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ドラマ『不適切にもほどがある!』多様性の正体を暴露する痛快作!

宮藤官九郎脚本×阿部サダヲの新ドラマ『不適切にもほどがある!』を視聴!
めちゃくちゃ笑った。とにかく面白すぎる。
1986年の体育教師が現代にタイムスリップするコメディで、多様性の時代にパワハラで特攻する痛快作だ。

まだ第一話だけど、多様性について発見したことがあった。
結論から先にいうと、日本の多様性は協調性の土台に支えられているということ。

多様性が個人を守るものではなく、協調性や同調圧力の道具になってしまっている気がするのだ。

多様性と協調性が掛け算しているから、息苦しい社会になっているのではないか。
多様性を謳いながら実質的には個人を尊重していない
〇〇弱者というカテゴリの色眼鏡で見てしまい、そこに個人の人格や尊厳がないように思える。

多様性といえば個性を大切にするものだと思いきや、実態は「特定の性質に当てはめるカテゴライズ」であり、その細部にある本当の個人を切り捨てている

大衆>〇〇のカテゴリ>個人
この図式で考えると、80年代は大衆と個人の括りだけだったのが、2024年代は大衆も個人も〇〇のカテゴリに収まるような行動が求められ、結果として個も失われているのではないか?

大衆の常識も、個人も、真ん中のカテゴリに収まるように圧力をかけられている状態だ

ドラマを見て、多様性とカテゴライズ(同質性)が同時に語られる矛盾が明確になった。

1986年ではムッチ先輩(磯村勇斗)とキヨシ(坂元愛登)のタイマンで、何度も向かってくるキヨシをムッチ先輩が認めるシーンはありがちな展開ではあるが、同時にキヨシ個人を尊重して認めてあげているようだった。

逆に2024年では、仲里依紗がシングルマザーというカテゴリに苦しめられている。

1980年代が最高というわけでも多様性を全面否定するつもりもないんだけど、そのカテゴリの下にある個人をもっと尊重してあげよう。多様性のもう一段下にある個人を見てあげよう。そう思えるドラマだった。



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