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ブックレビュー ロバート・マッキー著『ストーリー』(17)第4部 脚本の執筆 登場人物

『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』のレビュー第十九回を投稿します。
(各回をまとめたマガジンはこちらです。)

※ こちらのレビューは、非常に内容が濃い本書を私なりにまとめた「概要」です。
興味をお持ちになった方は、ご購入の上、本レビューを副読本的にお読みになることをお勧めします。

第4部 脚本の執筆
17 登場人物

【心の虫】

心理学を論じるなかで、中世の学者たちはさらに独創的な概念を考え出した。「心の虫」だ。
人間の脳のなかにもぐりこめる虫がいるとして、その人のすべて――夢、怖れ、強さ、弱さ――を読みとれるとする。そして、この虫は世の中にいろいろな出来事を起こすこともできるとする。
(中略)
これを読んで思わず微笑んだのは、脚本家こそが心の虫だからだ。登場人物のなかにはいりこみ、さまざまな側面や潜在能力を見つけて、その人特有の本質に合わせた出来事――契機事件――を作りあげる。
それは主人公によって異なっていて、ある場合は大金を見つけ、また別の場合は大金を失うことになるが、脚本家は登場人物に見合った出来事を設計する。
すなわち、その人物が追い求めずにはいられず、ついには極限を体験するような特別な出来事だ。
心の虫さながらに、脚本家は人間性の本質を探す。
(P452より引用)


【登場人物は人間ではない】

ミロのヴィーナスが生きた女性ではないように、登場人物は実在する人間ではない。
芸術品であり、人間の本質の隠喩である。
観客の目には現実味を帯びて映ったとしても、それは現実を超えた存在だ。
登場人物のさまざまな側面は、明確にわかりやすく設計されているが、実際の人間は不可解とは言わないまでも、理解するのがむずかしい。
身近な知人より登場人物をよく理解できるのは、登場人物は永遠で不変だが、人間は変化するからだ――相手をわかっているつもりのときにかぎって、わかっていない。
それどころか、わたしは自分自身より『カサブランカ』のリック・ブレインのほうがよくわかる。
リックはいつもリックだ。私はそうはいかない。
(P453より引用)

「登場人物」について考察するにあたって、著者はまず、「実在の人間」がいかに複雑な存在であるかを強調しています。
私も含め、多くの人はつい周囲の人物に対して「あの人は、○○な人」と雑なレッテルを貼って理解した気になりがちだと思うのですが、実際には、著者の言うように「相手をわかっているつもりのときにかぎって、わかっていない」のでしょう。
この意識を持つことが、人間という複雑な存在を深く理解し、「その本質の隠喩」である「登場人物」を描くための第一歩なのではないかと思います。

登場人物の設計は、ふたつの重要な要素である「性格描写」と「実像」をどう位置づけるかからはじまる。
繰り返しになるが、性格描写は、観察できるあらゆる特徴をまとめたものであり、その組み合わせによって、唯一無二の登場人物が作られる。
身体的特徴、身ぶり、話し方、しぐさ、性的思考、年齢、知能指数、職業、人柄、態度、価値観、住んでいる場所、暮らしぶりなどを加える。
実像はこうした仮面の下に控えている。
性格描写とは別に、心の奥底ではどんな人間なのかということだ。
忠実か、不忠実か。正直か、嘘つきか。慈悲深いか、残酷か。勇敢か、臆病か。寛大か、利己的か。遺志が強いか、弱いか。
(453~454より引用)

登場人物設計のふたつの要素「性格描写」「実像」のうち、「実像」について、著者は次のように述べています。

「実像」は窮地に陥って選択を迫られたときにのみ、明らかになる。
緊迫した状況での対応の仕方こそがまさしくその人自身であり、重圧がかかるほど、おこなう選択はその人物の本質に迫るものとなる。
(P454より引用)

実像の鍵となるのは欲求だ。
われわれは実生活で行きづまったとき、一刻も早くそこから抜け出すために「自分はどうしたいのか」と問いかけ、正直な答えが見つかると、強い意志を持ってその欲求を追いかける。
(P454より引用)

欲求の裏には動機がある。
自分が描いている人物は、なぜそれを認めているのか。
予想と異なる動機を他人から指摘されても、驚いてはいけない。
登場人物がそう望むのは親の教育のせいだ、と友人が言うかもしれない。
また別の人から、いまの物質主義的な文化の影響だ、と言われたり、さらには、学校制度だ、生まれつきだ、悪魔に取りつかれているからだ、などと言われるかもしれない。
近ごろは言動を一つの説明で完結させようとする傾向があるが、むしろ、そこにはいくつもの力がからみ合っていることのほうが多い。
(P454より引用)

「登場人物の実像の鍵となるのは欲求」「欲求の裏には動機がある」と述べた上で、著者は「人間の言動の動機は、一つの説明で完結できることよりも、いくつもの力がからみ合っていることの方が多い」と言っています。

「観客が、各々の捉え方で登場人物の動機を推測し、その中には、脚本家である自分がまったく想定していなかったものも含まれている」という経験は、私にもあります。
これは、観客の経験や、その時々に置かれている状況が投影されるからなのだろうと私は考えています。

登場人物を簡略化してケーススタディに押し込めてはならない(幼児虐待のエピソードは最近のクリシェと言ってよい)。
だれの言動であろうとも、完璧な説明などありえないからだ。
(P455より引用)

クリシェという言葉は、これまでの章でも度々使われていますが、「ありきたりな表現」といった意味です。


【登場人物の立体感】

わたしが俳優だったころ、演出家が「生き生きとした三次元の人物」を演じてくれと何度も言うので、指示に沿うようつとめたものの、ところで次元とは正確にはなんなのか、そして三次元どころか、まずどうすれば一次元を作れるのか、と尋ねたところ、演出家は言葉を濁してリハーサルのことなどをつぶやきながら、ぶらりと立ち去ってしまったものだ。
(P456より引用)

日本のドラマ制作、映画制作の場でも登場人物について「紋切型でない」「平面的でない」といった意味で、「立体的」という言葉が用いられることがあります。
ですが、その言葉を使う人たちが皆、明確な定義を持っているのかと言えば、大いに疑問です。

三次元、つまり立体感とは、矛盾を抱えていることを意味する。
登場人物の奥深くにある矛盾(罪悪感に苛まれる野心家)、あるいは性格描写と実像のあいだの矛盾(憎みきれないこそ泥)だ。
この矛盾には一貫性がなくてはならない。作品全体を通して善良な男が、とあるシーンで猫を蹴っても、立体感は生まれない。
(P457より引用)

「立体感とは、矛盾を抱えていること」という著者の定義に、私は非常に納得が行くのですが、初心者レベルの書き手は「登場人物が矛盾を抱えていること」と、「キャラクターがブレている」ということを混同しがちだとも感じます。
「主人公は野心を抱いて大胆な行動を取っているのだが、そのことに罪悪感も覚えている」というのは「立体的な登場人物が抱える矛盾」だと著者は述べていますが、初心者レベルの人はこのような人物像を「キャラクターがブレている」と勘違いする場合があるようです。

著者は、「矛盾を抱えているのが人間の本質」であり、「その矛盾に一貫性がなくてはならない」と述べています。
「キャラクターのブレ」というのは、この「登場人物が抱えている矛盾」に一貫性がないことや、「矛盾を持たない、一面的な人間として描かれてきた登場人物が、作者都合で突然違った面を見せる」といったことを表しているのだと私は認識しています。


【登場人物の設計】

主人公と、その他の登場人物の関係について、著者は次のように述べています。

主人公が決まれば、残りの登場人物も決まる。
主人公以外の登場人物がストーリーに登場するのは、主人公と関係を築いて、複雑な内面を持つ主人公の矛盾を際立たせるためにほかならない。
登場人物は太陽系のようなものと考えるといい。
主人公が太陽で、脇役は太陽のまわりの惑星、端役は惑星のまわりの衛星だ。
これらはみな、中心にある星(スター)の引力によって軌道を保ちながら、それぞれの性質に影響されて互いに引き合う。
(P458より引用)

ある主人公がいるとしよう。
この人物は愉快で快楽的だが、気むずかしくて悲観的でもある。
情け深いが残酷で、こわいもの知らずだが怯えることもある。
四次元の主人公の矛盾を描き出すには、取り囲む人物たちが必要であり、時と場所を変えてつぎつぎ対峙することで、主人公に多様なアクションとリアクションが生まれる。
脇役は、主人公の複雑な人物像を、信頼できる一貫したものへと仕上げる存在でなくてはならない。
(P458より引用)

例えば三十代半ばの男性会社員がいるとして、彼が「家族といるとき」「会社で仕事をしているとき」「学生時代の友だちといるとき」には、それぞれ違った面が現れるはずです。
これを利用して、「主人公が抱える矛盾」「複雑な人物像」を描いていく、ということですね。

脇役は主人公ほど存在感があってはならないが、複雑であってよい。
たとえば、人物Aを二次元にすることもできる。外見は美しく愛らしいが、内面は異様にゆがみ、緊迫した状況で選択を迫られると、突如として冷たい欲求をあらわにする人物だ。
また、一次元であっても、魅力のある脇役になりうる。
人物Bに魅力に満ちた矛盾をひとつ持たせたらどうか。
ターミネーターの場合は、機械でも人間でもあることだ。
ターミネーターが単なるロボットや未来人間だったら、おもしろみがない。機械でありながら人間であるという矛盾があるからこそ、最高の悪役となるわけだ。
(P458より引用)


【コメディの登場人物】

これまでの章でも著者は度々、「コメディ」には他のジャンルとは違ったルールやセオリーが存在すると述べており、「登場人物」においても以下のように言っています。

登場人物はみな、欲求をかなえるために敵対する力に立ち向かう。
ふつうは臨機応変に対処できるので、危険であれば「このままだと殺されるかもしれない」と思って、一歩さがる。
だが、コメディの登場人物はちがう。病的なまでの執着がその特徴だ。おもしろいはずの人物がおもしろくならない場合、まずは、その人物にとっての異常なこだわりを見つけるといい。
(P460~461より引用)

テレビドラマ「オール・イン・ザ・ファミリー」のアーチー・バンカー(キャロル・オコナー)は偏見に凝り固まった頑固者だ。
本人にその自覚がないので、その滑稽さを観客は笑い飛ばす。
だが、もしアーチーがだれかに話しかけ、「そうさ、おれは憎悪に凝り固まった人種差別野郎だよ」などと言ったら、コメディではなくなる。
(P461より引用)


【登場人物を書くための三つの秘訣】

1 俳優のためにじゅうぶんな余地を残す

脚本家はそれぞれの俳優が想像力を発揮できるよう、最大限の機会を提供しなくてはならない。
脚本のあちらこちらに、身ぶりやひとつひとつの動作や声の調子を細かく書きこんでいけない。
(P462より引用)

著者は「悪い具体例」として、以下のような描写を挙げています。

ボブは教卓に寄りかかりながら、一方の脚をもう一方の脚の前に交差させ、片手を腰にあてて肘を張って立つ。生徒たちの顔を見渡してから、じっくりと何か考えるように片方の眉をあげる。

ボブ (無感動きわまりない様子で)むにゃむにゃむにゃ……
(P463より引用)

細かい指示で埋めつくされたこのような脚本を受けとった俳優は、それを屑籠に捨てて、「こいつらは俳優じゃなくて操り人形がほしいんだな」と思うだろう。
(P463より引用)

「では、どの程度の描写ならば許容範囲なのか?」と疑問に思った方は、プロが書いた脚本をお読みになることをお勧めします。
例えば、『月刊ドラマ』『月刊シナリオ』には、毎号多くの脚本が掲載されています。


2 すべての登場人物に愛情を注ぐ

映画を観てありがちなのは、すばらしい登場人物がそろっているな……だが、このひとりだけひどい、と感じることだ。
なぜだろうと考えてみると、脚本家自身がその人物をきらっていることに気づく。
事あるごとにこの役をひどく扱って、つまらないものにする。(中略)
自分が世に送り出した者たち全員を大切にしよう。
特に、悪者たちを。ほかの者を慈しむのと同じように、悪人にも愛情を注ぐべきだ。
(P464より引用)


著者は、「愛着を持って描かれている悪者」の例として『ターミネーター』を挙げています。

ターミネーターのために用意されたすばらしいエピソードを紹介しよう。
モーテルの部屋で、ターミネーターはペン型のナイフを手に持って、壊れた目を直す。
洗面台の前で目の玉をえぐり出すと、水のなかへほおり、タオルで血をぬぐいとってから、眼窩を隠そうとガーゴイルズのサングラスをかけ、鏡に映った自分を見て、乱れた髪を整える。
観客は驚く。
「顔から目玉を取り出しておいて、髪が決まってるかチェックしてる! かっこいいと思われたいんだ!」
(P464より引用)


リー・マーヴィンは、以前受けたインタビューで、こう尋ねられた。
十年ものあいだ、ずっと悪者を演じてきて、ずいぶんとつらかったでしょうね、と。
そのとき、笑って答えた。
「わたしが? 悪者なんか演じてないよ。演じてるのは、懸命に日々を生き抜く人、最善を尽くして自分に与えられた人生を生きる人たちだ。悪者だと思う人がいるかもしれないが、わたしはちがう。悪者を演じたことは一度もない」と。
だからこそ、マーヴィンは最高の悪役になれたのだろう。
マーヴィンは人間の本質を深く理解している職人だった。
自分が悪者だと思っている人間はいない。
(P465より引用)

書き手がマーヴィンと同様の視点を持つことができれば、”立体的な悪役”が生まれ、作品の質は何段階も上がることでしょう。


3 登場人物は自己認識である

登場人物は、どうすれば見つかるのか。
あるレベルまでは観察を通して見つけることができる。
脚本家はメモ帳や小型録音機を日ごろ持ち歩きながら、人生を通りすぎていくさまざまな人々を観察し、あれこれ集めては自分の抽斗へ手あたりしだいに詰めこむ。
アイデアが枯渇したときは、抽斗のなかを掻きまわして想像力を呼び起こす。
(P466より引用)

脚本家は、フランケンシュタイン博士のように、見つけたパーツをいくつも使って登場人物を組み立てる。
自分の妹の分析的思考力に、友人が持つ笑いのセンスを組み合わせ、そこへ猫のずる賢さと意地悪さ、さらにリア王の執拗なこだわりを加える。
そこかしこから持ち寄った人間性の断片と、生々しい想像と、入手先はどこであれ、観察から得た要素を採り入れて、矛盾を含んだ立体構造を作り、登場人物という生き物に仕上げる。
(P466より引用)

観察によって集めたパーツをいくつも組み合わせることで、登場人物の複雑さが増すので、非常に有効な方法だと思います。

ですが、著者は以下のようにも述べています。

観察は性格描写に欠かせない手立てではあるが、性格を深くとらえるには別の手立ても必要だ。
登場人物をしっかりと作りこもうとするとき、その原点は自己認識にある。
(P466より引用)

われわれはみな、人間であるがゆえの特別な経験を共有している。
誰もが苦しみ、楽しみ、夢をいだき、何か価値のあることをして日々を過ごしたいと願う。
あなたが脚本家なら、自分に向かって通りを歩いてくる人々が、それぞれに異なる動きをしていても、思考や感情の土台は自分を含めて同じだと確信できるはずだ。
だからこそ「自分が登場人物だったら、この状況でどうするか」と問いかけたとき、正直な答えはいつも正しい。
あなたもまた人間だからだ。
謎に満ちたみずからの人間性を突きつめて、自分を理解できるようになればなるほど、他人のこともさらに深く理解することができる。
(P467より引用)

アントン・チェーホフも、以下のように述べているそうです。

わたしは人間の本質についてのすべてを自分自身から学んだ
     ――アントン・チェーホフ
(P466 より引用)


☆「第4部脚本の執筆 18 ことばの選択」に続く

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脚本、小説のオンラインコンサルを行っていますので、よろしければ。

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※このブックレビュー全体の目次は以下の通りです。
第1部 脚本家とストーリーの技術
(1)ストーリーの問題

第2部 ストーリーの諸要素
(2)構成の概略
(3)構成と設定
(4)構成とジャンル
(5)構成と登場人物
(6)構成と意味

第3部 ストーリー設計の原則
(7)前半 ストーリーの本質
(7)後半 ストーリーの本質
(8)契機事件
(9)幕の設計
(10)シーンの設計
(11)シーンの分析
(12)編成
(13)重大局面、クライマックス、解決

第4部 脚本の執筆
(14)敵対する力の原則
(15)明瞭化
(16)前半 問題と解決策
(16)後半 問題と解決策
(17)登場人物
(18)ことばの選択
(19)脚本家の創作術

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