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簡単絵画史

もともと美大で絵を描いてたこともあり、絵画の歴史の流れは最低限おさえていたつもりですが、歳をとってもう少し理解が深まったので、少しまとめてみようと思います。

で、絵画の歴史を見る時に注目するところを「絵画空間」にしてみると分かりやすいと思うのです。
絵画空間とはつまり、「絵の中に描かれている世界」のことなのですが、最初にその流れを簡単に書いておくと、

◯絵画空間(絵の中に描かれた世界)
→神(神話)の世界  
→人(現実)の世界 
→個人が見た世界 
→絵画独自の世界 
→絵画そのもの(物質的な世界) 
→大きな絵画史の崩壊
→個人個人の考える細分化された世界 

という感じかなーと思います。
流石にこれでは簡単すぎるので、
一つ一つ時代の流れに合わせて見てみるのですが、時代背景として「社会的な視点」と「技術的な視点」という見方も簡単に含めてまとめてみます。


絵画史①中世 5-15世紀
神と教会の世界

・絵画空間
→神話の世界(現実を描かない)、神の視点

・社会的な視点
→識字率が低く言語が十分に機能しないので、絵で伝えるという側面もある。神の世界(神話)を伝えるための絵とも言える。

・技術的な視点
→遠近法という絵を描く技術がないので平面的であるし、人間ではなく神を描いているのだから、人間とは違うことも前提。絵に描かれたものは人間ではなくて、神であり神聖なものであるという考え方。なので写実的に描く必要もなく、描かれる神ものっぺりと平面的。

絵画史②ルネサンス 14〜16世紀

・絵画空間
→ 内容:神話の世界 だが、
 表現する手法:人間の世界 を用いる。

・社会的な視点
→ルネサンスは文芸復興という意味ですが、中世以前のギリシャ時代に目を向け、ギリシャ時代を“復興”するという考え。その下支えは人文主義(ヒューマニズム)で、古典的な教養が人間としての成長を促すという視点。なので「“人間”と“古典”という点からギリシャ時代に目を向け復興しよう!」みたいな感じ。
それによって、ギリシャ時代の現実的な人間を描写した描写力や、彫刻の造形力を学び、そのリアルな“人間的な図像や造形を用いて神話的世界を描く”みたいな感じです。
こうした古典に戻ろうとか根本的なものに戻ろうなんていう発想は、聖書に戻ろうというルターの宗教改革(1517年)へも繋がるように思いますし、その繋がりは否定出来ないように思います。

・技術的視点
→①遠近法の発見②油彩技術の完成③解剖学的人間の理解という3つの要素によって、“神話の世界を現実的な人間や空間によって表現する”という流れに繋がる。
つまり遠近法で現実空間を描けるようになり、油彩技術の完成により現実の光や色を再現できるようになり、解剖学的理解により現実の人間を絵画空間に再現出来るようになったことが、全てにおいて“現実を再現する力”に繋がった。

レオナルドダビンチは解剖を行い人体の研究をしていたので、天使を描く時に光輪を描かなかったというエピソードもあったり。しかしパトロンに怒られて光輪を描かされるという結末に。このエピソードも神話的な世界から現実を描くような流れに繋がっているということを感じさせる。

絵画史③
ロマン主義18世紀後半〜レアリスム19世紀

・絵画空間
→内容:現実の世界(現実の再現)
 手法:人間の視点(見えるままに)

・社会的視点
→フランス革命1789年以後、人権や個人の発見から、“神話の神々”から“現実の我々”という視点に。現実の“歴史の目撃者”的な大きな視点(代表的な画家はドラクロワ1798-1863)から、“私”が見た景色や場面という小さな視点(代表的な画家はクールベ1819-1877)へ。
ドラクロワ的な大きな視点というのは、『民衆を導く自由の女神』というアメリカの自由の女神のモデルとなった有名な絵のように、フランス7月革命というような歴史的な大きなイベントを描くということ。一方でクールベは『オルナンの埋葬』という代表的な絵のように自分の故郷のオルナンで亡くなった自身の家族を埋葬する様子を描くことで、“自分自身が見たもの”を描くということ。
クールベの「私は天使を見たことがないから天使を描けない」という話は、レアリスムの視点であり、現実世界を描くという点でもわかりやすい。
又、“私”という視点と同時に、マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』が刊行されたこともあり“歴史的・社会的”という視点もまだ強く、クールベも社会活動家的側面もあった。

・技術的視点
→次の印象派のちょっと前くらいの流れなので、次項目にまとめます。

絵画史④印象派前期 1870-1880頃

・絵画空間
→内容:現実の空間
 手法:個人の“私的”視点(私にはこう見えるという解釈)

・社会的視点
→ 印象派は前項の「“私”が見た景色や場面という小さな視点(代表的な画家はクールベ)」と時代的にも、やや重なりながら発生するので、地続きです。なので、クールベの“私”という部分が強化されるような感覚で、現実のありのままの景色ではなく、“自分自身が見た景色”を個人的に解釈した“印象”を描いた、というのが特徴です。
また、私見ですが晩年クールベが政府や社会的な権威に苦しめられた経験から、芸術がそうしたものから自由であるように望んでいたようにも見えるのです。なので、印象派はそうした社会的な束縛からも離れ、自由に自分自身がみた景色の印象や感覚を描けるように“開放された”時代のようにも思うのです。
(このクールベと印象派を繋げたと言われるのが、近代絵画の父として有名な画家マネですので一言補足として書いておきます。)

・技術的視点
→写真の誕生(1851コロジオン法、1871ゼラチン乾板)があったために、肖像画の必要性がなくなってきた。それゆえに写実的な絵画の重要性は薄れ、写真には出来ない“絵画にしか出来ないこと”つまり、“絵画性”“絵画独自の空間”みたいなことが重要になってきた。それと同時に、チューブ絵の具が誕生したことが大きい。それまでは顔料と油を用いて絵の具を作りながら描く必要があったためにアトリエなどの室内でしか製作が出来なかったが、持ち運びできる絵の具が出来たことで、屋外での製作が出来るようになった。屋外で描くからこそ、刻一刻と変化する光を描くというスピード感に対する考え方が出てくる。又、光によってものの見え方が変化するので、“もの”も一定の固有の姿を持っているわけではないと言う認識が生まれる。それによって、“私にはこう見える”という“作者の解釈”という視点も生まれてきたといえる。同時に“物体ではなく光への視点”から光を描くことが重要になり、輪郭のないボヤボヤっとした表現になっていき、写真的なものとの違いも顕著になり、写真と絵画の違いを差別化出来た。

絵画史⑤印象派後期 1880〜1890頃

・絵画空間
→絵画独自の空間(絵画でしか実現できない空間)

・社会的視点
→サロンでの評価やパトロンがいなくても芸術活動が続けられるラッキーな人が出てきた。それは裕福な家庭に生まれるということでもあるのですが、それはすなわち誰かの評価を気にせず自分の信念で絵が描けるということ。そして裕福な家庭というそのものが、第二次産業革命(1870年前後)以降の商業的な成功の上で成り立つ商人の豊かさなのであって、社会的背景ゆえのもの。(貧乏で有名なゴッホですら、弟のテオからの援助でギリギリの生活の中でだが、絵を描くことだけに集中出来た。)それによって、既成概念に囚われない絵描きが生まれてくる。ここではセザンヌをその代表としてあげてみます。
前項の印象派と同時代のセザンヌ。自身も印象派を出発点にしたが、その印象派に対して批判的な視点を持つ。それは“画家の印象”、“移ろいゆく光”ばかりを追っていて、描かれる対象や描かれる物の構造的な力、つまり“物質の存在感”や“もの自体”への視点が損なわれているという点。漠然としたイメージではなく、しっかりとした画面構造を持った絵画を目指した。
そうした問題意識から、「人間が見ているのは“もの”の一側面でしかない。だからこそ多角的な複数の視点で描くことによって構造的な強度を持った絵画が描けるのではないか?」という発想に繋がった。結果、1枚の絵の中に複数の視点から見られた“もの”が描かれることになった。それは、人間が見た景色でもなければ、写真的な景色でもない。絵画空間の中にしか存在し得ない景色となり、絵画にしか出来ない空間の1つの答えを手に入れたと考えられる。つまり、テーブルは上から見て描き、脚付き皿は横から見て描くみたいな静物画であって、それはまさに絵画にしか出来ない絵画空間を作り出した。そうした発想が、セザンヌが「現代絵画の父」と呼ばれる所以かと思います。

・技術的視点
→チューブ式絵の具以降、大きな技術革新はない。

絵画史⑥
抽象表現主義・ミニマリズム1950-60年頃

・絵画空間
→絵画空間という“絵画の中”への視点から、“絵画の表面”という平面性や物質性へ

・社会的視点
→セザンヌやゴーギャンといった、色面を意識させるような画面が、ナビ派のモーリス・ドニに影響を与える。彼は写真と絵画の関係性から、「美術はもはや、写真のように視覚的感覚ではなくなった。いや、精神性を創造する唯一の手段である」という視点もあり宗教的な視点に立ったのだが、手法としてはアール・ヌーヴォーや日本の版画に影響を受け、とても“装飾的・平面的”な画面を描くようになった。
結果としてドニは「絵画とは本質的には平面をある秩序のもとに集めた色彩で覆うこと」という発言もあり、絵画=平面、絵画の表面への意識という考え方に繋がっていったと考えられる。
また、セザンヌの複数視点を発展させると同時に、対象を構造化・単純化させて描くキュビズムとの繋がりも考えられる。キュビズムは結果として、“人間の視点”を超えた画面構成としての“絵画空間”に注目することによって画面を平面的にしていったので、実際に平面的な絵画が増えてきたというのは否定出来ないように思える。
こうした絵画=平面という考え方がクレメントグリーンバーグのモダニズムにおける「絵画の平面性」にも繋がっていったと考えられる。
そして、平面性こそが過去の絵画との決定的な違いだという話になり、ジャクソンポロックのオールオーバーな平面的な絵や、バーネットニューマン、マークロスコ、という色面の絵画や、ミニマルアートの絵画のシェイプ(形)について、ロバートライマンの色面・平面を作っているカンバスや絵の具という素材への視点などにも繋がり、彼らが評価される流れになっていった。
というのがざっくりとしたセザンヌ以降のモダニズム絵画への流れかなと思います。
社会的な視点と言いながら、絵画の流ればかり説明をしてしまったのは、この辺りが私にもわからないからなのですw
というのも、こうした還元主義的な美術の流れが、哲学の構造主義への流れに似ていたり、物事を科学的かつ合理的に考えるというそもそもの“近代化”という時代の流れと同時代的に存在しているので、ニワトリとタマゴの関係のように、何が最初のきっかけなのかの判断が難しいなーと思うのです。

・技術的視点
→ポップアートや写真の発展、複製技術の発展などによって、人間の手で作るということがそもそも問われるということがあります。絵画の平面性を考えた時にも、そもそも人間が塗るということは絵画にとって排除される要素であると考える方向性もあり、逆に人間の塗るという行為が重要であると考える方向性もあったりと、多様化していきます。

絵画史⑦多様化 大きな物語の崩壊

今まで見てきた流れから、様々に多様化し大きな絵画の流れというものが崩壊します。
おそらく大きな絵画の流れの最後の1人と言われるのがゲルハルトリヒター(1932-)で、

・神話と現実の関係
・絵画と写真の関係
・具象画と抽象画の関係
・絵画のイリュージョンとしての奥行きと絵画の平面性の関係

などなど、今までの絵画の全ての要素を内包するようなテーマを写真的なアプローチによって絵画化した、という感じ。結果リヒターという個人が絵画の文脈を包含するすべての製作を行ってしまったように感じられるのです。絵画史は終焉したように思えます。
でも決して絵画は死んでいない。

絵画史⑧個人個人の物語 

・絵画空間
→絵画空間に囚われない、動画、アニメ、CG、写真、VR、などなどすべての自由な“空間そのもの”が重要になってきた。もはや絵画にしかできない空間は、様々な空間の1バリエーションとしての空間になった。

社会的な視点
→例えば、ビジネスの世界では多くの大衆を相手に大量生産する世界から、デジタルで細分化された個人に対してカスタマイズされたサービスという流れが出てきました。教育という観点からも、均一な教育ではなく、個人個人に合わせた教育のパーソナライズみたいな話もあります。
そうした流れと同じように、絵画も個人個人の思考や趣向、個人の文化的背景や個人の歴史、そうしたものが重要になってきたと考えられます。大きな絵画という物語は終焉し、小さな個人個人の紡ぎ出す物語が重要になってきたと言えるのではないか?と思うのです。

技術的な視点
→かつて絵画にしかできなかった特別な空間は、すべての空間で実現できるようになってきた。写真であってもデジタル上で自由に切り貼りができるし、CGを用いて映画やアニメで現実世界とは違うファンタジーだってSFだって表現できるし、時間的な動画の手法だって自由に使える。それはまさにデジタル技術の発展によるものでしょう。
だから、誰にだってどこにだって何を使ったって“絵”をかける!そうした技術発展があって、今沢山の物語が自由に生まれてきている。そして、それはいわゆる絵の具を使っていようが、写真だろうと映像という手法だろうと、全て“平面”です。よって、絵画とは何か?と問われた時、今の時代は映像も平面として捉えれば、“絵画の発展系であり、絵画だ!”とも言えるような気がするのです。
そして、その映像の平面性をチームラボのような体験型作品が壊していっている。宗教絵画からチームラボまで絵画の文脈として見ることも出来るような気がするのです。


以上簡単絵画史と言いながら長くなってしまいましたが、こんな感じです。

ちなみにここに書いてきたことは、私が大学生の時から話を聞いたり、色々読んだり考えたりしてきた蓄積によるものなので、具体的な参考文献などはもはやわからず、出所のわからない情報が私の中で一つの塊になった。そんな感じなので、“正しいものではない、1バリエーションのひとつ”であるということを最後に書いておきます。

あとは、
各時代の間の出来事を少し書いておきます。

②と③の間がバロック時代。
ルネサンスが均整のとれた優美さが特徴だったけど、それをダイナミックにしたり、明暗を強調したり誇張するような手法から“ゆがんだ真珠”という意味のバロックと呼ぶようになる。
代表的な画家はレンブラント、フェルメール、ルーベンス、カラバッジョ、ベラスケス等。
神話を題材とした神の視点と同時に、風景画や肖像画など人間的視点も混在している。

そして、フランスでバロックの次に来たのがロココ時代。貝殻という意味らしいですが、可憐で優美な印象の世界感。フランスのルイ14世がバロック的な世界で王様凄いよーといいながら、なかなかの圧政をしていて、彼が亡くなったのをきっかけにその反動で自由奔放で開放的な、つまりちょっとエロチックな世界感が広がったと言われています。

⑤と⑥の間
後期印象派以降、個人の見方や趣向が爆発的に許容されることで、
フォービズム
キュビズム
シュルレアリスム
など
沢山の「〜主義」が生まれた。
しかし、これら多様な「〜主義」をも、“絵画にしか出来ない空間“、“絵にしか描けない世界”を追求したという意味で考えると、わかりやすいかな?と思います。
フォービズムは、色彩を感覚的に扱い“何かを描くための色彩ではなく、芸術家の主観的な感覚を表現するためのもの”というように個人的な視点から独自の絵画空間を描いた。
キュビズムも難解に見えてしまうかもしれないけれど、いろんな方向から見た顔を一つの平面に描くことで、“絵画にでしかできない顔(絵)”を追求したと考えるとわかりやすいのではないだろうか。つまり、人間の視覚は人の顔を一方向からしか見れないが、絵画なら多角的な方向から見た顔を実現できる。つまり絵画にしか表現できない絵画が描ける、ということ。
シュルレアリスムは、超現実主義の世界でダリが有名ですが、時計が溶けるような世界は絵でしか実現できなかったから衝撃的だった。今ならCGとかアニメとか色んな手法があるけど、当時は絵画が先端ビジュアルアートだったのだから。


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