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悠揚自在な幸せを求めて。

何だか最近整ってきている。自分が自分らしくあるための土台というか。トンネルを抜ける光が見えてきたような。不思議な心地よさが増えてきた。

「幸せだ」

そう感じることが増えた。あんまり幸せだとか発言すると、「わざわざ幸せって言う人は本当は幸せではない」みたいな言葉を目にしたりするけれど、単純に「幸せだなぁ」ってしみじみ思うから言っているだけだ。

おそらく元々人より幸せのハードルは低いタイプだと思う。空の青さや風の心地よさに、「あ、いま幸せだなぁ」って思ったりするし。ここ最近幸せをひとつずつ噛み締めているのは、自分なりの幸せがわかってきたからだと思う。

世間一般的な既成概念の幸せではなく、自分だけの幸せを。

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2年ぶりくらいに友達とお茶をした。相変わらず生き様がかっこよくて、強くしなやかで美しい友達と。彼女はフリーランスでバリバリ仕事をしていて、彼氏より断然稼いでいると言って笑った。清々しいまでにオトコマエなひとだ。彼女と話していて、ようやくストンと自分の幸せに気が付いた気がした。

「コウちゃんはさ、自由を失う結婚には向かないよ。こどもは欲しくなくて、ひとりの時間も大事で、自分で稼ぎたいひとだから、無理に世間一般的な幸せを自分に当て嵌めようとしなくていいんだよ」

コロナ禍でもひとりを寂しいと嘆くこともなく、部屋を自分好みにカスタマイズして、好きなものを身に纏って、自由に快適に暮らしていて、最近自分の世界が整いつつあって幸せだと話す私に、彼女はそう言ってくれた。周りが結婚していって少しの寂しさを覚えても、同じものを求めなくたっていいのだと。親のことだとか、世間体だとか、そんなものは自分の幸せには関係ないよと。


"なんとなくある幸せ像"に惑わされてはいけない。


「結婚して、こどもを産み育て、暖かな家庭を築く」

こどもの頃なんとなくイメージしていた幸せの定義。20代後半くらいまでは、仕事はしたいけどいつかは努力してでもそういう幸せを得なければならないと思っていた。いつかは。そういうものだと。じゃないと、田舎では勝手に「独り身の寂しいかわいそうなひと」というレッテルを貼られてしまう気がしていた。

もちろん結婚して家庭を築くことは幸せなんだと思う。絶対結婚しないんだから!なんていう気はさらさら無い。パートナーがいたら最高じゃん!って思うし。家庭を持ったとしてもなんだかんだで幸せにはなれると思うし。

ただ、自分にとっての幸せって、理想って、そうじゃないんだよなって。そこにはっきり気付けて、何だかとても生きやすくなった。ちょっとした開放感。

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結婚して家庭を持つ幸せの中にも大変なことはたくさんあると思うし、ひとりで自由に生きる中でも大変なことはたくさんあると思う。どっちも幸せで、どっちも大変だ。向き不向きもある。焦りや不安があると人はつい惑わされてしまうけれど、結局は自分にとっての幸せがなんなのかでしかない。

既成概念に囚われるのではなく、自分なりの悠揚自在な幸せを見つけたい。ブレずに、その時その時の自分の心に素直になって望む、自分なりの幸せを。

サポートとても嬉しいです。凹んだ時や、人の幸せを素直に喜べない”ひねくれ期”に、心を丸くしてくれるようなものにあてさせていただきます。先日、ティラミスと珈琲を頂きました。なんだか少し、心が優しくなれた気がします。