時澤 言森(ときざわ こともり)

時をかけるコトモリは、過去も未来も星座も越えるから、気をつけて!!

時澤 言森(ときざわ こともり)

時をかけるコトモリは、過去も未来も星座も越えるから、気をつけて!!

マガジン

  • 偶像崇拝 -アイドルPOPSファンの独り言-

    アイドルPOPSしかかからないFM局だと思って「聴いて」いただければ。 ――「おしゃべり」はミュートしていただいても。(笑)

  • 【雑記集】※いたって個人の感想です。

    雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない)あなた様に届いているという、この不思議。――しみじみ、面白い時代になったものですね。 そんな「一葉舟」の漂流記、行く宛てのない雑記集です。

  • 妄言集!コトモリの「頭のおかしいRADIO2023秋」

    割れるように頭がおかしい。

  • 妄想アイドル歌手活動はじめました。

    「アイドル、アイドル、アイドルッ!勝つか負けるかよッ!いいッ?」 トキザワコトモリが、妄想だけでアイドルデビューを目指し、妄想だけでトップアイドルにまで昇り詰めます。 1973年生まれ、妄想(ゆめ)みる17才。――(次の)80年代デビューを目指し、妄想訓練(レッスン)に励む日々。 充実したリアルは妄想の敵ですから慎みましょう。現実との区別がいよいよつかなくなるまで妄想に励みましょう。 ――時をかけるコトモリは、過去も未来も星座も越えるから、気をつけて!

  • 「ダイエット日記」-これが本当の公開ダイエットだッ!-

    もう私、どうしていいかわからない。

最近の記事

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自分を不機嫌にする張本人は自分自身と気づくまでの4年間【これまでのnoteまとめと索引】

このまとめ記事の元タイトルはこうだった。 -「三毒」を制す為の処方箋を自分なりに探した日々- 一言で言うなら、「自分を不機嫌に、更に言えば不幸にしているのは、自分自身が発生させている『三毒』だったのだろうな」ということである。 「三毒」とは。 これらの「毒」は、世の中や他者を毒する面もあるが、何より、「自分自身を毒する」というそれこそが問題なのである。 『それにしても何故、わざわざ「自分を害する成分」を、「自家発生」させねばならんのだ?!?!』 と、思ったわけである

    • 何故80年代アイドルPOPSが好きなのだろう②

      (その①はこちら↓です。) (で、そこから更に言及した「その②」は以下の通り。) 80年代アイドルPOPSをつい「ディレクター目線」で聴いてしまうのである。(というのがこの記事の元タイトルでした。) そして、これこそが、私が「80年代アイドルPOPS」という「沼」(「沼」??笑)にハマる理由なのだとも思う。 (というわけで、久しぶりに「アイドルPOPS記事」も再開してここからしばらく執筆しようかと考えております。) 「もっとこういう曲のほうが合うのに」 「このデビュ

      • 「死ねばいいのに」という呪詛もアリなのかな?と

        (これは記事にしようかずっと迷っていたことだけど、ちょっと書いてみようと思います。) 繰り返し書いてゴメンナサイだが、かつて遭遇した職場上司からのパワハラの件。 ――そう、こちらnoteでは、これまで2、3回くらいか?その件を題材に記事を書いた気がする。 だが、「こういう話」って、実生活の中では、つまり実際の口頭での言葉のやりとりの中では、誰かに打ち明けにくかったりもするのだ。 なかなかどうして、スッキリ整理して話さないと、ダラダラした暗い「ただの愚痴」になりがちだし、あ

        • 「文字の存在しない世界」は私にとって「光のない世界」なのだろうと気づく

          私も「物を書く人間」の端くれだからであろうか。 「文字」の中に――言うなれば、「書き言葉」「文章」の中に、いつでも必ず「人」の存在を感じるのである。 その人の「声」が実際に耳に聞こえている感じがする、とも、これは言い換えられるだろうか。 「そんなわかりきったことを今更!――当たり前じゃないか。だってそこには、その文字を書いた(打った)、あるいは文章を作った人間が、必ず介在しているはずなのだから。」(ま、今どきはそこに「AIが介在」というパターンも増えて来たやもしれぬが、そ

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        • 本日の「妄想新譜情報」
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        記事

          一瞬たりとも「死んでいるヒマ」などないのだ!

          「生物」はどうしたって、現世で時間の流れには逆らえないのだ。 時の流れは必ず「前へ前へ」と進むものだから、その流れに乗って「生きる」しかない我々生物も、いつだって「前へ前へ」と基本的には「進む」つもりでいかねばならないのだ。 先日、婦人公論で上沼恵美子氏のインタビュー記事を読んだ。 「さすが上沼さん!」と感心した箇所があったので、以下に抜書き。 何かを諦めるにも(それまで「慣性の法則」に則って続いていたある一定の動きやリズムを止める動作なわけだから)よいしょ!という「力

          一瞬たりとも「死んでいるヒマ」などないのだ!

          「どうにもならないこと」はあって然るべきなのだ

          『私は努力したのだから、人より多くもらって当然であるはずなのに。』 少し前までの私は、このような「傲慢な考え方」が、どこかにあった気がする。 いや、こういう考えを態度に出して「あからさま」にしていたわけではない。――これまでこれが露骨に表面に出ていたことは(あるいは時期は)、なかったと思う。 でも、心のどこかに、こういう考え方があったし、物事への向き合い方に、こういう姿勢がちょいちょい入っていた気がする。 (ということへの振り返りは、以前、この記事でも書いていた。)

          「どうにもならないこと」はあって然るべきなのだ

          記事の良し悪しと「いいね」の数は必ずしも一致しないと思う

          と、いいますのも。 ここ数日、「大量になってきてしまった自分のこれまでのnote記事の整理をそろそろしないとかな?」なんて思い立ち、古いものから順次、読み返し始めたりしたんですけど。(……でも我ながら多すぎて途中で頓挫しておりますが!笑) 当然、noteスタート時って、まだ読んでくださる方も少なかったので、「いいね」の数がかなり少ないんです。(「0」のものもあります。笑) ――いや、「スタート時」というより、始めの1年くらいはそんな感じだったようにも思える。 が、しかし

          記事の良し悪しと「いいね」の数は必ずしも一致しないと思う

          自選ベスト-書くことがますます楽しかった2023総集編-

          今年は、自分で言うのも何ですが、よく書いたと思います。 (数だけはな!笑) さて、こういう「1年間の振り返り記事」については、私の場合、この1年間で「いいね」を多くいただいた順の「客観指標」で作ることがこれまで多かったのですが。 (ちなみに昨年のものがこちら↓です。) (……この1年の間に、自分の書くものは、はたして少しくらいは成長できているのであろうか??笑) (話を戻して、) しかし、よく考えてみると、それだと今年の後半にいくにしたがって掲載期間が短い分、不利になる記

          自選ベスト-書くことがますます楽しかった2023総集編-

          人間とは唯一の「狂った生物」である

          例えば日の光。 暑い季節は鬱陶しいくらいなのに、 寒い季節になると、 そのありがたみがわかる。 「あー、これは必要なものなのだ。」 と思い出せる。 十分足りている時は、 その「必要性」「重要性」に気づけないんだよな。 不足してはじめて気づけるところがある。 だから「足りない」ことも、悪いことばかりではない。 (…と、 何とか思おうとしています。笑) 日の光も、 透明な雨も、自分の真上にいつも空があることも、 失ってしまったら、 きっと人間は狂ってしまうような気もする

          人間とは唯一の「狂った生物」である

          「無意味なもの」に存在する「意味」

          たとえば。 何故、 ガラスでなくてはだめなのか。 別に、同じように無色透明な、たとえばアクリル素材とかプラスチック素材とかでもいいじゃない。 それなら壊れたりしないのに。 プラスチックにはなくて、ガラスにあるもの。 ――質感の違い? ガラスの質感って、一言で言うと 「壊れやすそう」。 そういう事か。 そこをつきつめると、「花は散るからこそ美しいし、生は限りがあるからこそ尊い。」なんて、よくありがちな台詞に行きつくけれど。(笑) 「3秒後には壊れて粉々になっている

          「無意味なもの」に存在する「意味」

          悪魔とは契約しないで済みそうです。(笑)

          「そんなにそれが欲しいなら、 お前が今持っているものの中で命以外の一番大切なものと引き換えでなら、くれてやってもいいぜ。」 と、提案されたら。 ……まあまず断ろうと思うので、 私の人生、 そこそこ精神的には事足りているようではあります。(笑) 以下は、少々長い余談だけど。 先日、軽度だが認知症を患っている方とやりとりすることがあり。 「記憶内容」は勿論、「自分で自分を」「現在という時間を」認識するという事自体が、人にとっては実は「持ち物」みたいなものなんだよな、と、そ

          悪魔とは契約しないで済みそうです。(笑)

          「わかりにくい地図なら見ないほうがまだマシ」説にもどこか似ている

          四六時中誰かに憧れはする。(妄想病。笑) が、真面目な話をすると。 よくよく考えてみれば意外と、 誰か別の人になりたいわけでもないのだ。 つまるところ、自分ではない誰かの記憶で誰かの感覚で誰かの人生を、少なくとも「ここからは」生きたくはない。 ――私は別にそれほど自分が好きでもないし、愛せたら絶対良いだろうと解ってはいるがあまり自分を愛せない。 しかし、それでもそうなのだ。 当たり前の事かもだが、 自分の人生、 もしも誰かに空け渡したら、 「自分であって自分でない」

          「わかりにくい地図なら見ないほうがまだマシ」説にもどこか似ている

          「私」と「私の身体」の意見は必ずしも一致しない

          スマートフォンを修理に出していた時、代替機をお借りしていたのだが。 機能はほぼ同じ。 でも、 いつも使っていた自分のスマホが、傍らにないだけで、 なーんか、落ち着かなかった。 ――スマホですら、そうなのだ。 自分の身体の「代替機」はない。 自分の身体は、この世に二つと存在し得ない。 たとえば甘いもの。 精神的には、すごく求めている。 摂取すれば「幸せ~」と心が叫んでいる。 しかし、 カラダ的には、「これ以上大量に食うな。気持ち悪くなる。」 と声を上げていたりす

          「私」と「私の身体」の意見は必ずしも一致しない

          「生きた心地」がする・しない

          「生きた心地がしない」と言える時は、まだ生きている。 そのセリフはむしろ 「生きている証」のような気がする。 「生きている心地」なんて 「元から存在しない」「知らんわ」「考えてみるすべもない」 っていう時は、 もしかすると実際、半分死んでいるかも?とも思う。 自分の「生きた心地」――最近、どうだろう? 「生きた心地がしない」というのは、「生きた心地にさせてくれ!」という ある種の「訴え」「叫び」だと思うし、実際にどうすれば、どうなれば、 「生きた心地」がするのか、 具

          「生きた心地」がする・しない

          「もう会えない人」はいない

          この歳にもなると、「何年もずっと連絡をとっていない人」 というのは数限りなくいるのであるが。 そのうちの皆が今でも 「連絡をとろうと思えばとれる」と、実際私は「思い込んで」過ごしている。 ――ふと「今どうしているだろう」とは思うが。 このまま、「会おうと思えばいつでも会えるはず」と、「思い込んで」過ごすのだろう。 「もう会えない」と、知る必要がないからだ。 「また会えるだろう」と思っていれば、 私が今いるのと同じ世界に、その人は、ずっと、居続けてくれるのだ。

          「もう会えない人」はいない

          どんな正当な理由で殴られたとしても殴り返したくなるのが人というものだから

          ※タイトルについて、誤解を生むと行けないので、まず先に。 私個人は「いかなる理由があろうとも、暴力に正しいものはない」という考え方です。 その「大前提」をもってして、これを書いています。 (では本文へ。) 自分の不満の原因が、100%他人にあり自分に非が全くなかった場合だとしても。 それを解消するには、やっぱ「自分には」または「自分で」何ができるのかを考えないと、どうにも「具体的」にならない。 (何で悪くない自分のほうが動かねばならんのだ?というのはもっともなんだけれども

          どんな正当な理由で殴られたとしても殴り返したくなるのが人というものだから