい言葉だと思っていた。

 最期まで添い遂げるって…死別しちゃってるって事だよね。そもそも事故か何かに巻き込まれないと死別するんだよね。

---この発想から一足飛びに思考がワープする。

チャーミーグリーンの婆ちゃんが可愛い婆ちゃんなのは、歳取ってからかわいい婆ちゃんになったんでは無かったんだ。出会った時から、二人の間ではいつでもかわいい彼女のまんまでいたんだ。

 将来、かわいい婆ちゃんになれたらいいな~ってちらっと思っていた。そうか、彼とだったらかわいい婆ちゃんになれたんだな。


業務連絡
 何か動く気がしなくでベッドでゴロゴロしたり、うだうだと2連休を終わらせてしまった。こんなに何もしないなんて半年ぶり?1年ぶり?

そもそも君が夢にも現れないのがいけないんだ!
君がもう私の側には居ないんじゃないかという不安と、私が君を信じなくてどうするという想いがせめぎあう。

 君が居なくなってから後悔している事、言えなかった言葉もろもろ。
これが自分がこれから学ばなければならない事なんだなって気がついた。
しおらしく反省していればいいものを、ブラックな私は悪態をつきたくなる。「君だって出来てなかったじゃんか!」もっとコッチで修行してれば良かったのに、追試あるんだろうか?
追試面倒だから、私はもう少しコッチで「愛してるぜぃ!ありがとう!」を連呼してくるよ。

 寝苦しい季節になったんだ。エアコンぶっ壊れてるし買えないし、頼む!寝かせてくれ。マジお願い。

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