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舞台の下が「奈落」と呼ばれる理由

フィギュアスケートを見るとあんなに感動するのは、目に映る演技の素晴らしさと同時に、「この美しい演技が完成するまでに、想像を絶するような努力が積み重ねられているに違いない」と感じるからだ思います。

同じように、明るく楽しいドラマも、ワクワクする映画も、きらびやかな舞台も、実は大勢の人の努力や苦労に支えられています。
私自身の脚本執筆経験を振り返ってみても、「あの時はスケジュールがキツかった」「直しが大変だった」「方向性がなかなか定まらなくて頭が痛かった」と、苦労話が止まらなくなりそうです。
脚本家が決定稿を書き終えた後も、他のスタッフ、そしてキャストの皆さんは放送や上映に向けて艱難辛苦を乗り越えているわけで、頓挫することなく完成に漕ぎつけた作品の中に、「ちょちょいと簡単にできた」というものは一つもないだろうと思います。

だから脚本家になって以来、自分がまったく関わっていない作品も、どこか「他人事じゃない」という目で見るようになりました。
たとえ自分の好みには合わなかったとしても、ネット上等の公の場で、無闇に批難はしたくないと思うようになったんですよね。
身内びいきみたいなことではなく、
「この作品にも、気力や体力をすり減らして、時にはフラフラになりながら頑張ったスタッフ、キャストがいるんだ」
と思うと、その人たちの耳に批判の声が届いた時、どんなに傷つくだろう……ということを、つい考えてしまうんです。

もちろん観客の皆さんが作品をどう受け止めるか、それをどう表現するかは自由だし、私も「一人の観客」という立場の時は何を言ってもいいじゃないかという気もするんですが、やっぱり作り手の人たちに対する「同じ痛みを知っている者同士」という感覚を消し去ることができないんですよね。

今、『映画の奈落』という本を読んでいまして、そこに「奈落」という言葉の語源が載っていました。

「奈落」とは、「地獄」の梵語<naraka>に由来し、「地獄(に落ちること)/物事のどん底」を意味する。そこから転じて、「劇場の、舞台と花道の床下」もまた、「奈落」と呼ばれる。

この由来を知ると、
「華やかな舞台の下に”奈落”がある」
ということが、とても象徴的に思えてきます。
「地獄」というと言葉がキツ過ぎるけれど、
「エンターテイメントという胸ときめく時間と空間は、多くの苦難の上に成り立っている」
ということは確かだと思います。

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