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自己紹介。

2017年から1年間書き綴ったブログを、ここnoteに引っ越しさせます。当時の拙い文章(今も)を書き直しながら、改めて僕がどんな人間なのかを知ってもらえたら嬉しいです。




神奈川県三浦市。海からほど近く静かな町で僕は育ちました。小さな頃は地元の海や漁港、祖父の畑などで沢山の食材と触れる機会が自然とありました。

その当時は苦手なものも多く、その環境が自分にとって特別な事だとは大人になってから分かるのですが。

父が野球選手を目指していたこともあり、僕も自然と野球を始めました。小中高と野球に明け暮れる日々です。

中学生の頃は成長期真っ只中で、3年間で30センチも身長が伸びました。横に増える余裕もなく、非弱で気弱な少年だった僕はいつも何かに怯えながら中学時代を過ごしていた。これといった取り柄もなく、毎日を何となく生きているごく平凡な中学生だ。

それでも我武者羅に野球に打ち込み、高校生になってからは身体作りの大切さを学び、独学で栄養学やトレーニング方法などを模索しながら筋肉だけで体重を20キロ増やし、身体が大きく強くなった。精神的にはまだまだ弱く自信が持てるようになったのは高校3年の夏の大会前くらいから。

県立の高校ながら、監督さんの努力のおかげで県外のトップクラスの高校との試合も数多くあり、その度に自分に足りないものは何なのか、どうすれば自分達でも戦えるようになるのか。日々頭と体を同時に使いながら自分なりの答えを探す訓練をしてた。身体が変わると自分のパフォーマンスも変わり、今まで以上に自分の事を理解しないとうまく身体が動かせない。常に考え、行動し、変えていく。高校3年間の野球人生が、今の僕の考え方や行動のベースを作ったと断言出来る。

1つのことに如何に打ち込み、集中し、成果を出すか。

初めは色んな人の真似から始める。

その中から自分に合うものを選び、更に自分なりに改良していく。自分の体型や骨格に合わせ鍛える能力を選びながら、自分に合った成果を出せる力をつける。

自分の『やりたい事』と『出来る事』は違う場合の方が多いと思い。若い頃はどうしても『やりたい事』ばかりを選んでしまいがち。僕もそうだった。しかし数多くの選手の中から自分の存在をアピールする為には、自分の事を客観視して他の人よりも何が得意で『出来る事』はなんなのかを考える必要がある。仕事でも同じだ。

自分にしか出来ない価値のある事はなんなのか。

そして『出来る事』と『やりたい事』をどの様にリンクさせていくのかがとても大事。

『やりたい事』(目標)の為に『出来る事』(能力)をどの様に鍛え伸ばすのか。

野球に打ち込み、多くの選手に揉まれながら自分を鍛えた経験が、今の僕を支える大きな力になっている。

自身の身体を改革、確かな手応えを感じ、大学でも野球をやりたいと思い最後の夏休みに3つのセレクションを受けた。自分の中では出せるものは全て出し切り、1つの大学へは確実に受かる自信があった。

しかし、結果は惨敗。全ての大学に落ちた。

この瞬間に僕の中で野球人生は終わった。

受験をして続ける選択肢は勿論あったのだが、自信のあったセレクションで残れなかった時点でもう芽はないなと、自分の中の野球の灯火が消えた。

父は続けて欲しかったらしいが、自分の中で大学で野球を続ける明確な意志を持てなかった。

今思えばこのタイミングで野球を諦めて良かったと思う。ズルズルと野球を続けていたら、人生は全く違うものになっていただろうし、何事もそうだが、辞めるのもセンスで、その見極めを出来るかどうかは人生でとても大切だと思う。

無気力な夏休みを過ごし二学期が始まる頃、親友の誕生日が近いことを思い出した。

部活しかしていなかった自分には何かを買うお金もなく、どうしようかと思ったが、何故かケーキを焼こうと思った。185センチで眼つきが悪く坊主の男がだ。

しかしそれは小さい頃母と作ったケーキの記憶があったからだろう。野球を始めてからは全く料理などしていなかったが、何故かとても作りたくなった。そこからは直ぐに試作をし、他の友達に毒味をしてもらいながらクオリティーを上げ、いざ誕生日に友達にケーキを渡すと、本人はもとより、周りの友達まで驚く程喜んでくれた。

その瞬間自分の仕事はこれだと決めた。

人間何がきっかけになるか分からないものだ。

それから直ぐに料理の専門学校を調べ、自分に合うかどうかを吟味し、大学で4年かかる学費と専門学校で2年かかる学費を比較し、そのデータをもとに親にプレゼンをした。願書を既に提出した後に。

これだと決めたら直ぐ行動し、突き進むタイプなので、親も呆れて直ぐに認めてくれた。

バイトも料理関係で始め、自分の料理人人生がスタートした。

大きな決意を胸に新宿調理師専門学校へ。

皆様の優しさに救われてます泣