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散文┃前髪とプライド

最近3年ぶりに前髪を作った。主立った理由はないけど、なんとなく気分転換したくなったから。毎日鏡に映る同じ顔に飽きたのかも。ともあれ出し抜けに紙切りバサミを取り出しては
「今日はコーヒーじゃなくて紅茶にしよう」みたいなノリであっさり切ってしまいました。

人の印象って些細なことで変わったりするけど、前髪はその代表例なのでは?中高の頃は前髪を数センチ切っただけで「気づいてもらえるかな」なんて内心ドキドキしながら教室に入ったりしてたっけな。

振り返ると私は長いことぱっつん前髪で育ってきました。毛量が多いし伸びるのも早いから目にかかる度切るのが大変だったはずだけど、それ以上に顔の一部が隠れている安心感を手放せなかったのだと思います。

毎朝「アイロンをかける → 自転車で強風オールバック → 教室に入る前にトイレの鏡でセットし直す」
という流れを馬鹿みたいに真面目にやっていました。特に思春期は額を見せたら殺されるんかってぐらいは常に前髪が崩れてないか気にしていて、今考えるとあそこまでの強迫観念は少し異常だったなあなんて思います。気持ちは分からなくないけどね。


そんな私が前髪を伸ばす決断をしたのは高校3年の夏。受験で前髪どうこう言ってられなくなったのがひとつ。けどそれだけではなくて、「キラキラ海外女子」に憧れていたから。これは全く私の偏見だけど、帰国子女といったらスタバ片手に颯爽と前髪をかき上げている人たちだと思っていました。恥ずかしいことに国際系を目指していた私の努力はそんな変なベクトルにまで走っていたのです。

実際かき上げられるぐらいまで伸ばすのに半年はかかったと思います。それでも入学時には伸びきってそれなりに満足していました。この頃から「大人っぽい」とも言われるようになって、果たして「大人しい」の言い換えだったのかも分からないですが、私は前髪がなくなったからだろうと思うことにしていました。

前髪がなくなってみると、視界が広がって心做しか自信を持てるようにもなりました。以前までは自信がなくて前髪に縋っていたのに変な話。理想の「海外女子」とやらに近づけたと思ったからなのかもしれないですね。

ちなみに国際教養学部に入って分かったのは、なるほど私のイメージ通りの子もいれば他学部よりその系統の割合が高いのも事実です。だけど大半がそうかと言ったらとんでもない。むしろファッションの多様性が豊かでそのことに新たな感銘を受けたのでした。


それでも3年間も頑なに前髪を切ろうとしなかったのは、「偏った理想像」と「背伸びしたい」気持ち、詰まるところコンプレックスとプライドを捨てられなかったからなんだろうなと思っています。もちろん前髪の有無がそれらを象徴するとは言わないけど、私にとっては前髪がひとつの表れでした。

今回なんとなく前髪を作ってみる気になったのも、海外に来てしばらく経ってそんなこだわりがなくなってきたからなのかもしれないです。

とかいろいろ考えてみたけど、そういえば最近パルプ・フィクションとレオンを立て続けに観たんだった。やっぱり私は誰かに影響され続けているだけなのかしら。まあそんなもんか。

ただ目の上にかかる髪のくすぐったい感覚は、懐かしい記憶と初々しい気持ちを確かに蘇らせてくれました。もう少しこのままにしておこうかな。

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