私は、私を生きたいと思った。

昔、人生のテーマについてnoteを書いた。
「人の三倍生きる」が、当時のテーマだった。

人より、悲しんで、泣いて。その分喜んで、笑って。
人より考えて、悩んで、その分答えを見つけた時の楽しさを味わって。
そんな風に、わたしは生きたい。
それが、わたしにとって、人の三倍生きるということ。

このnoteは、「5年後の私はどう思うのだろう」という言葉で締め括られていた。
今、5年とは言わずとも、およそ4年の時がたった。
結論、テーマは変わった。たぶん、良い方向に。

当時、私は20歳。
大学に慣れてきたものの、どんな仕事をするのか、誰と生きるのか、未来が見えず、とても不安だった。
その頃のnoteを振り返ると、とても大変だったんだなと頭を撫でたくなる気持ちになる。

今年、私は25歳になる。
仕事もしているし、人生を一緒に歩む人も見つかった。
何より、友達も仲間も、たくさん増えた。
足りないことはわかっていて、でもどうしていいかわからなくて。
探しもがいていた幸せに、今は包まれている。

だから、今になって振り返ると思う。
人の三倍生きるは、大切なテーマだった一方で、
毎日が苦しくて、悩ましかった中で、
私はこれで正しい、これでいいんだと、
自分に言い聞かせるためのテーマでもあったなと。

もう、私は間違っていないんだと自分に言い聞かせる必要はない。
過去のnoteを読み終わって、すぐに今のテーマとも言えるこの言葉が出てきた。

私は私を生きたい。

他人と比べてどうであれ、私を生きたい。
そう、素直に思った。

やっと、私という一人の人間の土台ができたのかもしれない。
私が生きたい「私」は、きっとこれからも、
いろいろな人と出会って、いろいろな経験をして、変わっていく。
やっとそのスタートラインに立ったと思うと、
清々しい、楽しみな気持ちになる。

私に合った生き方を探そう。
周りに惑わされず、私を貫こう。
でも、合意点を探して、共感できる場所を探して、他人と生きていこう。
大切なひとを、大切にしよう。
私が、私を生きるために。

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