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書評「異文化理解力」 #3

前回および前々回に引き続き、書籍『異文化理解力』の私自身が特に関心を持って読んだ箇所を紹介したいと思います。

私の自己紹介についてはこちらの記事にまとめているのでここでは詳しくは書きませんが、大雑把な経歴は、日本に生まれイタリアで育ち(計17年イタリアで過ごし)、就職を機にまた日本に戻り、現在はアメリカで暮らしている、といったところです。


安易な実践の危険性

加減がわからないなら実践しない

さて、世界各国の文化に様々な相違点があることは理解したところで、駐在中の方や多国籍チームで働く人などは実践し、学んだことを活かしたくなるはずです。
間接的にネガティブフィードバックを行う韓国出身のマネジャーが、(韓国と比較すると)直接的/率直にネガティブフィードバックを行うオランダ人メンバーとのコミュニケーションでの失敗事例が紹介されています。

自分より率直な文化を相手にするときは、「彼らの真似をしようとしてはいけない」というのがひとつのルールだ。(中略) どこまでが許容範囲の率直さで、どこからがひどい無神経さであるか理解していないのなら、率直に話すのはその文化出身の人に任せておこう。もし彼らの真似をしようとすると、間違いを犯したり、率直になりすぎたり、意図しない敵を作ってしまう危険性がある。

エリン・メイヤー著「異文化理解力」より

つまり、韓国人マネジャーは、率直で直接的なオランダ文化に寄り添う努力を「彼らを真似る」という行動として表した結果、オランダ人メンバーに対し、攻撃的で不適切な上司という印象を植え付けてしまったのです。

イタリアに住んでいる頃、様々な日本人を見てきました。大体が留学で数ヶ月から最大1年で帰っていくのですが、イタリア人らしいコミュニケーションを取り入れ、馴染もうとしている姿が多かったように思います。

馴染もうと頑張っても、失敗する

日本語にはいわゆる「汚い言葉」があまり無いのでイメージが湧きにくいかも知れませんが、現地の人間は、相手との関係性を見極め、日常会話の中で適度に使います。この、「相手との関係性を見極め」と「適度に」がポイントです。もちろん、いくら直接的なイタリア式コミュニケーションでも礼儀は存在するわけで、関係が深くない相手との会話で「汚い言葉」を使用することはありません。

ただ、その線引きはマニュアルに書いてあるわけでもなく、経験と勘で嗅ぎ分けていくしかないのです。その場の雰囲気、ノリ、周りにいる人物の特性、などにもよります。その絶妙な線引きが完璧に出来ないにも関わらず、行き過ぎた言動(汚い言葉やジェスチャー)をした結果、「馴染もうと頑張っている人」というふうに、少し残念に見えてしまうのです。

私の経験からは、変に馴染もうとせず、自国の文化を大切に貫いている人の方が、結局現地人に好かれているように思います。


さいごに

Kindle版で329ページありました。ページ数自体は多くはないけれども、たくさんの事例が掲載されている読み応えのある本でした。本記事で紹介した箇所以外にも頷いたポイントは多々ありましたし、各事例について「ここは日本人的に考えるな」「ここはイタリア人に感覚近いな」と自分自身を振り返るのも楽しかったです。

合計すると、イタリア人的な感覚の方が数は多かったように思います。では、私はイタリア人なのか?と言われると、そういうわけでもないんですね。日本人なのか?うーん。私は、異文化のミックスで、今はこれでいいと思っています。

まずは自分/自国の理解から

「多様性」という言葉を毎日といっていいほど聞こえるようになりました。異文化コミュニケーション研修などでは「海外では〜」とか「外国人はこう考える〜」とか、相手国にフォーカスした内容が多いように思います。ただ、真の多様性とは「〇〇人を理解する」ということでは決してないと思っています(あ、アップグレード言葉w)。

相手国への認識は、「自分の文化と比べて〜」という相対性がキーとなります。ということは、相手の文化の理解だけを進めるだけでは足りず、自分自身の文化、自分自身の立ち位置がわかって初めて相手の立場が理解できる、というものです。

「自分の文化」は”普通に”生まれ育った国で生きているだけでは、意識することはほぼありません。だからこそ、このような本を読むときに、ぜひ他国だけでなく自国にフォーカスし、まずは自分の理解を深めていくことをお勧めします。


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