織部 行

2020年の終わりから、ちょっと変わりはじめた感覚を残してみます。 kou.oribe…

織部 行

2020年の終わりから、ちょっと変わりはじめた感覚を残してみます。 kou.oribe.00@gmail.com

マガジン

  • 考えたこと

    そのとき考えたことを書き残しておきます。

  • 日曜日

    日曜日はなにしているか

  • 真夜中

    真夜中に、頭に浮かんでくる生活のあれこれのメモ

  • 読んだ本

    読んだ本の記録です。

  • 日記

    2020年12月26 日から書き始めようと思いました。

最近の記事

歯車

歯車。 芥川龍之介の歯車を読んだ。久しぶりに。十何年ぶりに。 はじめて読んだとき、わからなかった。 飛び飛びに進む内容。印象、拘り、眠れないこと、見えないもの。小説を書く人、小説家はこういうものを書くのか、思った。 本の中にある世界の、それを書いた人の代表作とも言える本で、その人は人生を終えるタイミングでこういう小説を書いたと、そういう認識で読んだ。 いま読んでみると。 その内容の半分くらいがたぶんわかった気がした。 その人のその時の生活の実情を知らない。その人ではない。で

    • 立ち位置

      漠然とした不安。 もやもやした心持ち。 薄い膜に覆われたような感じ。 機能と同じような今日を過した夕方の絶望。 挙げればきりがないような感覚を毎日浴びて生活する。 いつまでこの感覚が続くのだろう、終わらないかも。 また新しい絶望感がやってきて、私はまた殻を閉じる。 そうではないとき、 毎日があっというまに過ぎるとき。 漠然とした不安がやってくる前にあった確かな期間。 それがどうやってあったのかを考えてみる。 するとあった焦点を絞る生活。 たらればを排除して、一点に賭けた生

      • 波と凪

        変わり映えのない日常は凪のよう。 それはそうだ。なにもしていないのだから。 毎日淡々とこなしていく。安定、安全、安心、刺激はいらない。 一日の終りに、布団の中でぐっすり眠れるだけ幸せだ。 なにもない日、晴れたら散歩をして、雨が降ったら映画を見る。 いつでもカバンに本を入れて、好きなだけ読む。 朝はコーヒーを飲んで、夜はすこしお酒を飲む。 そんな生活が欲しかった。手に入れた。不安になった。 この凪をいつまで続けるのだろう。 きっとそんな生活いつまでも続くものじゃない。 思っ

        • 不思議なタイミング

          ふとした拍子に、出かけた先で何年も会っていなかった知り合いとばったり会うことがある。まったくの不意に。でも、あ、あの人だとわかるし、そういうときってだいたい向こうも同じリアクションを取っている瞬間だったりして目が合って、お互い近づいていって軽い話をしてみたり。また今度会いましょうよ、なんて言って別れる。 ああ、これは連絡したほうがいいかな、なんて思いながら過ごしているとその1週間後くらいにまた、たまたまその人と出くわすようなことがある。極稀にだがそれは起きる。そしてこういう

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        • 考えたこと
          176本
        • 日曜日
          4本
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          26本
        • 読んだ本
          6本
        • 日記
          17本
        • 写真
          2本

        記事

          空洞化している、のか、

          空洞化っていうのだろうか。 見た目は変わらないのに、中身がからっぽとか? いや、なにか違うような感じ。 希薄化? これも同じ感じ、密度の減少。そこにあるのになんだか空っぽ。 話半分、とはまた違う。うわの空、かもしれない。 心ここにあらずの状態で人の話を聞いたりするとき、言われる。 ここまでみんな画面の中にいるのって、すごい。 それを眺めている自分がおかしいかのように錯覚してしまうほど。 ぞわぞわしてくる。しびれます。 この車両のなかには50人以上人がいるけれど、きっとな

          空洞化している、のか、

          までとから

          まで。 から。 はっとした。 私はずっと、から。に閉じ込められていた。 高校生のときから。大学生のときから。昨年から。 できるようになったことも、できないことも、全部いつからかの延長線上でしか考えることをしていなかった。 特にできないことはじめじめと、あのときからずっと。と考えてしまいがちで、一昨年も昨年も、もう終わろうとしている今年も、まただめだった。そんなふうに考えては心のなかにどんどん負債を溜め込んでいくような心持ちになる。 まで。で考えたほうが良さそう。 か

          までとから

          空腹がもたらすもの

          子供の頃、空腹が感じられなかった。 それはけっして裕福で、いつも何かを食べていて、満たされていた、ということではなくて。お腹が空く感覚がどんなものか、想像できなかったということ。 例えば漫画で、自分より数歳年上の主人公がものすごい空腹を訴えている。 その感覚がわからない。 道端で倒れ込んでジタバタするほどの空腹感ってなんなんだ。 ただただそう思うしかなかったということ。 空腹ってどんなかんじなんだろう。 わからない。けれど、きっと、道端で暴れだすほど苦しいものなのだろう。

          空腹がもたらすもの

          時間潰し

          夜のはじまり。19時。 冷蔵庫を開いて材料を取り出す。 野菜と挽肉と餃子の皮をたくさん。 手を洗う。 野菜を細かく切って挽肉と一緒にボウルに入れる。 調味料を入れる。 また手を洗って、混ぜる。こねる。粘るまで。 よく混ざった大きなハンバーグみたいになる。 20分ほど置いておく。 また手を洗う。 餃子の皮につける水を小さな器に入れておく。 餃子の皮を袋から取り出す。60枚。 スプーンで大きなハンバーグから小さなハンバーグをこそげとり、 餃子の皮の中央に配置する。 皮の

          スーパーでの日曜日

          月に1回か2ヶ月に1回か、肉のハナマサで買いだめすることを習慣にするようになって何年経つだろう。近くの、でも普段行くスーパーより10分くらい余分に歩くところにある。多くて月に1回のイベント。 そんな日曜日は何もしない日である事がほとんどで、一日家で過ごしている。冷蔵庫の中が寂しくなってきたことを感じる1週間を過ごしたあとで、いよいよ行くかと重い腰を上げる。何もしない日曜日の免罪符のような側面も持っていたりする。 普段はあまり通らない道。 欅や銀杏が多い東京の街路樹の中で、こ

          スーパーでの日曜日

          変容する輪郭

          じっとりと周囲に張り巡らした線の輪郭は私そのもので、それは特に意識することもなく、意識するものとしてではなくずっとそこに存在していたもの。薄く小さく出入り自由。私は無防備に私の心の内を晒しながら、晒すことでどうなるのかを学んでいった。そもそも人との関わり方を知らなかったから周囲にいる人の見様見真似、なにが自分に合うのかを見つけていく期間。 そんな期間から随分と時間が経つと。 そのもの自体は変わらないけれどその輪郭はすっかり私のものになった。 厚く大きく出入り不可。 無

          変容する輪郭

          地元化する東京

          観光地。人がいっぱいいる。出かける場所。 そんな印象だった東京。住みはじめてもどこかいつも気負ってしまうような、いつまでもあのときの東京の印象は私の中にしっかりと根付いていて、住んでいる街もしばし腰掛けているような心持ちだった。 そんなしっかりと根付いていた東京の印象がいつしか溶けていった。 何回か引っ越して落ち着いた街で、ここもやはり人は多くて観光地は近くにあって。でもどこか落ち着くのはどうしてだろう。 休日の朝、窓を開けて掃除をして、鍵と財布をポケットに入れて、本を一

          地元化する東京

          出来事の波紋

          帰り道の電車の中で、カバンに入っているイヤホンを取り出す。音楽を聴こうと思ったら数秒で聴こえなくなったのは電源が切れたから。そういう日に限って本を持って来ていない日で急に手持ち無沙汰になる。あと30分ばかり、車内の様子を眺めようと決める。 夜の、多くの人が家に帰ろうとする時間。車内はかなり混んでいた。 両隣の人はスマホを見ていて、目の前の人は本を読んでいて、私は目の前の真っ暗な窓に映る自分の姿を見るしかない。 インスタを見ている人、動画を見ている人、私もスマホを取り出し、いろ

          出来事の波紋

          整理することと違和感

          最近寒い。衣替えなんてまだまだだと思っていたけれど、1週間過ぎたらあっという間に寒くって、しまっていなかったカーディガンを手放せなくなる。そろそろしまってるセーター類を出すか、と重い腰をやっと上げるのは決まったスケジュールではなくて寒さでしかなかった。衣替えをするのだから出すだけではなくて夏服を一通り整理しないとと思って、クローゼットの中から夏物を一通り引っ張り出す。 意外と多いな。 普段着る服は数着だけれど、他にも服はあった。 どうしてこの服着なかったんだろう、思う服がや

          整理することと違和感

          日曜日の朝は雨

          休みの日の午前中は眠っていることの方が多かった。12時前、過ぎに起きて1日が始まる。起きてから少しぼうっとするだけで夕方で、ご飯を食べてお風呂に入って歯を磨いていると、あれ昨日からもう今日になって同じことしてる、っていう既視感というか確かに1日過ぎていることに怖さを感じることが多かった。 1日が短いとそんな感覚を抱くようになる。 休みでも朝起きられるようになった。 朝起きて、コーヒーを飲んで、食欲はないけれど何か食べないと体がつらいからパンを焼いて時間をかけて食べる。食べよ

          日曜日の朝は雨

          知らない街での日曜日

          いつもは行かない方面の街に出かける。 日曜日のお昼時、電車に乗って乗換駅まで。 いつも思うけれど、日曜日のこの時間帯の電車は空いている気がする。でもそれはいつも混みすぎているからそう感じるのかもしれないし、そうではないのかもしれない。だって、乗換をするその大きな駅の構内には辟易するほど、歩くのにとても注意しなければいけないほど人で溢れていたから。電車を降りて、階段を登って、お店がいっぱい入っている人で溢れている構内を歩くとき、私はそこにいなくなった。 心ここにあらず、状態。

          知らない街での日曜日

          秋雨の日曜

          窓を開けて眠ることができるほどすっかり気温も下がって秋を感じる。雨が降って、その雨音の激しさで目が醒めた。とでも書いてみたいけれど、網戸から流れ込んでくるのは雨に濡れた道路を走る車の走行音。絶え間なく、昼間近くの時間は車が流れる。雨もどうやらほとんど終わったように小雨がそぼふるほどになっていた。 今年の10月は、と書きたいけれど、どうやら私の1年間のリズムは秋になると動き出すらしいことがなんとなくわかってきていて、今年も例に漏れず動き出そうとしている。どうして秋なんだろう。

          秋雨の日曜