ふむ、幸せってなんじゃろか。 #藤原note30日間チャレンジ vol.12
さて、久々に自炊でもするか。なんて言って今日は炒飯を作りました。
こんにちは、藤原雅樹です。 #藤原note30日間チャレンジ と銘打ったこの企画も、今日で12日目になりました。
昨日はとっても良い1日でした。
大学の友達と図書館でゆる〜く勉強しつつ、思いつきで誘った別の友達と麻雀をして、帰ってきてお酒を飲みました。それだけの日です。
その友達と、どうやったら人間は幸せになるか、というテーマで話をしました。
そこで、自分にとっての幸せとは、という問いに1人で向き合う時間を早いうちに持てるかどうか、ということはすごく重要だという結論に至りました。
僕は、自己紹介の話というnoteにも書いた様に、大学受験で失敗してから予備校に入学するまでの約2ヶ月、居酒屋でアルバイトをしながら毎日、自分の幸せについて考えていました。
あの期間は僕にとってなくてはならないものだったと、いまになって思います。究極のモラトリアムでした。
その時に至った結論からはずれている生活を送っている現在は、とても幸せです。これは、そのとき得た結論よりも、そのとき得た幸せに向き合う姿勢の方がはるかに大事だからでしょうか。
当時の僕が結論づけた自分の幸せは、自由でした。何かと拘束された高校を卒業し、進路未決定でどこにも所属していないこと自体にワクワクしていました。
肩書きを持たないこと。所属していないこと。野に放たれた感覚は今でも忘れません。後になって錯覚だったことに気づくのですがね。
今の僕が自分の中に持っている自分の幸せは、暇です。退屈な時間を持てることは、僕にとっての幸せなんですよね。
この”僕にとって幸せ”という認識が大事なんですよね。
ただし、自分の幸せのためなら何やってもいい、ってことはないんですよね。そこだけは勘違いしちゃダメなポイントですよ。
今、社会には情報が溢れています。スマートフォンやPCからネットにアクセスをしたことがない人がごく少数でしょうし、ほとんどは毎日の様にインターネットを介して繋がっている。
インターネットでなくとも、世には本がいっぱい出回っていて、その中に書かれてある様々なノウハウや〜〜べき論に踊らされてしまう人も少なくないのではないでしょうか。
自分の中にしか正解はないんですよ。自分の頭で自分の幸せについて考えるんです。どこの本にも載ってません。誰も呟いていません。自分で考えるんです。
ただ、参考になる話、という見方をすれば、タメになる情報はゴロゴロ転がっています。情報には、正解ではなくヒントを求めると、肩の力が抜けて良いかもしれません。
昨日はそこから、ぽてぽて散歩しながら深夜3時に帰宅しました。
帰り道に、国道171号線という大きい道を通ったのですが、深夜の道ってなんであんなにも心動かされるんでしょう。ドキドキしました。
帰り道の途中、座って月を見たり、カエルの声を聴いたりしました。幸せでした。
自転車に乗ればもっと早く帰れました。無駄な時間を過ごしました。
時間を無為に過ごすってすっごく幸せなんですよね。共感してくれる人いませんかね。
今、僕の大学はテスト期間で、あしたもテストがあったり、今週提出のレポートがあったりするんです。その状況で、無為な時間を貪るのって、すごくドキドキします。
実際、テストもレポートも、やるべきことでもなんでもないんですよ。提出遅れても、単位を落としても死ぬわけではないので。
ただ、一般的にテスト前はテスト勉強をするもの、提出前はレポートをするもの、とみんなが言うので、その方が伝わりやすいと思って、あえてテスト期間だって書きました。
本当にやらなくちゃいけないことに追われるってどんな感覚なんだろう。今までの人生でまだ経験したことないですね、本当にやらなくちゃいけないこと。
もし、本当にやらなくちゃいけないこと、こういうのあるよ、なんて人が居たら是非教えてくださいな。
昨日は帰宅してから、クーラーの風に直当たりしつつ7時まで寝ました。そこからシャワーを浴びて、朝日に祝福されながら本を読んでました。
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院というセンターで准教授をされている伊藤亜紗さんの「どもる体」です。
「どもる」とは、吃音のこと。あなたの身の回りで、どもってる人はいませんか?
僕も、シチュエーションによってひどく吃音が出るときがあります。言葉に詰まったり、「たたたたたたまご」の様に連発したりします。
そんな吃音を身体論という観点から捉えているこの本、めっちゃ面白いです。
ぜひ読んでほしい。貸すので声かけてください。
今、何にも追われていないし、何にも縛られていないし、何にもこだわっていない生活ですが、僕にとってこれ以上ないほど幸せなんですよね。誰になんと言われようとね。
このnoteでも、人の幸せについて書いたんですよね。もしかしたら僕は、人間の幸せについて考えるのが好きなのかもしれない。人間の幸せについて考えているときが一番幸せなのかもしれない。
お節介だなあ。
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