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私の町の司書さん

先日、前から素敵だなぁと好感を抱いていた司書さんを、さらに好きになる出来事がありました。

本がやぶれる

1ヶ月ほど前、子どもが図書館で借りた本を1ページ破ってしまいました。完全に1枚がちぎれている状態です。
図書館に返却するときは夫と子どもが行きました。
どのように伝えたのか細かくは分かりませんが、
夫は破ってしまったことを破れたページをみせて司書さんにお話したと思います。そうしたら、
「新しいものを購入して持ってきてください。そうしたらこちらの破れたほうの本をお渡しします」
ということになったそうです。

夫は早速、同じ本をネットで探していました。
翌日、私もメルカリで探しました。
最終、夫がヤフオクで見つけてくれて、近々購入しようと話をしました。
その直後、電話がなりました。
図書館からでした。

2つの図書館からの電話


実は返却したその日にも、図書館から電話がありました。
その時の電話の内容は「新しく購入し直す本をどの図書館に持って行くか」ということでした。
私たち家族は中央図書館と分館図書館の中間に住んでいます。普段は人が圧倒的に少ない分館の方に行っています。
今回返却したのは他の用事も合わせてだったので、用事に近い中央図書館でした。
「中央図書館に購入した本を持って来てとお伝えしたが、やっぱり分館に新たに購入したものを持って行ってください」と言われ了承しました。


余談ですが、分館図書館は本の量は中央図書館より圧倒的に少ないですが、利用者もあまり多くなく、行くと私たち家族だけのときが多々あります。
そこの司書さんたちは子どもたちの行動に寛容で、私が子どもたちに大きい声や走ることを制限しようと声かけすると、「大丈夫ですよ」といつも言ってくださる方ばかりです。
我が家のわんぱく坊主さんたちと行くには、分館図書館のほうが圧倒的に親が気楽でいられるので、そちらを利用しています。

話は戻り、図書館からの電話です。
昨日は中央図書館から。今度は分館図書館からです。なんだろうと思いながら出ました。
内心、連絡不足で、購入する本は分館に持って来てくださいという同じ内容の話だろうと思いました。
なので電話に出て、速攻で本を破ってしまったお詫びと、返却は分館さんに持って行きますね、と私から話をして終わらせようとしました。
そうしたら全然違う内容の話でした。
向こうが話し始めて、電話の相手が私が好きな司書さんということにやっと気がつきました。

司書さんは「もう本を購入されたでしょうか」と心配そうに話し始めました。私はまだ購入してないですが、同じ本が見つかったので購入する予定ですと伝えました。そうしたら司書さんは安心されたように
「そうですか、よかったです。まだ購入されていないのですね。
昨日は本を購入して持ってきてくださいとお伝えしたんですが、分館に今朝それが届いて確認したら、修復ができると判断したので、購入して頂かなくて大丈夫です」
とお話し下さいました。
えーーー!予期せぬ展開でびっくりなのと、有難いのとで、お礼と、再びお詫びを伝え電話を切りました。

温かい司書さん

私は普段からその司書さんに好感を持っていました。
その司書さんがバーコードを打ってくれるとき、
「借りる人のことを考えて」が伺える丁寧なお仕事ぶりが素敵と思っていたのです。
例えば、我が家は子どもと私の図書館カード3枚分の24冊(1人8冊までで3人分の合計)をいつも借ります。
その場合、機械から出てくる貸りる本のレシートは、私のカードの分と息子2人のカード分で、3枚です。
その3枚のレシートは司書さんが借りた本に挟んでくれるのですが、借りるタイミングで、うっかり子どもとやりとりしていたり、トイレ!と急になったり、バタバタと借りると、そのレシートがどこに挟んであるのかわからなくなる時が多々あります。その結果いつのまにか紛失して、返す時にレシートで本が確認できず、1、2冊を返し忘れるということが我が家ではよく起こっていました。
子どもがもっと幼いときはバタバタと借りる事が多く、それでもレシートを意識して本を袋に入れるときに、必ず抜くを忘れないっ!ということをやっていました。家に帰ったらお忘れてしまうので。

そんなときにその司書さんが、レシートを本に“挟まず”に、3枚をまとめて渡してくれるようになりました。そのおかげでカードと一緒にお財布にレシートを入れられ、紛失が無くなりました。
私はこの些細な配慮にものすごく感動し、救われ、感謝していました。
ある時は、レシートをまとめて渡していただけることに、とても助けられていることを思い切って伝えたこともありました。

司書さんの判断


そんな私の町の素敵な司書さんです。
今回の配慮も、子育て中のあるある(本が破れる)を、「そういうことありますよね」、「本もたくさん読んであげたいけど、買うと高いんですよね」…とか、そんなことを汲んでくれたように感じました。

そして、もう一つ感じたのは、一度弁償してくださいと同僚司書さんや上司さんが言ったことを、そのままにせずご自身で見て、弁償はしなくていいと判断されるということは、人によっては少し勇気のいることでもあると思うのです。

昨日はこういったけど、自分の判断は間違ったかもとか、
改めて考え直したら、実は相手が正しいのでは?とか、
そういうことってけっこうあると思います。
子どもに対しても、夫婦のケンカにしても、そういうことはしょっちゅうです。
その場合、
言った手前後に後に引けないとか、プライドとか、別にあえて正さなくても事は進むとか、実際問題がないので流してしまう
ということもよくあることです。

でも自分の間違いに気づいたときに、流さず行動をとる人って、あまり多くないのではと思うのです。
自分も含めて。

今回最初に弁償をお願いされたことを、間違いだと言っているのではありません。どの判断でも良い悪いはなくて、その人はそう思って判断したというに過ぎません。それがその時のその人のベストであると思います。
ただ誰かが判断したことを、人ごとにせず、自分で見て判断し直して、それを流さす伝えてくれたことが、有り難かったし、尊いことだと思いました。

お気に入り

好きなお店、好きなカフェ、好きな場所。お店でも自然でも、家のこの場所とかでも。
商品のセレクト、雰囲気、好きな理由はいろいろあります。
自分が居心地がいいなぁと感じる場所があることが、豊かだなと思います。
家でもお店でも自然でも、そして人でも。
あの司書さんがいるからこの図書館が好き。
あの司書さんに家族で会いに行きたい。
そんなふうに思える出来事でした。

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