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年齢はしごを上り下り

「♪ハッピバースデートゥーユー」

「え?」

「今日誕生日でしょ?」

「明日だけど」

「ほ……♪法的にートゥーユー」

何を言っているのでしょう。

実はこの人の歌っている通り、法的には年を取るのは誕生日の前日と定められています。このため、小学校に入学するのが最も若い子は3月31日ではなく4月1日生まれの子であり、選挙権や被選挙権の年齢は投票日ではなくその翌日を基準にします。

今年2024年は2月29日が存在するうるう年。「4年に1度しか年を取らないから僕は15歳だよ。定年はずっと先だよ」とは、ジョークとしては通用しても法的には認められません。この人はちゃんと毎年2月28日に年を取っているからです。

事程左様に、生まれた時が0歳で、誕生日を迎えるごとにひとつ年を加えるという満年齢表記は厄介なもの。新聞社が日々作る朝刊は翌日の日付。年齢表記はどうするのか、というニッチな疑問をお持ちになった方もいるかもしれません。『記者ハンドブック』などの新聞基準集では、

①年齢は発生日を基準とする
②企画物では掲載日年齢とする

という二つの基準を設けています。つまり、4月1日に逮捕された容疑者が2日に50歳の誕生日を迎える場合、新聞社は発生時の49歳で1日に製作する2日付の朝刊に掲載し、翌2日に作る同じ日付の夕刊ではひとつ年を加えて50歳で書くことになります。スポーツチームのシーズン回顧記事を書く場合は、掲載日時点での各選手の年齢になります。

近年の著名人の年齢は公開されていることが多く、調べて地道に照合します。計算は苦手でも毎回暗算したり電卓叩いたりしなきゃ…ってあれ? 1歳足りない?

ああ企画の掲載予定日がずれ込んで誕生日またいじゃったのか。直さないと。なんてこともよくあります。

問題は一般の人のほうです。よすがとなるのは記事の参考欄に記者が入力した生年月日くらい。これがないとお手上げに近いです。

しかし大まかに当たりをつけられる場合も。例えば過去記事。仮に2024年4月1日の紙面で35歳である人が、2017年8月1日に29歳と紹介されていたらどうでしょう。矛盾は有りや無しや。正解は、矛盾無し、です。

2017年8月1日に29歳として、単純に7を足せば36歳です。しかし4月2日から7月31日までに誕生日を迎える場合、この人は2017年4月1日には28歳で、2024年4月1日の35歳と計算が合います。

もし2024年4月1日に37歳以上、あるいは34歳以下と紹介されていれば計算が合わず、どちらかの記事が誤りということになります。ややこしい。

昔々のことですが。ある学生さんの年齢の計算が過去記事とどうも合わない。そこで本人のものとおぼしきツイッターを延々スクロールし続け「○歳おめでと~」「ありがと~」という友達との過去のやりとりを掘って刷って持って行って出して訊いて直してもらったことがありますが、これは時間と若さと熱意と恐怖心がもう少し当時はあったがゆえの所業です。今となっては諸々勧められるものではありません。

過去記事の方が間違っている可能性も織り込んだ上で、「ズレます」とのみ確認を求めても責められることはない、と思います。

記者ハンドブックの後見返しにある年齢早見表

さて。満年齢以前に用いられていた、生まれた時点で1歳とし、正月になるたびに1歳を加えていく年齢表記法を「数え年」と言います。みんなが同時に年をとることになるので、12月31日に生まれた赤ちゃんは翌日にはいきなり2歳になる計算です。神社の厄年は現在でも数え年を基準にしています。

中日新聞社が発行する「中日こどもウイークリー」の歴史漫画の校閲について、下のこの記事で触れました。専門家でないにもかかわらず歴史ものの校閲をするのはなかなかに大変なのですが、このコーナーの日本史の偉人の年齢は基本的に数え年表記を用いています。計算方法が変わるので混乱もしますが、えーと何々の戦いは何月だから……と頭を抱えることはありません。

かつてこちらでお話しした、『記者ハンドブック』の原型にあたる『ニュースマンズ・ハンドブック』(1949年)や、記者ハンの初版(1956年)が刊行された戦後間もない頃は、ちょうどこの年齢表記が変わっていく過渡期でした。

 年令は原則として、数え年で何才と呼ぶ。日本でも民法はじめ法規の上では、すべて「満」をもって年令の基準としており、法令では「満何年」あるいは単に「何年」と書いてある。通例の慣習では圧倒的に数え年で呼ぶことになっている以上、「満」で示す場合には特に満何才と書くか、あるいは何年と書いて数え年と区別する必要があろう。(後略)

『ニュースマンズ・ハンドブック』(1949年。原文は旧字旧仮名遣い)

 年齢は満の年齢で表す。
 昭和二十四年まで日本では数え年で年齢を言い表わす習慣であった。「年齢のとなえ方に関する法律」が昭和二十五年一月一日から施行され、この法律施行の日以後国または地方公共団体の機関が年齢を言い表わす場合は、満年齢で表わすことを法律できめた。
 年齢は満で表わした方が科学的であるには相違ない。しかし従来の数え年にくらべて不便もある。生れ年を聞いただけでは年齢がわからないからである。それに犯人が護送中に一つ年をとることもありうるし、選挙に立候補のときと当選のときと年が変ってくることもある。(後略)

『記者ハンドブック 初版』(1956年)

犯人呼ばわりはともかく、初版が懸念している満年齢表記の不便な点、これまでご紹介してきた通りです。

1949年の『ニュースマンズ』では「圧倒的に数え年で呼ぶ」とありますが、満年齢による誕生日の概念は戦後に突如発生したわけではなく、かなり古くから数え年と併存していたようです。例えば太宰治は『同じ星』(1947年初出)という小品で「七、八年前」のことを回想し、自分と全く同じ明治42(1909)年6月19日に生まれた詩人から「不思議な合致」による親近感の下に「飲もう」という手紙がいきなり送られてきて困惑したエピソードを書いています。

太宰もまたその生年月日に「罪、誕生の時刻に在り」とまで特別な意味を見出しており、その同日に生まれた相手と会うことを当初は躊躇したといいます。が、会ってみたら「結果は、しかし、清涼であった」そうで、「救われた」とまで言っています。

同じ誕生日という運命の一致から生まれるドラマや、ケーキを囲んでの「ハッピーバースデー」も大いに結構。ただ、校閲としては数え年の下に全員「せーの」で年を取ってくれたほうが仕事がやりやすいのもまた、一面の事実ではあります。