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ワインを作るみたいに手紙を書いて生きていたい

私は手紙が大好きだ。

理由は、もともと文字を書き連ねることが好きだというのもあるけれど、それだけではない。
相手のことを思い浮かべながら便箋に向かい、照れくさいことも「どうせ封をして渡しちゃえば自分は読めないからいっか〜」とか思いながら、普段よりも素直になってことばを書き連ねる。出来上がったら封筒にいれて、少し緊張しながら封をする。
この一連の動作に、ときめくのだ。

手紙の良いところは、書いて渡してしまえば自分の手元からは消えるところと、書く前に感情の「熟成期間」があるところだと思っている。

まずは前者について。

私の場合、SNSなどのやりとりだと自分が送ったメッセージを読み返しては「この言い方まずかったかな」とか「こう言ったほうが伝わりやすかったかな」とか考えて、反省することがしばしばある。
そのため、一度手元を離れてしまえば、自分が伝えたことを記憶の中でしか確認しようがない手紙は、気持ちが楽だ。
それに、一度封をしてしまえば読み返すことがないからこそ、前述したようにいつにも増して素直になって、少し水臭いことも書けたりする。

記憶の中でしか確認のしようがない、という点では対面での振る舞いも同様だ。けれどもそれに関しては、私は一日の終わりに自分の言動の振り返り&反省会を開催してしまう。
おそらく、生活の中での言動は瞬発的なものが多いから、後悔のポイントがたくさん転がっているのだろう。
その点、手紙はじっくり考えて生み出されたものなので、少なくとも書き終わった時点では、自分的には最上級のものに仕上がっている。それゆえに記憶を辿っても幸福感の方が大きいのだ。

後者について。

SNSでは、考えることと書くことがほぼ同時であるうえに、書いたものを簡単に消去することができる。思いつくままに書き、気に入らなければボタン1つで、まるで時を巻き戻すかのように文字を消していけば良い。送ったものを後から消すこともできる。
そこに投影されるのは、瞬間的な感情であって、自分でじっと抱きしめて熟成させた感情ではないように感じられる。

手紙は書く前に自分の心と向きあい、頭の中で静かに慎重にことばを生み出す。ワインが熟成期間を経ることで味が変わるように、感情だって時間を置けば深みが増す。

悲しみは一通り泣いた後、喜びは一通り笑った後、怒りは一通り腹を立てた後、愛おしさは一通り抱きしめた後。
そういった感情の沸騰の後に、体温くらいまでに冷めたものを、ゆっくり丁寧に紙に落とし込んでいく。そうして書かれたものこそ、相手に一番響くと思うのだ。100℃の感情を渡されても、熱すぎて触れることはできない。

思ったことをほぼリアルタイムで伝えたり共有できたりする点ではSNSも、たしかに魅力的だ。
しかしそれは、さまざまなものが絡まりあった文脈から、ちょきんと切り離されて浮き上がらされた、上澄みにすぎない。

1日24時間365日のうちの、感情や出来事のほんの一部を、まるで全てであるかのように見せてしまう。便利だけれど、その便利さゆえに慎重さを欠いて相手を傷つけたこと、逆に傷つけられた経験は多くの人があるのではないだろうか。

手紙は、風が吹けば飛び、雨に濡れればぐしょぐしょになってしまうただの紙切れだけれど、一生懸命に選んだことばが、何よりもピュアで深くて重みのある気持ちを表しているのではないかと私は思う。

だから、私は大切な人に、大切だからこそ、これからも手紙を贈るだろう。






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