河童 THE 川ながれ

 僕は河童…のはずなんだけど、だんだん自信が無くなってきたよ。皮膚は緑だし、黄色のくちばしだってある。手は水かきで背中には甲羅。とどめに頭にはお皿がのっている。それでも自分が河童だと信じきれないんだからおかしな話だよ。
 だってここの人達は誰も信じてくれないんだ。いくら説明しても「オチが弱い」とか「ファッションセンスが悪いだけや」とか、そんなことしか言ってくれないんだから。
 泳ぎが下手な僕が、尼崎の庄下川に流れ着いたのは丁度今から一年前だ。夏の暑い日で、日光浴でもしようかと川面に向かったんだけど、失敗しちゃったみたい。気が付いたら岸に打ち上げられていて、僕の周りを四、五人の人間が取り囲んでいた。全員変わった柄の服を着ていて、見るからに怪しい雰囲気だった。
 これはやばいと思ったよ。河童の世界では、人間に姿を見せるなんて言語道断。見世物にされたり迫害されたり、ありとあらゆる残虐な実験をされたりするから絶対ダメだと、散々に言われてきた。僕は心の中で叫んだよ。もうダメだー!ってね。
 だから派手な柄のティーシャツを着たおばちゃんの第一声には驚いてしまったんだ。
「あんたそんなダサい服着てるから溺れるねん」
「せや。どうせ溺れるならもうちょっとマシな格好せな」
あまりに驚いて思わず言ってしまったよ。
「いや、これは服じゃなくて皮膚なんです」ってね。
「んなアホな!」
手を叩きながら爆笑しているおばちゃんは、散々に僕の頭をペシペシと叩いてこう言った。
「髪の毛もこないハゲ散らかしてからにー」
みんな揃ってさらに笑うもんだから、ついつい「いや、これはハゲじゃなくてお皿で、ここが乾くと僕は弱っちゃうんです」
なんて、弁明までしちゃったよ。さすがにやばい!と思ったんだけど、おばちゃん達は何も気にしていなかった。
「ほな、そのハゲにビールでも注いだりましょかー」
そんなことを言いながら僕の腕をつかんで、あれよあれよという間に僕は居酒屋なる場所へ連れ込まれていた。
 いやいや、もし僕が普通の人間だったとしてもこの対応はおかしいだろうと思うんだけど、ともかくビールという苦い飲み物を飲まされた。
 そして本当に頭のお皿にビールを注がれ、じゃんけんで負けた人が更に入ったビールを飲むという謎のゲームに巻き込まれた。派手なおばちゃんが代わる代わる僕の頭にキスをして盛り上がっているんだから、たまったもんじゃない。
「なんや!あんた金持ってないんか」
そう言われたのは深夜も深夜。ヘトヘトになって意識が朦朧としていたときだった。
 どうやらこの店は、派手な服を着たおばちゃん達の中でも、一際派手な柄の服を着ているおばちゃんが経営しているお店らしい。
「ほな体で返してもらいましょか」
 こうして“居酒屋アルバイター河童”が誕生した。

「はい。五百円天引き。中々借金終わりまへんなぁ」
おばちゃんが嬉しそうに言った。また、皿を割ってしまったのだ。
 居酒屋でのアルバイト生活が始まってから一年が経つ。ようやく慣れてきたんだけど、皿洗いに苦戦している。僕の手は水かきなんだから、物を掴むとか握るとか、そういうことは苦手なんだ。それなのにおばちゃんは皿洗いばかりさせるんだ。
「ほんま鈍くさい兄ちゃんやで」
 おばちゃんは今日も変わらず派手だった。この一年で覚えたのは、おばちゃんが着ている服の柄は、“ヒョウ柄”というらしいということだ。
 この間初めて動物園に行って衝撃を受けたよ。いつもおばちゃんが着ている服と同じ柄の動物が歩いているんだから。常連さん達が着ている服の柄とそっくりな動物も沢山いるんだ。動物柄の服を着たがるなんて、人間ってやっぱり変わってるよね。
「ボーッとしてんと、はよ唐揚げ運びぃや」
おばちゃんの声で、ボーッとしていたことに気付き、慌てて唐揚げの皿を掴んだ。キュウリが添えてある。溢れ出るよだれをグッと堪えて、三番テーブルに運んだ。
「おー!兄ちゃん!今日も変な服着てんなぁ!」
常連のおじさんが声を掛けてくる。
「いえ、これは服じゃなくて…」 
「生ビール追加や!」
僕の返事を聞こうともせず、おじさんが追加注文をした。いつもこんな調子だ。“変な服”のやり取りは会話というよりも挨拶に近い。
 三番テーブルの上の空いたジョッキを下げ、カウンターへ入る。冷蔵庫からキンキンに冷えたジョッキを取り出し、サーバーからビールを注ぐ。慣れたものだ。一年も続けていれば河童でさえビールを注げるようになるのだから、やってやれないことなんて何もないのかもしれない。皿洗いは苦手だけども。
「お待たせしました。生ビールです」
三番テーブルに生ビールを慎重に置いた。皿洗いの次に苦手なのは、ジョッキを持つことだ。ビールジョッキの取っ手は、僕には細すぎる。なんたって僕の手には大きな水かきがついているんだから。
 こぼさずに置けた、と安心していたらさっきのおじさんがまた声を掛けてくれた。
「ほんで、あんたはどうすんねん?」
唐突な問いかけに、僕はキョトンとした。
「どうするって何がです?」
「何がって知らんのか!相撲大会や!相撲大会!もうすぐあるやろ!兄ちゃん出ぇへんのか?」
僕はいつになく身を乗り出した。
「相撲大会!そんなのあるんですか!」
相撲と言えば河童。河童と言えば相撲。
「なんや!目ぇ輝かせて!出たいんか?」
 唐揚げを頬張りながら、僕に箸を向けたおじさんはさらに嬉しいことを言ってくれた。
「出たいんなら申し込みしといたるで」
こうして僕は相撲大会に出ることになった。

 大会当日はうんざりするほどの晴天だった。暑さで視界が歪んでいる。僕の取組まであとわずかだ。頭のお皿が乾かないように念入りに水分補給をした。
 ついに土俵入りだ。土俵で正式に取組が出来るなんて夢にも思わなかった。踏みしめるように一歩、また一歩と近づき、土俵に足を掛けようかというその瞬間、「あかんやろ!」と、どこからか声が聞こえた。
 驚いて振り返る。行司だ。憧れの行司だ。暑い中ありがとうございます、と声を掛けようとしたが、先に言葉を発したのは行司の方だった。
「あんた!あかんで!服着たまんまでは出られへんで!ちゃんと裸にまわし締めな!」
 そう言われて自分の体を見下ろした。見よう見まねで締めたベージュのまわしが緑の体に映えている。イケてる。
「それになんや!リュックまで背負って!危ないやろ!」
「すいません。これは服じゃなくて皮膚なんです。そしてこれはリュックじゃなくて甲羅です」
 まわし姿を見せつけるように体を突き出して言った。
「あぁ?ゴチャゴチャ言わんと、その緑の服はよ脱ぎや」
 行司は面倒くさそうな様子だった。
「これは皮膚です!噓だと思うなら脱がせてみたらどうですか」
 さすがの僕のムッとして、思わずそんな宣言をしてしまった。きっと、慣れすぎてしまっていたんだ。
「なんやと。ほな脱がしたるわ」
そう言って行司は、河童の腕を掴んだ。セロテープの端っこを探すように、緑の皮膚の端っこを探した。しかし、探せど引っ張れど、擦れど掻きむしれど、緑色が河童の体から離れることはなかった。
「なんやこれ。どうなってんねや」
行司は苛立ちと疑問を洩らしながら、尚も河童の皮膚を探っている。
「だから言ったでしょう。これは服じゃなくて皮膚なんです」
いつになく、自信を持って言っていた。すると行司は僕の手を取り、頭の先からつま先までをまじまじと見つめ、呟いた。
「緑の皮膚…ハゲた頭…水かきの手…」
 なんやなんや、と次第に僕のまわりに人が集まってきた。その中には僕の働く店の経営者のおばちゃんや、常連さんたちもいた。
「だから言ったでしょう。僕は河童だって」
 なぜ、そんなことを堂々と言ってしまったのか。きっと慣れすぎてしまっていたんだ。いつものように、軽口で受け流してくれると思い込んでしまったんだ。
 場内はどよめいた。
「河童やて?」
「なんや河童て。妖怪か」
「人間ちゃうかったんか」
 様々な声がまわりで飛び交っても、僕はまだ事の重大さをわかっていなかった。
 突きつけられたのは、僕を雇っているおばちゃんの言葉だった。
「あんた私らのこと騙してたんか!」 
おばちゃんの形相に驚いて、ハッとした。
 辺りを見回す。沢山の人がこちらを見ていた。この町に流れ着いてからの今までに感じたことのない視線だった。ガヤガヤとしていた空気が静まり、ヒソヒソと何かを話している。見定めるような、刺さるような冷ややかな視線を感じた。
 そこで知ったんだ。もう元には戻れないことを。からかわれながらも温かく接してくれていた、今まで通りには戻れないんだと。
 走馬灯というのか、賑やかだった今までのことが駆け巡り、呆然と立ち尽くしていた。
 そして遂におじさんが口を開いた。僕を相撲に誘ってくれた、あのおじさんだ。僕は覚悟を決め、目を閉じた。
「河童で町おこしや!」
 こうして“居酒屋アルバイター河童”は、“町おこし大使河童”に格上げされた。

 おじさんは尼崎の商工会の会頭さんらしい。意外と偉い人だったみたいだ。
 居酒屋生活が懐かしくもなるけれど、今は今で悪くない。大使として毎日午前九時に商工会議所に出勤し、あれやこれやと会議が続く。
「それにしても妖怪に見えへんな、自分」
かつて僕を雇っていたおばちゃんが言った。
「いやいや、普通はすぐ気付きますよ」
そうなのだ。一年も人間と間違われていたことが異常なのだ。会議室にいるおばちゃんもおじちゃんも好みの動物柄の服や、何色かわからない派手な色の服を着ている。
「緑の全身タイツはいて変な奴やな思ってたけど」
「思ってたならもう少し違和感を持ってくださいよ」
「まぁでもそんなやつこの辺ゴロゴロおるからなぁ」
そう言っておばちゃんは周りをキョロキョロと見回した。確かにこの中だと、僕は地味な方かもしれない。
「おー。みんな集まっとるなぁ。今日はこんなん持ってきたでぇ」
 会議室のドアが開き、段ボール箱を抱えた会頭さんが入ってきた。長机にドサッと、段ボール箱を置く。中からなにやら緑色の布を取り出した。
「河童の着ぐるみや!」
会頭さんは嬉しそうに僕に差し出した。
「え?僕が着るんですか?」
「せや!あんたのために買ってきたんや」
「え?河童が河童の着ぐるみを着るんですか?いらなくないですか?」
「あんた地味やからなぁ。これくらい派手じゃないと河童に見えへんやろ」
 せやせや、と、どこからともなく賛同する声が響き、半ば強引に着ぐるみを着させられた。
「うん。やっぱりこれくらいせなあかんなぁ!」
おじちゃん達は揃ってうなずき合っている。
「いやいやいやいや。これ逆に僕いります?」
女の子がゆるいコスプレやパジャマで着るような、安っぽい着ぐるみだった。どう考えても僕のほうがクオリティが高いはずなのに、納得がいかない。
「これえぇなぁ。今ゆるキャラ流行っとるしなぁ」
僕を雇っていたおばちゃんが言った。
「せや!それや!ゆるキャラ作ろう!」
途端に会議室が盛り上がり、ゆるキャラのデザイン決めが始まった。会頭さんがそのへんにある紙をおもむろに掴み、ペンを走らせる。
「これでえぇやろ」
会頭さんの一言で、元々ある河童のイメージを少し変えただけの、雑なデザインが完成した。

 尼崎には元々、非公式のゆるキャラが存在している。“ちっちゃいおっさん”という名のゆるキャラで、肌着と腹巻き姿のおじさんがモチーフだ。まさかのまさかで、河童のゆるキャラにも、ちっちゃいおっさんの要素が盛り込まれた。
 緑の皮膚や甲羅、そして頭のお皿などの象徴的なものはそのまま残し、そこに肌着と腹巻きとステテコを付け加えた。そして今の議題はもっぱら下駄を履かせるかどうかだ。
 無理があるよ。水かきなんだから。河童に下駄なんて履けるわけない。それでもここの人たちは何でもありだから、とうとう無理やり下駄を履かせてしまった。
 こうして尼崎の新キャラクター“あまガッパ”が誕生した。

 あまガッパは、ちっちゃいおっさんの〝競馬友達〟という設定らしい。毎週競馬場で落ち合い、ギャンブルに勤しみ、労働後のビールを嗜む関係だそうだ。
 ますます僕から遠のいたよ。僕はお酒もギャンブルもやらないんだから。だいたい河童といえばキュウリに相撲って決まっているのに、気にする素振りも見せない清々しさには思わず感心してしまったよ。
 何はともあれ、僕の役目は決まった。あまガッパの着ぐるみを着て、商店街を練り歩いたり、イベントに参加することだ。
「これでイメージアップ間違いないで」
会頭さんは鼻息を荒くしていた。元々この町は評判が悪いらしい。治安が悪いとか良くない噂が多いと言っていた。まぁ…思い当たる節がないわけではない。
 イベントにはちっちゃいおっさんと一緒に行くことが多い。仲良しの設定だから当然だ。競馬新聞片手に手を振っているのだから、もはや何のPRなのかわからない。
 それでも少しだけこの仕事が楽しいと思えるのはやはりちっちゃいおっさんの存在があるからだ。僕と違って中に入っている人は毎回違うことが多いのだけれど、最近は同じ人が入っている。しかも女の人で、それがまた可愛いんだ。お嫁さんに欲しいぐらいだよ。
 実は今日も、ちっちゃいおっさんと一緒にイベントなんだ。今日は尼崎の三和商店街にテレビの撮影が来るんだって。ちっちゃいおっさんとあまガッパで商店街を練り歩いて、テレビに映る作戦だ。
 商工会議所に集まり、衣装に着替える。ドアが開き、会頭さんがやって来た。
「おーちょっと皆来てんかぁ。ええもん見せたるわぁ」
 なんやなんやと、派手な服を着たおっちゃんおばちゃん達が会頭さんの後に着いていく。僕も一緒に行った。
「今日はこれ乗って練り歩くで」
 これまた派手なキンキラキンの神輿だった。正確には神輿ではないらしい。地車というのだそうだ。折り紙のような安っぽい金色で塗装されていて、人が乗れる仕様になっている。 
「ちっちゃいおっさんと、あまガッパがこれに乗ってテレビ映るんや。話題になるでぇ」
「ほら、あんたちょっと乗ってみぃ」
 僕を雇っていたおばちゃんに手を引かれ、地車の上に登った。畳一畳分ぐらいのスペースがあって、椅子が二脚固定されている。そのうちの一脚に腰を掛けた。
「ほな担ぐでぇ」
 やんややんやと、おじさん達が地車のまわりに集まり、せーの、と掛け声を掛けた。それを合図に僕の体がふわりと高くなる。こ、これは…
 気持ちが良い!!高いところから人を見下ろすのはなんて気持ちが良いんだ!
 その内に歩く練習が始まった。初めてのはずなのに、息もぴったりで安定感があった。
「皆さん上手いですね」
思わず僕は言った。
「毎年、貴布祢祭りで担いでるからな」
地車を担ぐぐらいわけはない、と会頭さんが教えてくれた。
「よっしゃー!この調子で行くでぇ!」
おっちゃん達は意気揚々と僕を担ぎ、そのまま外に出た。
 外に出ると、ちっちゃいおっさんが待っていた。一度地車をおろし、ちっちゃいおっさんを乗せ、再び担ぐ。
「おーた おーた おーた おーた」と、掛け声が響く。道行く人が振り返り、写真を撮る。こんなにも手を振られるのは初めてだ。僕は競馬新聞を振り回して手を振った。
 いつもと同じ商店街がにわかに活気づき、そしてそれは間違いなく僕たちのお陰だった。
 前方にテレビ撮影の人影を捉えた。八百屋さんの前で、店主と話している。
「おーた おーた おーた おーた」
さっきよりも一段と声を張り、テレビカメラの前を通る。
「うわ!なんやこれ」
テレビで見たことのあるタレントが声を掛けてきた。しめしめ。思惑通りだ。
「尼崎のキャラクターのちっちゃいおっさんとあまガッパですやん!知りまへんの!」
会頭さんが声を大にしてタレントに説明している。さすがのタレントは、会頭さんの勢いに少し押されながらも、テンポ良く会話をしている。
「面白いこと考えはりましたなぁ!」
最後にそう言ってくれたことだけは覚えているけれど、なんだか僕も興奮してしまっていて、どんな会話を交わしたのかなんて覚えていないままにテレビカメラを通り過ぎた。
 その後も少し商店街を練り歩き、商工会議所に戻った。
「大盛り上がりやったなぁ!」
「これはバズるでぇ」
「なんやバズるって」
「話題になることや」
商工会議所の空気が湧いていた。僕も少し嬉しくなった。
「放送日は一週間後らしいわ。まぁそれまでにネットで話題になってしまうかもしらんけどなぁ」
会頭さんが嬉しそうに言った。
 そして、その一週間後がやって来た。またもや皆で商工会議所に集まり、テレビの前でスタンバイをした。
「お、始まったで」
 平日の昼前、家事仕事を終えた主婦の女性達がホッと一息つく時間だ。のんびりとしたおじさんタレントがいろんな町を練り歩くこの番組はそれなりに人気があるらしい。
 三和商店街の看板がテレビに映る。それだけで商工会議所に歓喜の声が湧く。見慣れた看板が誇らしく見えた。
 練り物屋さんや、パン屋さんを通り過ぎ、いよいよ八百屋の前にやって来た。野菜を手に取り、プチトマトを頬張り、目を見張っている。クイズやら店主の趣味の話やらがやたらと長く感じた。
 そして遂に、西の方角からキンキラキンの地車が現れた。
「うわ!なんやこれ」
 聞いたことのあるセリフだ。ちっちゃいおっさんとあまガッパが映った。
「面白いこと考えはりましたなぁ!」
 そして阪神尼崎駅前の様子に画面が切り替わる。おじさんタレントが尼崎についての感想を言っている。人情があるだとか、ノリが良いだとか、当たり障りのないことを言って、エンディング曲が流れた。
 会頭さんがブチっとテレビを消した。
「なんや!映ったん一瞬やったなぁ」
「もっと大騒ぎになってもいいやろ」
「いやでも、『チラッと映った河童はなんや』って問い合わせが殺到するかもしれんで」
「せやな。この日のために回線増やしたんや。待機しとこか」
 そんなこんなで半年が過ぎた。満を持して打ち出した〝河童のいる町尼崎〟はさっぱり話題にならない。
「何があかんのや!!本物の河童がおる町なんて面白ないはずがないのに、なんで流行らんねや!」
会頭さんは頭を抱えていた。おばちゃん達もがっくりと肩を落としている。
 あまガッパのキャラクターが完成したときはあんなに盛り上がっていたのに、しおれた空気が流れている。あまガッパ目当てに人が殺到すると、意気込んでいたのだ。
 メジャーな観光名所もなく、評判もよろしくない尼崎には、町の外から人が来ることは滅多に無いのだが、これを機に町のイメージを回復し、ガッポリ儲けて、かの有名な妖怪漫画の生まれた町のような名所にする予定だった。
 当てが外れた、商工会議所は閑散としていた。一人、また一人と商工会議所に足を運ぶおっちゃんおばちゃんの数が減っていく。僕は町おこし大使としての役目を果たせなかった申し訳なさで、身の縮む思いだった。
「あんた!妖怪やったら何か特別な力とかないんか?」
会頭さんに言われた。
「特別な…って言われても特には…」
僕は遠慮がちに答えた。
「何でもええから出来ることやってみぃ!」
 突然そんなことを言われても、自分に何が出来るかなんて考えたこともなかった。僕はキュウリと相撲が好きだけど、それは好きなだけで特別なものかどうかはわからない。
 とりあえず子供の頃、近所の河童とよくしていた遊びをしてみることにした。隠れんぼだ。僕は隠れるのが上手くて、中々見つからなかったことを思い出したのだ。
「じゃあ隠れんぼしましょう。僕が今から隠れるので、十秒数えたら皆さんで僕を見つけてください」
 会頭さんやおばちゃん達が目を瞑って数を数え始めた。
 僕は透明になるか物に化けるか悩んだ末に、壺に化けることにした。会議室の長机の上にのぼり、壺になる。さっきまでこんな壺はなかったから不自然かな、とも思ったのだが、十秒経ってしまった。このままでいるしかない。
「おっしゃ十秒経った。探すでぇ」
 会頭さんやおばちゃん達がウロウロと会議室を動き回り、僕を探している。目の前にいる僕に気付く気配もないままに時間だけが過ぎた。
「あかん!降参や!」
 会頭さんの大きな声で目が覚めた。どうやら僕は眠ってしまっていたようだ。
「降参ですか?もう出ていっていいですか?」
「ええ。出て来てくれ」
 そう言われて、僕は壺から河童に戻った。悲鳴が上がる。怒号も聞こえる。僕はぽっかりと口を開けてしまっていた。
「なんやそれは!あんた!隠れるんじゃなくて化けとったんか!」
「あ、はい。え?隠れんぼって、これじゃないんですか?」
「そんな隠れんぼ聞いたことないわ!」
「そうなんですか?透明になるか化けるか迷ったんですけど、透明になる方が一般的でしたか?」
「透明て!あんたそんなことも出来るんか!」
見せてみぃ!と会頭さんに言われ、その場で透明になった。商工会議所がざわめく。
「化けるのは何に化けれるんや!」
 会頭さんに言われ、色々と化けてみた。中でもおじさん達が喜んだのはマリリン・モンローに化けたときだった。おばちゃん達からは軽蔑された。
「これ面白いやないか!河童と隠れんぼのイベントしようや」
「面白いな!見つけたら商店街で使えるクーポン券あげるとかな」
「いやでもこれ見つけられる人おるか?」
「難しいからこそ話題になるんやないか」
意気消沈していた商工会議所の空気がまた活気づいた。僕は意外とここの人達が好きみたいで、おっちゃん達の嬉しそうな姿がやけに心に沁みた。
「よっしゃ!河童で町おこし大作戦パートツーや!」

 イベントは三ヶ月後に設定された。これから準備や、告知やからで忙しくなる。テレビに映る作戦は失敗したから、次こそは僕も頑張らないと、と、気合いを入れた。
 そして遂に、イベント当日を迎えた。
「え?これ着てやるんですか?」
僕はいつもの着ぐるみを手に取り、会頭さんに聞いた。
「当たり前や!尼崎の河童と言えば、あまガッパやねんからな」
 着ぐるみを着たまま隠れんぼなんてしたことがなかったから、自信がなかった。でもここは町おこし大使としての腕の見せ所でもある。着慣れて体にしっくりとフィットした着ぐるみをまとい、商店街に向かった。
 商店街には百人以上の人が集まっていた。思っていたよりも規模が大きい。
「金かけたからな!」
会頭さんは誇らしげだった。参加者の内、尼崎に住んでいる人は半分くらいで、あとの半分は大阪や京都、岡山なんかからも来てくれているらしい。俄然、気合いが入る。
「それでは登場してもらいましょう!今日の主役、あまガッパです!どうぞー!」
 僕を雇っていたおばちゃんの声に促され、百人の前に姿を見せた。テレビにチラッと映った影響も少しはあるようで、普段のイベントよりも写真を撮ってくれる人が多かった。これで少しは役に立てるかもしれない。
「それではルールを説明します。これからこの商店街のどこかにあまガッパが隠れます。制限時間三十分以内に見つけることが出来た方の勝ちです。勝った方にはこの商店街で使えるクーポン券を差し上げます」
 このクーポン券はかなり思い切っていて、なんと、すべての商品が半額になる券が十枚もついている。会頭さんの自信の現れだった。
「それでは今からあまガッパが隠れます。皆さん三分間目を瞑って下さい。よーいスタート」
 おばちゃんの合図で僕は駆け出した。この間は壺に化けたから、今度は透明になろうと思う。三十分間ずっとじっとしていないといけないから、角の方で、なおかつ腰を下ろせる場所を探した。
 この間、撮影をした八百屋の横が丁度良い。僕は腰を下ろし、透明化した。
「三分が経ちました。あまガッパは準備できてるかな?それでは隠れんぼスタートです!」
 僕はドキドキしていた。今回こそは成功させて、商店街を盛り上げるぞ。いつの間にか、町おこし大使としての自覚が芽生えていたようで、活気に溢れた未来の商店街を想像し、鼻息が荒くなる。
「見つけた!」
 開始三分だった。まだ幼稚園にも行っていないほどの子供に指を指されて驚いてしまった。
「ママー!見つけたよー!」
「あら。案外簡単やったなぁ」
 そんなはずない。透明化しているのに。商工会議所では誰も僕を見つけられなかったんだ。見つかるはずが…
「おーおったおった」
「見つけた!よっしゃ!クーポン券ゲットや」
 あれよあれよという間に僕のまわりに人が集まり、証拠のスタンプを押していく。会頭さんのところにわらわらと参加者が群がり、クーポン券が渡された。用が済んだ参加者は当然のように帰路につく。開始から十分も経たずに商店街は静まりかえった。
 一つも捌けないつもりで作ったクーポン券があっという間になくなり、皆ポカンとしている。
「なんで見つかったんや!会議所では、あないに上手く隠れとったやないか」
会頭さんに責め立てられる。
「いやでも僕、ちゃんと透明化していましたよ。透明化したら人間の皆さんには見えないんでしょう?」
 皆が僕を囲んで、やいやいと口々に何かをまくし立てている。
「ほなもっぺん透明なってみぃ!」
会頭さんに言われ、すぐに透明になった。今すぐ消えてしまいたいという、このときの僕の気持ちと同じだった。
「思いっきり見えとるやないか!」
「そんなはずは…」
会頭さんにまた言われ、体を見回した。確かに透明になっていない。どうしてなんだ。
「なぁ。これのせいちゃうの?」
僕を雇っていたおばちゃんが着ぐるみを指して言った。
「着ぐるみか?ほないっぺん頭取ってみぃ!」
会頭さんに言われ、すぐに頭を取った。
 商店街がどよめく。首なし河童があまりに不気味だったらしい。
「なんやこれのせいやったんかいな」
会頭さんはガックリと肩を落とした。
「大赤字やないか」
「どうすんねん。半額クーポン使われたらたまらんぞ」
 僕は申し訳なさに泣きそうになった。もうこれ以上、ここには居られない。町おこし大使として何の役にも立たなかったんだから。
 肩を落とすおっちゃんおばちゃんの横で、着ぐるみを脱いだ。綺麗に畳んで、最後にそっと頭を置く。
 思えば本当に楽しい二年間だった。ちょっと日光浴をしようと川面に向かったあの日から、激動の毎日が始まったのだ。川の中で河童の仲間たちと暮らしているだけでは経験できない、人間の世界をたくさん教えてもらった。河童が霞むほどに派手なファッションをしたこの町の住人たちとの毎日は、今思えば本当に楽しかった。
 欲を言えば大使としての役目をきちんと果たしたかった。皆に喜んでほしかったんだ。自然とそう思うほど、僕はこの町が好きになっていた。
「何にも出来なかったな」
 河童に涙は厳禁だ。頭のお皿が乾いてしまう。それでも、どうしようもなく溢れ出て止まらなかった。頭がどんどん乾いていく。力が入らない。重くなった足を引きずり、商店街の出口へ向かう。すぐ近くには庄下川がある。そこから、河童の世界に帰ろう。
 重くなった体は上手く動かなくて、何度も倒れそうになりながら歩いていた。するといきなり景色が横転した。
「きゃー!ごめんなさい!」 
「ちょっと何してるのよ!慌てすぎよ」
「だってイベントが終わっちゃうと思って…そんなことより大丈夫ですか?立てますか?」
 重い頭を上げ、声の方へ顔を向ける。若い女の子二人が、僕を見下ろしていた。
 どうやら僕は、この二人組のうちの片方とぶつかって倒れてしまったようだ。
「大丈夫ですか?救急車呼びますか?」
「だい…み…水を」
僕は声を振り絞った。
「水?水ならここに」
女の子は自分のカバンを漁り、ペットボトルを取り出した。
「あの…頭に…かけて…」
「頭?熱中症?かければいいのね?」
女の子は慌ててペットボトルの蓋をあけ、僕の頭に思いっきりかけた。途端に意識が蘇り、元気百倍!空も飛べそうなほどに体が軽くなった。
「あぁ。ありがとうございます。おかげで回復しました」
「え?本当にもう大丈夫なんですか?」
「はい。頭のお皿が乾いていただけなんで、水さえあればもうすっかり」
「頭のお皿って…え?ええ?ええええええええええーーーーーーーー!」
 女の子は飛び跳ね、もう一人の女の子と手を取り合った。やばいやばいやばい!と叫んでいる。
「え?尼崎の河童って本物なんですか?」
「え?あ、はい。そうですよ」
「えええええええええええーーーーーーーー!やばい!お兄さんが河童?」
「そうです。体も緑で水かきも甲羅もあるでしょう」
「いや、本当だ、やばいやばいやばい!写真撮ってもいいですか?」
女の子たちがイソイソと携帯電話を取り出した。
「あ、いいですよ。慣れてますから」
 カシャカシャと写真を撮り、おもむろに携帯電話を触っている。もう一人の女の子は何やら電話で話し始めた。
「この写真、ツイッターにあげてもいいですか?」
 ツイッターというものが何なのかはよく分からなかったが、特に断る理由は無い。承諾してから、軽くなった体で庄下川を目指した。
 川岸に立つ。ここから、全てが始まったんだ。後ろを振り返り、深く、深く、頭を下げた。
「二年間、ありがとうございました!」
 涙はもう出なかった。楽しかった思い出を、今度は河童の仲間たちに話してやるのだ。川に飛び込み、川の深く、奥深くにある河童の村へ向かい、河童はゆったりと泳ぎ出す。

 数日後、尼崎の町はたくさんの人で賑わっていた。キュウリやナスを抱えている人や、虫取り網を持った人、大きなカメラを抱えた人などで溢れかえっている。
「どないなっとんねや」
会頭さんはまた、頭を抱えていた。
「なんやツイッターか、ツイードかなんか知らんけどそういうので本物の河童がおるって噂が広まったらしいわ」
「なんや!ツイードて!」
「これやこれ」
そう言って、河童を雇っていたおばちゃんがスマートフォンを会頭さんに見せた。見慣れた河童の写真が表示されていた。その下には「河童と隠れんぼのイベントに来たら本物の河童いて草」の文字が書いてある。
「あいつやないか。そういえばどこ行ったんや、あいつは」
「隠れんぼのあとからめっきり姿が見えんのや」
河童を雇っていたおばちゃんが言った。
「それはそうと、この忙しさ、なんとかせなあかんでぇ!ほい仕事仕事!」
 会頭さんは商店街のおっちゃんおばちゃんのお尻を叩いた。会頭さん自身もお客さんにあれやこれやと話し掛け、河童の話などで盛り上げた。
 一番聞かれるのは「今、河童はどこにいるんですか?」だった。
 会頭さんは困りながらもこう答えた。
「さぁ。わかりまへんけど、あいつは隠れんぼが上手いんや。透明になったり、物に化けたりしてきっとその辺からこの賑やかな様子を見てると思いますわ」
 そう言って、会頭さんは近くに置いてある壺を持ち上げ、揺らした。面白がってお客さん達もあちこちのものを揺らす。とんでもない活気と混乱が訪れたが、まぁそれもこの町らしい風景だった。

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