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人間とは唯一の「狂った生物」である

例えば日の光。
暑い季節は鬱陶しいくらいなのに、 寒い季節になると、 そのありがたみがわかる。
「あー、これは必要なものなのだ。」 と思い出せる。
十分足りている時は、 その「必要性」「重要性」に気づけないんだよな。
不足してはじめて気づけるところがある。

だから「足りない」ことも、悪いことばかりではない。
(…と、 何とか思おうとしています。笑)


日の光も、 透明な雨も、自分の真上にいつも空があることも、 失ってしまったら、 きっと人間は狂ってしまうような気もする。

たとえば、どんな大都会の街なかであろうとも、 街路樹の一、二本とか、ちょっとした隙間に雑草とか、何かしら「植物」の姿って、見かけられるものだが。
――それが一つも見かけられなくなったら、 人間ってその時には、どーにかなっちゃうんじゃないか?? なんてことも、ふと思ったわけである。


――まあ、それらを、「たかが我欲」とかの為にぶっ壊す可能性が既にあるのは人間だけで。

そうか。

そう考えると、 人間はとっくに狂った生き物なのかもな?


「人間は狂った生き物だ」
「生物として相当どうかしている」
というこれをスタート地点にしてみてもいいのかもしれない。

そこから 「生き物としてどうマトモに戻っていくか」 みたいに考えていくのって、案外、見当はずれではない気がする。

だって「生きづらい」を標準装備しているこの感じって、どう考えてもヘンだもの。
(なのに「生きづらい」と感じている人のなんと多いことか。――例えば、食べるものや寝るところにさしあたって困ってない人が多数であるくらいには、つまり「この程度」には、豊かさを既に持っている国で、それなのに「生きづらい」がデフォルトという、そういう人がこれだけ多く見られるというのは、何だかそもそもがどこかおかしな話だと思うのだ。)