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ある写真から考え方が変わった話


私にとっては難しくて頭を抱えたくなるような仕事の案件があって、それが今日終わった。正直、ホッとした。ただいま脱力中。この数か月はこれ以外に2つ、こういう案件があって、いずれも理解が追い付かず大変で、すごくストレスだった。それがすべて終わったので、やっと手放せたと感じている。

一時期は相当イラっとしていて、この仕事の振り方はどうなの、とかいろいろ不満を感じていたのだが。

終わってみれば、これがあったから自分の限界を知り、得意分野を知り、どのように仕事を進めるかのポイントを少しつかめたのだから、感謝以外にない。

求められるということは、ありがたいことだ。一方で、クオリティの高い仕事をするには、「できないこと」や「不得意なこと」「苦手なこと」を把握しなければならない。加えて、自分を買い被らず、「何とかなるだろう」と安易に考えないことが大切。

私は楽観的な性質なので、ついそれをやってしまう傾向がある。それを痛感した今夏。

閑話休題。

自分の写真を撮ってもらう機会があった。それは撮影とかではなく、日常のよくあるシーンをおさめた一枚だった。

しかし、その1枚がもたらした衝撃は相当だった。写真の私は、自分がイメージするよりもうんとやつれ、老けていたのだ。一目見て、ガーンと衝撃を受け、確実に自分は老いている、枯れて行っていると感じた。

昔から私は鏡を見るのが好きじゃない。外見に対するコンプレックスがあるからだけど、だから写真はもっと好きじゃない。が、そのコンプレックスはもはや気にならない。それほどに写真の自分は老いていた。

この時、感じた。そろそろセルフイメージを更新しなければならない、と。そして同時にひらめいた。なぜ自分が好きと思うファッションに違和感を覚えるようになったのか。その写真にすべての疑問の答えがあったのだ。

エイジングに徹底して抗うこともできる。でも自分にはそれはできないだろう。めんどくさいからだ。人の目をあまり気にしないこともあって、モチベーションが続かない。

それに、エイジングに抗うというのは、自分らしくない気がした。私はそもそも過剰に飾り立てるのが好きじゃないし、自分を大きく見せることも好まない。いうなれば、等身大でいたい。飾り立てるのは必要最低限でいい。

でも「メイクも何もしない」でいるのも、好まない。人目が気にならないとはいえ、限度がある。

と、いろいろ考えていた時に、尊敬する方がファッションのイベントに誘ってくださった。もともと興味があったのでよろこんで参加したのだけど。

ここで私は気づいたのだ。その年齢を輝かせてくれるファッションやメイクがある、ということに。それは若作りをすることではない。その年齢だから輝く魅力があり、醸し出せる雰囲気がある。

言い換えれば、それを確実に見つけることこそが、等身大でイキイキと生きる自分を演出してくれるのではないか、と。

そんなことを考えながら、帰ろうとしたとき、運命の出会いがあり、私のテンションは爆上がりするわけだが、それはまた別の機会に。

お読みいただきありがとうございました。


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