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400字でまとめる難しさ。

昨日の「君がいつか忘れてしまっても。」を書いている時、あっという間に400字を超えてしまって、書きたいことが全く収まりきらなかった。400字で表現することの難しさにもがいている。うまくまとめられなくて、悔しい限りだ。けれど、楽しい。


母が若くして結婚して慣れない中で家事育児を頑張ってきたことを、私は知らない。私のために試行錯誤して食事を用意してくれていたことも、全く記憶がない。たまに母から「お母さんも昔は頑張ってたんだよ。あんたたちは覚えてないかもしれないけど。」と言われる。覚えていないのが申し訳ない。どんなに手間暇をかけて離乳食を作っても、当の本人は全く覚えてやしないなんてちょっと寂しいな、との思いからこの話を書いた。


本来なら、「私」はキミちゃんが生まれた時にやってきたキミちゃんの傍にずっといたタオルケットであること、食が細くて偏食なキミちゃんのために若かりし頃のお母さんがどれだけ奮闘して育ててきたのかも描きたかった。苦労したけれど、そこには確かに幸せがこの上なくたくさんあったのだと描きたかった。

もっとお母さんにスポットを当てたかったのだけれど、400字の壁の前に崩れ落ちた。大事な間の場面をごっそり削った。


400字って、あっという間だ。

描ききれない短さに、シンプルに情景を忍ばせること、いやはや難しい。長い文をひとつの言葉に代えて表現したり、言葉ってなんて面白いのだろう。読む側としても、余白に想像を巡らし物語を楽しむのが面白い。

難しい。面白い。とても難しい。とても面白い。

自分の力量の甘さが悔しくて悔しくて、本を飲み込むように読んでいく。もっともっと表現力をつけたい。読んでくださる方のスキマ時間を有意義に埋められるように。

少しずつでも成長していきたい。





サポートとても嬉しいです。凹んだ時や、人の幸せを素直に喜べない”ひねくれ期”に、心を丸くしてくれるようなものにあてさせていただきます。先日、ティラミスと珈琲を頂きました。なんだか少し、心が優しくなれた気がします。