違いを判断できると思ってはいけない。

商品やブランドごとにどのような違いがあるのか?自分の領域の話だとその違いは分かりやすく、裏側の知識もあったりするので精査がしやすい環境にあります。僕も飲食業界(特にレストラン周り)にはある程度の知識があります。

料理であれば美味しさや技術、どんなバックボーンの修行を積んでいるか、どんな人たちのグループに属しているか、このような細かいところまで把握できていたりします。

そうなってくると、違いが明確にわかるので、技術のあるシェフを推しやすくなったり、誰かがお店を選ぶときにそのようなお店を提案したりする。

自分達の事は良く分かるので、自分達の作る商品も技術が分かってもらえるという前提条件が出来やすくなります。

これは当たり前の事だと思いつつ、物凄く不思議な現象です。良く喩えに出すのですが、美容師さんが3人いてそれぞれの作品(カット等)があった時に何を基準に技術を判断するのか。アパレルもそうです。ブランドが3つあった時、どのブランドが技術力が高いのか、それは僕には判断できません。それはその領域の知識がないからです。

でも自分の領域ことは他人に理解してもらえると思ってしまう。本当に冷静になると不思議です。でもこれはかなりの人が陥ってしまっています。特に技術職の方に多いのではないでしょうか?


人は何で違いを判断しているのか?


料理も服も髪型も、人は何で違いを判断しているのか。

料理なら美味しさが絶対条件ですが、美味しさ=技術ではありません。技術とは再現性やクオリティとスピードを担保するもので、美味しさを構築する一部でしかないので、技術があるから美味しいとはなりません。

美しく作ることや、綺麗に見せることは技術が必要ですが、美味しくすることだけを切り取ると技術は必ずしも必要ではありません。だからこそ、技術を押し出すことにあまり意味がないと僕は感じています。

もちろん同業間では技術での比較はされるのであった方がいいですが、一般の方には技術よりも伝えるべきことが沢山あるはずです。それを認識する事で新しい提案やコミニケーションが考えられるはずです。

僕は髪を切ってもらう人の技術は分かりません(なんとなくは感じているかもしれないが判別はできない)でも明確に切ってもらいたい人がいます。

服も裁縫の精度などの判断はできませんが、こういう服がいい!という指針はあります。必ずしも技術で物やサービスを判断していないのです。

だからこそ、自分達の技術よりももっと提案すべきことがあり。それを忘れてはいけないと思うのです。コミニケーションをどのように取るか、伝えたいコアな部分はなんなのか、技術よりも味を楽しんでもらいたいし、素敵な時間を過ごしてもらいたい。その為に技術があるだけだと僕は思っている。

だからこそ、本質的な部分が大切になり、それを語ることやストーリーがより重視されているのではないだろうか?

しかしこれは技術がいらないわけではなりません。技術があった上で全てのコミニケーションが必要で、でも技術至上主義にはならない方がいいですよね?という話です。


技術は何に活かされるのか?


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