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夢は大きくても小さくてもいいんだゾ!

Twitterなんかを見ていると、プロでも同人でも、イラストでも漫画でも、とにかく上手い人の作品が流れてくる。そういう人の絵だからRTされてくるんだけど。世の中の絵を描く人の大半が、最初から絵うまくて、もうそういう人ばっかりなんじゃない? というか、絵を描いている人は、全員神のように描けるんじゃない?って思ってしまうかもしれない。
あれじゃあ、自分に自信をつけろとか、恐れずに挑戦しろとか言われても、無茶言うな!と思わくもないです。

人の心は繊細ですし、数値での評価というのは、人の心を伸ばしもするけど、恐ろしく萎縮させることもあります。
創作活動をする人は感受性が強いですから、他人のマイナスの感情に晒されると、ダメージを受けます。大人になると多少は強くなりますけども、人間だもの。

自分より秀でた人の作品を見るのは、学ぶ上でとても大事なことだけど、それと自分に勇気を持つのは別の話。他者と比べるだけだと、自分の成長が見えなくなってしまう。

高校生の時に私が描いた漫画は下手だった。でも、当時の自分を今の自分から見ると、完結した話が描けている時点で、すっげーなと思うんです。
しかもこの漫画、ブレーキを踏んでないんだな。上手いだとか、下手だとか、自分はこの程度だから、このくらいしか描かない、という姿勢がない。

SFだから宇宙船を描く!
アクションだからアクションを描く!
かっこいい人が出てくるからかっこいい人を描く!
ドバーン、ズキャーン! ドカーン!って感じだ。
人生は爆発だ!

こういうところは、今の自分にはないところ。とても羨ましい。
動きが大きいので、映像作品にしても映えるはずです。スケールが大きい、ハリウッド的な発想。世界的ヒットを狙うなら動きが大きいものを作るのが良いのでしょうね(個人の感想です)。制作する側にも高い技術コストがかかるので、挑戦するのは大変。

漫画って、とても手間暇時間のかかるものだから、その労力を思うと、簡単な方に逃げちゃうんですよね。それもひとつの正解ではあるし。無理をすると作品がいびつに曲がってしまうこともあります。予算がないのにハリウッド的な映画を作ろうとして、原作はいろんな人種いるはずなのに、日本人ばかりが配役されて…みたいな。
それに、労力に見合った対価を求めるのは、仕事の上では重要でしょ?

コンパクトだけど、自分の身の丈にあった作品作りもまた、意義のあることなように思います。
自分の周りの小さな問題や悩みというのは、誰にでもあることですし、小さすぎて身の回りにいなかったりしても、ネットの中ではたやすく繋がれます。孤独と悩みを解決してくれますよね。

漫画を描く悩みは、漫画を描く人にはよくわかる!

コンパクトっていうことは、制作コストが安いので挑戦しやすい…のだけど、ライバルはいっぱいいるかもです。

大きい物語でも小さい物語でも、どっちでも必要としている人はいるはずだから、好きな方を選べればいいんですよね。

誰かに言われたから描くんじゃなくて、心の映写機が自動的に写す世界を、ただ描くのができれば、本当はいいんです。そういう環境があるのが、一番いい。

ただ、そういうのは、たとえばゲーム会社にいても、できません(筆者はゲーム制作経験者です)。漫画や小説は1人でも作ることが可能ですが、ゲーム制作は共同作業なので、みんなでひとつの作品を作り上げるという仕事なのです。そうして1人を超える作品を作り上げるのが、ゲームだったりするのです。ゲームも個人制作の場合は、自分だけの世界を作り上げられますので、そういう道もありです。

もし、今何かを創作しようとしていて描けないのだとしたら、まず観客席に座って、まず心の求めるままに他者の作品を見て見ると、その後に、自分の求める映像が映し出せるかもしれない。インプットあってのアウトプット。


だって、1番最初の観客で、1番自分の作品が好きなのは、作者である自分なのだから。

私が漫研時代から描いた漫画見る? セクシーダイナマイト編より

つづきます。

ここまで読んでくれてありがとう。