創作小説『鳥の骨格標本に左右される猫は、猫を超越しうるか?』②

騒音の正体

三日後やっと雨が上がり、窓から見える街は紺色から灰色へと変化した。

昼時に隣の302号室に住む、テンションが高くて難聴で押し付けがましい白頭鷲から聞いたところによると、上の階から響いてくる音は新しく引っ越してきたパンダ夫人の子供が寝返りをうっているせいらしかった。パンダの子供は体が柔らかいので、寝返りといってもテーブルからイスへ、イスから床へという具合に、転がり落ちているようだ。

笹の葉ばかり食べているくせに体重は増えるのはなぜだろうか。僕の部屋では定期的に地震かと思われるくらいに響いている。犬どもの二倍の聴覚を持つ猫の僕にとっては死活問題だ。もう三日間満足に眠れずにいた。白頭鷲の部屋にもその音が少し響いているらしいが、難聴なのでそれほど気にならないのだろう。

流石にこの騒音というか轟音にはもう耐えられないと思い大家に相談しようと考えたが、ヒグマは図体ばかりでかくて鈍感で嫌なやつなのを思い出して躊躇った。パンダとヒグマ、同じクマ科同士で便宜を図られでもしたら余計面倒だ。仕方ない。覚悟を決めて上の階に直接クレームを言いに行こう。

階段をゆっくり上った。ご近所トラブルに巻き込まれたら面倒だし、いっそのこと今日は留守だったらいいなあと思いながら403号室のベルを押す。ドンドンドンという音が近づいてきて、大柄なパンダ夫人がドアを開けた。奥をチラっと見ると、仔パンダがテーブルの上に寝そべっている。また床に落ちるのを楽しむ気か。

「なんでしょうか?」

そう言ったパンダ夫人の口から、キラッと大きな犬歯がのぞく。

「……あっ、パンダが……息子さんが落ちている音がするから、危ないと思って」言いたかった言葉と出てきた言葉はまるで違った。

「わざわざありがとうございます。でもねえ、大丈夫なんですよ。パンダの子供は高いところから落ちながら成長していくものなんです。さあ、どうぞ」

パンダ夫人はいかにも自然に僕を招き入れた。それでもう、中に入らざるを得なくなった。

「笹茶と笹団子です」

ドタン!大きな音を立ててテーブルからイスへ落下した仔パンダは、不思議そうにこちらを見ていた。猫を見るのが初めてなのだろう。こいつにならまだ勝てるはずだ。

そんな想像をしていると、むせてブハッと笹茶を吐き出してしまった。仔パンダが笑顔になっている。

パンダ夫人はあらあらと言いながらテーブルを拭いてくれた。もう1度、笹茶を啜る。味は若干薄いが、透明感が凝縮されて少し濁ったような香りが素晴らしく、全身が笹で包まれている気がした。笹団子を口に運ぶ。甘さと苦味が幼馴染のようだった。

味覚と嗅覚が笹に占拠されたが、なんだか心地よい。飲み物や菓子にまで笹を使っているところを見ると、笹という存在をこの世から抹殺すればパンダも絶滅するだろう。そんな騒音撲滅プランが一瞬浮かんだが、湯気と一緒に消えていった。

深呼吸して周囲を見回すと、部屋にスピリチュアルな雰囲気が漂っていることに気づく。定番の水晶玉の他、棚の上の赤い敷物には高そうだが効果は微妙そうな金色の竜の置物がこれみよがしに置かれていた。

パンダ夫人は笹の葉占いをしてくれるという。机の上にドサっと置かれた笹の葉から、一枚を選べと言われた。数百もの葉脈のどこに穴や傷があるかを見てインスピレーションを感じることで実に様々なことが占えるらしく、パンダ界ではこの笹の葉占いで物事を決めるのが常らしい。元旦那とも占いで別れたようで、現在ではオンライン占いで生計を立てているとのことだ。パンダ夫人が僕が適当に選んだ笹を真剣に見つめている。

顔を上げたパンダ夫人は笑顔には戻ったものの、数秒間沈黙を続けたのちにこう言った。

「鳥の骨格標本が見えます。すごくじめじめした場所に」

「……どういう意味でしょうか」

「とにかく、数ヶ月間は気をつけてください。不要不急の外出も控えるように」

予見された意味不明なビジョンに対して、具体策が適当すぎると思った。これが笹の葉占いか。まあインドア派の僕は散歩や旅行なんかもほとんどしないし、いつも通り過ごしていれば問題ないだろう。

笹茶を啜って心を落ち着かせた。

部屋の角に目をやると、たくさんの棒が飛び出した箱が鎮座しており不気味なオーラを纏っている。

「あれは、思考を盗聴されないように電波を妨害する装置よ」

視線に気づいたパンダ夫人が笑顔で答えた。

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