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ぼやき No.04

少し前に、子の性別がわかった。
「女の子の方が育てやすい」みたいな話が世間にはあるそうだが、私は自分も女なのに女の子という存在に苦手意識というか妙な緊張感があることもあって、男の子の方がそれなりに仲良くいい感じにやっていけそうだなーとぼんやり思っていた。よって、「男の子だったらいいな〜」という気持ちと、「でもまぁ、私の人生的にはなんとなく女の子なんだろうなぁ〜」という気持ちを同じくらい抱えながら健診に行った。

結果は、(おそらく)女の子とのこと。
もちろん子に対しては「元気に生まれて来れば何でも良いよ〜」が大前提なので残念と思うような気持ちは特に無く、あらま〜そうですか〜!という感じだったのだけれど、対自分というところでいくと、「キタな…人生の試練…(ごくり)」という感覚になった。私の人生には、必要な時に必要な試練が与えられている、という感覚がそれなりにある。

ケーキ作るのは面倒だったので夫氏にはジェンダーリビールカードを実施(コインで削るやつ)

元々、自分の母娘関係にそれなりに問題/課題があり、親子関係や自分の状況についてはある程度客観的に分析したり理解したり、環境調整をするなどして対処をしてきた。正確に何年、とはわからないけれど、多分もう10年以上はそうしている。ここまでの間でそうしないと精神的に健全な自立もできなかっただろうし、自分の家族を持つこともできなかっただろうと思う。今の成熟度がどこまでかと言われると説明しづらいけれど、昔のグラグラしていた頃よりはだいぶ安定しているはずだ。それこそ、他者と数年一緒に生きられるようになる程度には。

大人になった今の私については、それなりに肯定感もあるし諦めもあって、受け入れることができている。けれど、幼少期の自分や10代の頃の自分が受けてきたものについては、果たしてどこまで癒せているか、受け入れることができているのかはわからない。また、健全な母娘関係というものについても、私にはあまりサンプルが無く、イメージしきれないところがある。娘が生まれた後に、私はちゃんと彼女を大切にしてあげられるんだろうか。健全な関係性の中で、過干渉でも依存でもなく「大切にする」ということがわかるのだろうか、伝えられるのだろうかと、子の性別がわかる前からずっと、もしも女の子だったらと考えて漠然とした不安を感じていた。

育ちによって築かれてきたものというのは、今も自分の中に内包されていると感じることが度々ある。過去の事実自体は変えられないものだと思うし、過去よりも今、自覚できているかどうか・認識できているかという点が大事だと考えているので過去に対して悲観的なわけでもないのだけれど、無意識の中でそれを次の代に引き継いでしまうことだけは絶対に避けたいと思っている。けれど、私自身が過干渉や依存や同一視や性別規範といったものを浴びて生きてきた中で、今後は逆にそれを避けようとするあまり距離を取りすぎてしまうとか、そういうことも起こりかねないなと思う。だって、良いバランス、良い関係性、良い距離感というものを知らないのだから。それは、もしかすると母と祖母の間にもあった構図と同じなのかもしれないが、だからこそ無思考に子と向き合うだけではいけないという自覚が私にはある。連鎖はどこかで食い止めなければならない。

とりあえず、親子関係の中でも母娘関係というものは非常に難しいというのはあちこちで論じられている話なので、まずは本を何冊か読んで専門家の見解や先人の見解をインプットしておこうとしている。けれどこの「適切な距離」の上での良好な関係というのは結構難しいらしく、「友達のように仲の良い母娘」もある種での相互依存を抱えていたり、色々と複雑なものがあるらしい。何も話せないような硬直・緊張した関係性も問題だけれど、何でも話せるフルオープンな関係性というのもまたバランスが大切なのだという。

正直言うと、生き物を育てることに関しては本来の個体が持つ生命力をある程度は信じている節があり、親がどうであれそれなりに生きていくだろう、という感覚もある。衣食住が最低限保障されていて、心身や生命が脅かされる危険がなければ、あとは本人次第だとも思う。
それでも一方では、やっぱりできる限り、人のあたたかさを知って、幸せを自分で築いて生きていける方がいいだろうとも思うし、それには親との関係性が(全てではないにしろ)基盤になっていくのだろうということもわかる。何より、私は20年程度の間は子という存在と共に暮らし、生きていく必要がある。

冷静に考えると、親子(家族)というのは変な仕組みだなと思う。大人になってシェアハウスをする時や同棲相手を決める時、人はみんな「気の合う人」を選ぶのに、親子は全然気が合わなくても20年程度同居することが前提になっている。「全然気も合わないし趣味も合わない相手とシェアハウスをしている」状態が強制的に生み出されるわけだ。そんなことある??ってなるし、親からも子からも、そうなっても当然なのではとも思う。
私は自分が親との関係性をあまり重視していないからか、思春期にほとんど一緒に過ごしていないからか、気が合わないならそれぞれ好きにやっていける方がいい、と思ってしまう。理解されないならされないで、半端に干渉せず完全に放っておいてくれ、と思う。でも、10代の時に本当にそう思えていたんだっけ?と振り返ると、正直よく思い出せない。本当はわかって欲しかったんじゃないだろうか、そばにいて欲しかったんじゃないだろうか、とも思うのだ。
例え全然気が合わなくても、こちらのことを知ろうと関心を寄せて欲しかったのかもしれない。「楽しかった?」「よかったねぇ」と一言受け入れて欲しかったのかもしれない。子が親に求めることは結局そういうことで、けれどその手前にある親の人格というものを私は見つめられていなかったんじゃないか、とも思いはする。

そんなことを考えていくとどんどん迷宮に嵌っていく。
子育ては自分の過去と向き合うことだともよく聞くし、きっとそうなんだろうなと今の時点でも思う。子に対してではなく自分の過去に紐づけて怒りが湧いたり悲しみが起こったりもするというし、半ば強制的に生じるそれってどんなにキツいことだろうか、とも思う。

今から決めていることとして、「親は完璧ではない」ということを伝えることと、「謝罪のできる親であること」はやれたらいいなと思っている。
うちの親にはそれらが無かったし、私の中にもその像が刷り込まれているからこそ、意識的に持っておくべきことだろうなと思うのだ。
異性の親子だと、そもそも前提に共通項が存在しないから、「わからない」から素直にスタートすることができるという。どうして?と疑問を投げかけること一つでさえ、異性だったら純粋な疑問で済むことが、同性だと何らかの前提を置いた上での批判的ニュアンスを含んでしまったりもするのだろう。

  • 他人(個人)として尊重しながら共同生活を送る

  • 親子、同性でも、何もかもが違う存在だという前提を持つ。基本は「わからない」からスタートする

  • 例え気が合わなくても興味を持ち続ける努力をする

  • 自分が正しいという前提で接しない、ミスったら謝る

この辺ができればある程度は安心した関係性が築けるような気もする。が、果たして……。

多分生まれたあとは怒涛の日々で心構えを整える時間もないと思うので、生まれる前に先んじて心持ちだけは作っておきたいと考えている今日この頃。

心配や不安を書き始めていくと、不思議とスッキリしたり楽しみが湧いてくるということがあるけれど、今回のnoteもその効果がありそうだ。
本の続きも読みながら、「子どもから何を教わることができるのか」という視点でも捉えていくことで、関わり合いや衝突も受け入れていくことができそうな気もする。

親(母)が幸せであることが一番大事というのも自分が子の時に感じたことなので、自己犠牲ではなく自分の存在もきちんと労わりながら過ごすことを大事にしたいなぁともぼんやり思う。何よりもまずは元気に生まれてくれよなというところからなので、子に頑張ってもらうことから全ては始まるのですが。

最近お腹も目立つようになってきたものの、服装があまりにマタニティっぽくないので気づかれないことも多く、優先席に座るときなんかはマークを見えるようにしないとなんとなく居心地が悪かったり、しています。当たり前に譲る側だったところから譲られる側になることでの申し訳なさというか、恐縮というか、この独特の感覚についてもそのうち書けたらいいよなぁと思う。普段仕事でD&Iとかを考える機会もある中で、この期間は良い学びをさせてもらっているなぁと思っている。お店選びとか、メニュー選びとか、そういう時にも制限がある生活というのは、やっぱりなってみないとわからない感覚がある。

前回の健診で「臍の緒が太くて栄養吸収する気満々の子」と言われたのおもろいなと思いつつ、どんな個性のある子がやってくるのか、どんな共同生活になっていくのか、不安もあるけれど楽しみもきちんと認識しながら過ごしていきたいなーと書きながら思えました。書くことというのは大切ですね。(尚この記事も3/13に書いていました。毎度毎度公開までのバッファよ。)

ここまで読んでくれている人がどの程度いるか謎ですが、なんか今回色々とnoteを書いてみたことで、いろんな人の妊娠〜出産・子育てのリアルな話をちゃんと残して伝えていく連載とかやれたら面白そうだなーと思うなど、ぼんやりと。友人・知人だけでもいろんなエピソードを持っていて興味深いなぁと思ったし、本当に十人十色、だけどそれなりに共通項もありそうな、なんかそういう感じがあって。検索しまくっていても参考にするのはやっぱりリアルな話だな〜と個人的には思っているので、そういうものがある程度まとまって知れたら心の準備もできるのになぁと。
元々、「どこにも載らないインタビュー」のサービスとかやりたいな〜と思っていたところだったのですが。noteで勝手に連載企画として取材させてもらったりしてもいいな〜と思うなど。

寒暖差やら乾燥やらでしばらく体調崩していたのですが、「こんなに咳をして大丈夫なのか…夜寝れてないけどいけてる…?」などと不安に駆られて色々みていたら「大体の人は、10ヶ月の間に1回くらいは風邪をひきます」って書いてあるの見て確かにwwってなった。まだ少し引きずっている&低気圧で死んでいるので、気を楽にしながらゆっくり過ごそうと思います。


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