創作小説『鳥の骨格標本に左右される猫は、猫を超越しうるか?』⑦

啓示

翌朝、ドラムの音が小さくなったので恐る恐るベランダへ出てみた。下にヒグマの気配がない。逃げられる。そう思った瞬間、鼻先に熱い液体が降り注いできてパニック状態になった。いい香りがする。上を見るとパンダ夫人が微笑んでいた。如雨露には熱々のコーヒーがたっぷり入っているようで、黒い液体が引き伸ばされて弧を描き、降り注いでくる。深煎りのようだ。

熱さで悶えながら部屋の中に転がり込む。恐らくスピリチュアルだか風水だかによると、敵にコーヒーを浴びせるのが効果的なのかもしれない。やられたほうは最悪だ。ヒグマは盗撮の犯人が僕だということだけパンダ夫人に伝え、見張りを昼夜交代でやっているのだろう。

コンビニ弁当かウーバーで食事を済ませることが多い僕にとって、深刻な食糧危機が迫っていることにも気づいた。冷蔵庫にはマウンテン・デューしか入っていない。こんなことなら普段から自炊するか、食料を備蓄しておくべきだった。

上からの轟音は不定期で鳴り続ける。夜になると白頭鷲の鳴き声が聞こえ、ベランダに何かが投げ込まれた。白いビニール袋だったが、なんだか死んだクラゲに見える。中にはカップ麺、あんぱん、あんドーナッツが入っていた。実質的な協力はしてくれないようだが、サポートだけでもありがたい。カップ麺を猛烈にすすり、あんドーナッツを食べて一服していると、他の思念も湧いてきた。食料援助より警察に通報してくれよ。

ドーナッツの糖分で意識はさらにボヤけ、閉じ込められる前からもう何日もろくに眠れていないこともあって、これが夢か現実かなのかさえあやふやな状態へと移行中だった。

鈍い轟音の中で思念が霞んでいく。しばらくすると突然窓の外がナイターのように明るくなり、ザビエルがホバリングしているのが見えた。助けに来てくれたのか。

「神を信じなさい。武士も神を信じ、苦難に耐えました」

声が聞こえた。

「前半は理解できる。だが、武士は一体なんの関係があるんだ」

「言葉に意味を求めすぎてはいけません。あなたはいつも意味を求め過ぎている。見えない絆を信じなさい」

うつ伏せの状態で不満とヨダレを垂れ流す自分の声で、現実に帰還することができた。ドラムソロの音量も大きくなっている。夢でザビエルが案外説教くさいやつだったことに不満を覚えながら、コントローラーを手に取って壁に投げつける。

とりあえずもっと眠りたいが、上からの轟音で一瞬目を瞑ったと思ったらすぐに目が覚める状態だった。これでは今に気が狂ってしまう。

また何時間か床に倒れたあとで、起き上がった。柱に爪で書いた傷は3本に達した。意識朦朧の中ではあるが、もしカウントが正しければ閉じ込められて3日が経過していた。眠れない状態はそれ以前から続いていたのでもうそろそろ限界だ。視界が霞んで、手を動かすと影が見える。タバコの火を眺めながら、いっそ放火してやろうかとも思ったが、関係ない住人が巻き込まれるし、連続鳩殺害のヒグマより罪が重くなってワイドショーのメインディッシュが僕になりそうだと考え、思いとどまった。苦しみながら丸焦げになって死ぬのも嫌だ。

タバコの火を消し、窓を向いて体育座りをして目を瞑る。雨音が聞こえ、だんだん激しくなった。もし僕に翼があれば、こんな状況をすぐにでも打破できるのに。雨に濡れながらでも立派に飛んでみせる。猫である僕に足りないのは翼だけだ。

いや、勇気だ。勝てない勝負に挑む勇気が足りなかった。パンダ夫人にも言いたいことを言っていればこんな状況にならずに済んだかもしれない。立ち上がって窓を開けた。こうなったら一か八かの脱出をしてやる。もう、ヒグマに八つ裂きにされて死んだって構わない。

その瞬間、閉じていた瞼の裏に強烈な白い光が生まれた。

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