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コンテスト参加note*

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コンテストに応募したnoteまとめ。
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いつか同じ景色を。

「紅葉が池に写って綺麗ですね」と私が呟くと、先生もまた「立派な庭園だね。物語の中にいるみたいだ」と呟いた。 先生の創作意欲の良い刺激になればと、私はこの日、京都は等持院に先生を連れ出した。これまで幾度となく断られてきたので、漸く何かが動き出したような気がした。 書院から見える庭園はとても美しく、柔らかな日差しの中、静かに眺め抹茶を頂いていると悩みも忘れてしまいそうになる。すると、先生が静かに話し始めた。「木々の揺れる音も、さざめく水面も、頬を撫でる風も、あの日と何も変わらな

恋する涼み客は、熱を帯びて帰路につく。

夏休みの予定は、半年前から決めていた。 この春就職した先輩に会いに、京都へ行くと。 川の上に佇むお座敷に「わぁ〜すごい!」とバカみたいに繰り返す。何だか場違いな気がして、慌てて声を小さくした。 「川の音、いいですね。涼しい。」 「いいね、来れてよかったな。誘ってくれてありがとね。」 些細な会話も嬉しくて、頰が緩む。互いの近況を話しながら甘味を味わい、お座敷から足を下ろして、冷たい水流にふたりで足を委ねた。 「冷たいね。」 「冷たいですね。」 ふふっと目を見て笑い

「人生80年のうちの、たった1年」

飄々としていて胡散臭い、調子のいいことばかり言うマネージャーが言った言葉を、10年以上経った今でも、私は忘れられずにいる。 20歳。美容専門学校を卒業した春。 私は美容師ではなく、夜の街で働いていた。 卒業後1年間、いろいろあって就職浪人状態だった。週6でBARで働きながらそこそこ稼ぎ、家にお金を入れながら就職活動。専門学校の就職担当の先生には就職率を下げたことをチクリと言われ、いつも成績上位の優等生から一転、落ちこぼれのレッテルを貼られた気がした。 お店がノーゲストに

途立つ娘は懐かしき日を思い出す。

離陸特有の浮遊感に、ヒュンッと内臓が浮き上がる。 ふと、あの日 父と下った坂道を思い出す。 小学生の頃、父と2人、自転車で坂を越えて近所の縁日へと繰り出した。姉は母と留守番だったので、父を独り占めできるのが嬉しかった。大きくてつやつやした林檎飴をねだり、ワクワクしながら食べたものの見た目ほど美味しくはなくて、何口か食べて父に渡す。飴がなければただのカサカサの林檎だね、と素直にこぼす娘を横目に、父は笑って食べてくれた。 なんてことない、本当になんてことのないひとコマを、な

見慣れた景色の美しさを知る時、私は初めて自由を手にした。

私は生まれ育った田舎町が大っ嫌いだ。近くにコンビニもないし、当然スタバもない。娯楽といえば井戸端会議くらいのもんだから、誰が結婚しただの浮気してるだのくだらない噂ばかりが蔓延っている。 そんな田舎が嫌すぎて、私はひとり、故郷を捨てた。 新宿、渋谷、表参道。街も人も、全てがキラキラして見えた。ここが私の本当の居場所だと、妙な高揚感に包まれた。 キラキラした街は、年月とともにメッキが剥がれ、どんよりして見えるようになっていった。まるで排気ガスで覆われているような、灰色の世界

自分探しの旅の果て。

30歳を目前に、私は猛烈に焦っていた。 同じような毎日。かと言って変える勇気もない。そのくせ何かが起きて変わらないかと夢見てる。他人任せの受け身な人生。 そんな自分に嫌気がさしたのは、29歳と6ヶ月が経った時だった。 何も変わらずにただ歳を重ねるだけの人生が、急に怖くなったのだ。 +++ 普段降りた事のない2つ先の駅で降りてみる。あてもなく彷徨っていると、鮮やかな黄色の自転車が目に留まる。衝動買いなんてした事はなかったけれど、それは一目惚れだった。 このまま自転車

今のふたりを残そうよ。

「カメラはどうや。撮ってるんか?」 電話に出るなりすぐ、父は言った。どうやら私がカメラを始めた事が気になっているようだ。動物園や栃木のバルーンを撮りに行った事を話すと、バルーンいいな、と楽しそうに言った。 父も学生の頃はカメラを持ってあちこち行っていたらしい。列車に乗って、電車に乗って、飛行機に乗って、あちこちへ。気ままに写真を撮る旅をしていたそうだ。 そういえば、家族旅行でも父の写真はほとんどない。 父が撮る係だったから。 四国めぐりに行った時も、鳥取砂丘に行った時

君がいつか忘れてしまっても。

キミちゃんは未熟児だった。ミルクの食いつきも悪く、年子のお姉ちゃんと比べてもずいぶん小さくて、お母さんはいつも心配していた。 食が細くて好き嫌いの激しいキミちゃんのために、手間暇かけて食事を拵える。けれどキミちゃんは体を仰け反らせて盛大にちゃぶ台返し。お母さんは笑おうと努めるも目には涙が滲んでいた。 "どうして食べてくれないの。上の子はよく食べるのに" +++ 振袖を着るキミちゃんが、ふっくらとした顔でカメラに笑顔を向ける。お母さん泣かないでよ、ってキミちゃんが言う。

さよなら涙、また会う日まで。

うわぁぁぁぁぁぁん! 転んでひざ小僧を擦りむいたこどものように、部屋でひとり、声を出して泣いた。蒸した部屋に、冷たい炭酸の泡がシュワシュワと音を立て、じわじわと部屋の温度と混ざっていく。缶の底には水滴が溜まっていった。まるで一緒に泣いているみたいだ。 泣かずにはいられなかった、というわけではない。一度泣いたほうがいいのではないかと思ったから泣くことにしたのだ。何が、ということもない。 ひとりでいると、強がることが増える気がする。強がって、歯を食いしばって、涙がこぼれないよ

あの夏に、この夏に、乾杯。

夏の思い出を呼び起こす。ずいぶんと遡らないと出てきそうにないことに、私はいったいどれだけの夏を無駄に過ごしてきたのだろうか。 かれこれ10年ほど前、私たちは社会に出て1~2年で、まだ学生ノリでふざけ合えていた。真夏の暑い時期に、夙川の河川敷でレジャーシートを持ち寄り、派手な髪色に個性的な出で立ちのいかにも美容師風情の姦しい女たちで、ビール片手に盛り上がっていた。 日々の仕事にも少し慣れ、お互いのお店の先輩の話や、いいお客さん・苦手なお客さんの話、怒られたこと、嬉しかったこ

私だけが知る、約束の行末。

「35歳になってもお互い独身だったら、その時は結婚しようか」 未練を残しながら別れたカップルの、別れ際のありふれた口約束。本気になんてしていないけれど、心の片隅にずっしりと居座っている、あの日の約束。 +++ 彼と出会ったのは、23歳の春だった。女ばかりの職場で出会いもなく、職場と家の往復ばかりの日々だと嘆く私に、みかねた友達が引き合わせてくれた。友達が職場の同期や大学時代の友達を集めて開催したお花見で、ビール片手に話ははずみ、同い年の私たちはすぐに意気投合した

ちっとも謎めいてなくたっていいから、ずっと私だけのヒーローでいて。

私にとって、彼はヒーローだった。 つまんない日々を極彩色に染めてくれた、優しくて、謎めいたヒーロー。 「謎が多いほうが面白くない?知っていくのはゆっくりでいいんだよ」 そう言った彼は、本当に謎の多い人だった。 仕事もなかなか教えてくれなかったし、名前を聞いてもはぐらかされた。いつも飄々としていて、広い空を漂う雲みたいに掴みどころがなかった。 知りたくて、知りたくて、もっと知りたくて。 のめり込むように好きになっていったんだ。 少しずつ、少しずつ知っていき、何年も何年

失って、軽やかに揺れる髪

腰まで伸ばした髪を、20センチ切った。 理由は簡単。失恋したからだ。いまどき失恋で髪を切る人なんているのかな?と思いながら、大好きな美容室へ向かう。失恋したんだな、と思い出しては涙目になりながら、寒さの厳しい2月の街を足早に歩く。 そのお店は東京に来て知り合いに紹介してもらった、少し風変わりな美容室。詳しくは内緒。一つ言うなら、友達の家に行くような気軽さがあるお店。 私が担当してもらっている美容師さんは、スヌーピーみたいに優しい見た目に反して、とにかく美容に対して熱い人。

泣きながら食べたこと、ありますか?

辛くて辛くて何も手につかなくて、それでも毎日仕事には行かないといけないし、食べないとよけいに元気が出ないから、泣きながら食べたことがある。きっとすごくぶさいくな顔をしていたと思う。 大好きなくせに、ちょっとの拗れから恋人と別れてしまったことがある。ひとりでパニックになって、大泣きしながら家族のような元職場の先輩方に連絡した。号泣しながら合流し、落ち着くまでファミレスで付き合ってもらった。涙でドロドロの顔に、朝日が眩しかった。 しばらくは本当に辛くて辛くて泣いてばかりで、ご